弥五郎カッパ カッパの川流れ 久留米市(田主丸町)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
カッパの川流れ 福岡県久留米市(田主丸町)
皆さん、「カッパの川流れ」という格言をご存知か。どんなにその道を極めたつもりでも、油断をすると痛い目に遭うという意味のようです。「弘法も筆の誤り」とか、「猿も木から落ちる」と同義語かもしれないですね。 怠け者で助べえ むかし、田主丸の巨瀬川に弥五郎と名乗るカッパが棲んでいた。弥五郎の奴大変な怠け者で、川に架かる樋の上で一日中昼寝ばかりしている。そんなわけで、土地の人は彼のことを 「 振られて、神通力もなくして 一大決心をして打ち明けたのに、これじゃ男がすたる。いや、カッパの顔が立たねえ。その晩、弥五郎さんが荒れること、荒れること。浴びるように酒を飲み、色町をはしご酒をして回った。 弥五郎の墓 数日たって、弥五郎が溺れ死んだ場所に、一人の女が荷車を牽いてやってきた。車には、戒名のない墓石が積んであった。女はあの晩、弥五郎を袖にした駄菓子屋のおときさんだった。
女は川岸にしゃがみこんだまま、いつまでもすすり泣いていた。だがおときさんは、先日言い寄る男を締め出した男が、実はそのときの弥五郎だとは未だに気がついていない。ひとしきり泣いた後、荷車の上の墓石を川に投げ入れた。恩人へのせめてもの供養のつもりだった。 樋を流れる水は、夏の太陽に照らされて熱せられ、温泉気分を味わうことができる。「カッパのへそ」という和菓子屋の藤田さんが、弥五郎が寝そべっていた場所に案内してくれた。 |