高良山まいり 伊三どん 久留米市城島町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第004話 2001年04月22日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

高良山詣り
おろたえ伊佐

久留米市(城島町)


高良神社本殿

 源流の阿蘇外輪山に始まり、日田、朝倉を経て、今回は下流域の三潴郡に住む男の話。江戸時代の筑後の百姓さんたちは、田植え前や収穫後に高良神社にお参りするのが慣わしだった。高良神社は、久留米市の東方に見える高良山(312b)の頂上付近に祭られていて、筑後における一の宮である。
 男どもは、高良の神さまにお参りした後、参道を降りた後、男ならではの遊びを何よりの娯楽だと心得ている。なるべく現地語にはカッコの中で翻訳していますが、間に合わない分は適当に解釈してください。

おろたえもん

 おろたえもんとは筑後弁で、「慌て者」の意味である。今回登場する城島(久留米市城島町)の伊三どん(いさどん)は、おろたえもんを絵に描いたような男なのだ。
 伊三どんがいよいよ高良さん(高良大社のことを親しみを込めてこのように呼んでいた)に参る前の晩。伊佐どんは興奮気味で眠れそうにない。一番鶏が鳴いた途端に飛び起きると、枕元の風呂敷包を腰に巻きつけた。


城島を流れる筑後川

「ちょっと待たんの」
 嫁さんが寝巻きのままで追いかけてきた。
「ねえごつか(何事か)、おり(俺)はばさらか(大いに)急ぎょっとぞ(急いでいる)」
「何ばそげんおろたえにゃいかんとですか。お賽銭ば忘れちまで・・・。よかね、この一文は高良さんのお賽銭でこっちん(こちらの)一朱があんたの小遣いばい。よかね、別々に包んどるけんね。あんまり遊び過ぎらんごつせにゃでけんばい」
「そげん同じこつば何べんでん言わんでよかろうもん。忙しかつに」
 ブツブツ言いながら、伊三どんは高良の山を目指して駆け出した。

腰に巻いた風呂敷は?

 久留米の街が近づくと、早くもお腹の虫が騒ぎ出した。「ちょっと早かばってんが・・・」と自分に言い訳をして、筑後川の土手に座り込んだ。
「おにぎりは2回分へえとるけん(入っているから)、ねえごつんなかたい(安心だ)」
 伊三どんが腰の風呂敷包みを取り出して腰を抜かした。


昔茶店で賑わった参道

「ありゃ、こりゃ、何の」
 朝起きて、腰に巻いた風呂敷とは・・・。実は、嫁さんが寝る前に?脱ぎ捨てていた腰巻だった。そしておにぎりだと思ったのは、なんとゴザ枕ではないか。
「これじゃ、腹の足しにもならんばい」
 空腹で足元がふらつくが、そこは我慢して、山頂への長い階段を登っていった。登りきったところが高良大社の拝殿である。嫁さんがくれた紙包みを、神妙な顔つきで賽銭箱に投げ入れた。(写真:室町時代に描かれた高良大明神像)
「今年も豊作でありますごつ、頼みますばい」
 お参りを済ませて、人並みに清清しい気分になったら、またもや腹の虫が騒ぎ出した。3軒並んだ一番手前の茶店に飛び込んだ。
「あのくさい、そこん饅頭ば20個ばっかり包んでくれんの(ください)。それからっさい、おみやげ用にさい、別に10個ばっかり包んでくれんの」

饅頭は饅頭でも

 伊三どんは、気前よく嫁さんへのみやげまで注文した。
「あんたげん饅頭はいくらの?」
 店のかわいい娘に目じりを下げながら、嫁にもらった紙包みを広げた。
「あじゃあ、たったこしこ(これだけ)しかへえとらん(入っていない)ばい」
 なんと、包みの中は一文銭が1枚だけ。
「しもうた、さいぜん(先ほど)神さんにあげた賽銭の包みと間違えてしもうた」
 どんなに悔やんでも、後の祭り。
「お客さん、どげんすっとですか(どうなさいますか)?」
 店の娘は、伊三やんを睨みつけたまま突っ立っている。
「しょんなかたい(仕方ない)、そんなら饅頭ばいっちょだけくれんの。こけ(ここに)なろんどる(並んでいる)となら、どっでん(どれでも)よかっちゃろもん」
「よかごつ(いいように)してくれんの。そいばってん、ほんなこつ(本当に)いっちょだけばい」
 そこで伊三どん、陳列されている中で特別大きな饅頭を掴んで店を出た。
「待たんの、お客さーん」
 娘が大声で止めたときには、既に伊三やん、急な階段を駆け下りていた。小遣いがなくては色街にも用はない。まっすぐ城島の家に帰ることにして、また筑後川の土手に座り込んだ。我慢も限界に達し、急いで先ほど買った饅頭に食らいついた。
「ん?こりゃ、何の」
 饅頭に歯が立たない。それもそのはず、饅頭は饅頭でも茶店の看板のはりぼてだったのだ。(完)

朱:江戸時代の貨幣の価値表示。1両の16分のT。1分の4分の1。

 世の中には似たような慌て者が多いこと。かく言う筆者も伊三どんとさして違わない。焼酎と間違えて飲んだ一升瓶の中身が、実は連れ合いが作り置いた石鹸水だった苦い経験を持っている。辛くて、辛くて、しばらくは部屋中をのた打ち回ったものだ。
 どこかに「日本は神の国」といった総理大臣がいた。伊三どんが高良神社に参るのと総理大臣が靖国神社に参拝するのとでは理由(わけ)が違うのに。

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