弥五郎カッパ カッパの川流れ 久留米市(田主丸町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第008話 2001年05月20日版

2007.06.10 2007.07.29 2008.08.10 2018.11.26
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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

カッパの川流れ
【樋の上の弥五郎】

福岡県久留米市(田主丸町)


かつて弥五郎が昼寝した樋が架かっていた巨瀬川

 皆さん、「カッパの川流れ」という格言をご存知か。どんなにその道を極めたつもりでも、油断をすると痛い目に遭うという意味のようです。「弘法も筆の誤り」とか、「猿も木から落ちる」と同義語かもしれないですね。

怠け者で助べえ

 むかし、田主丸の巨瀬川に弥五郎と名乗るカッパが棲んでいた。弥五郎の奴大変な怠け者で、川に架かる樋の上で一日中昼寝ばかりしている。そんなわけで、土地の人は彼のことを  「(とい)の上の弥五郎」とも呼んだ。
 ここでいう「樋」とは、農業用水を川の向こうの田んぼに送るために、木の(わく)で作った水道管のようなものを渡したもの。框には蓋がついていないので、夏休みの子供らには格好の遊び場になっていた。
 話を弥五郎に戻して。彼は、樋の上で昼寝をしているところを人に見られようものなら、見た人間に取り憑いてしまう。取り憑かれた人は、割れるような頭痛に襲われる。だから、人は弥五郎に近づかないようにしていた。
 弥五郎の悪い癖は、カッパともあろうものが、人間の女にすぐ惚れてしまうことだった。樋の上で昼寝をするのも、実は夜遊びが過ぎて精も根も尽き果てているからである。好きな女の代表格が駄菓子屋の未亡人・おときさんだった。
 真夏のクソ暑い晩、顔に白粉を塗りたくって、色男に変身したつもりの弥五郎が、おときさんの店にやってきた。店に客がいないことを確かめて、「おときさーん」と囁く。おときさんは、「白粉を塗りたくった男なんて大嫌い」と言い放って表戸を締めてしまった。
「私には、男っぷりのいい好きな人がいるもん」だって。写真は、カッパ総帥の九千坊の碑(浮羽工業裏手の巨瀬川たもと)

振られて、神通力もなくして

 一大決心をして打ち明けたのに、これじゃ男がすたる。いや、カッパの顔が立たねえ。その晩、弥五郎さんが荒れること、荒れること。浴びるように酒を飲み、色町をはしご酒をして回った。
 お日様が天空に昇ると、朝からうだるような暑さ。疲れきった弥五郎は、いつものように巨瀬川に架かる樋の上に寝そべった。
 しばらくして水遊びをしている子供たちが騒ぎ出した。上流から変な生き物の死体が流れてきたからだ。変な生き物は、カッパの弥五郎の変わり果てた姿であった。おときさんに振られたことがよほどこたえたらしく、照りつける太陽の熱で、命綱の頭のお皿が乾くのにも気づかなかったらしい。自慢の神通力も利かず、寝返りを打った瞬間に5メートル下の川にまっ逆さま。川に落ちても得意の泳ぎすら忘れていた。

弥五郎の墓

 数日たって、弥五郎が溺れ死んだ場所に、一人の女が荷車を牽いてやってきた。車には、戒名のない墓石が積んであった。女はあの晩、弥五郎を袖にした駄菓子屋のおときさんだった。
「あたいは、子供の頃に、巨瀬川で溺れそうになったことがあるんだ。その時助けてくれたのが、樋から落ちて死んだ弥五郎さんだったの。命の恩人の弥五郎さんが死ぬなんて…」


雲雀川岸の弥五郎カッパ

 女は川岸にしゃがみこんだまま、いつまでもすすり泣いていた。だがおときさんは、先日言い寄る男を締め出した男が、実はそのときの弥五郎だとは未だに気がついていない。ひとしきり泣いた後、荷車の上の墓石を川に投げ入れた。恩人へのせめてもの供養のつもりだった。
 弥五郎さん、下手に色男ぶらなければ、恋の結末もまた違っていたろうに。(完)

 樋を流れる水は、夏の太陽に照らされて熱せられ、温泉気分を味わうことができる。「カッパのへそ」という和菓子屋の藤田さんが、弥五郎が寝そべっていた場所に案内してくれた。
「おときさんが投げ入れた墓石はさい、何年か前まで浮羽工業のすぐ傍の巨瀬川に沈んどったばってん、建設省の役人が護岸工事の邪魔じゃけんち言うてどっかに持っていってしもうた。大切な遺跡じゃったつに…」と残念がること。その藤田さんも、再び訪れた時にはこの世の人ではなくなっていた。今頃向こうの世界で、愛して止まなかった樋の上の弥五郎と何やら語り合っているかもしれないね。

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