伝説 綾の鼓 ならぬ恋 朝倉市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第002話 2001年04月07日版
再編集:2011年07月03日 2017年12月17日 2019年03月24日
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
ならぬ恋
【綾の鼓】

福岡県朝倉市(朝倉)


源太爺と橘姫の霊を祀る石碑

 筑後川中流域の朝倉市に伝わる悲恋物語。それも女性は麗しい姫君だが、男の方は既に老境に入っていてあまり格好のよくないおやじさんの話だ。朝倉町といえば、三連水車が有名である。この水車江戸のむかしから動いているそうだが、その三連水車から少し西に行った桂川のほとりに「桂の池」がある。池とは名ばかりの小さな水溜りだが、地元の郷土史家先生に言わせると、大むかしは直径が何百bもある大きな池だったそうな。


桂の池の遺跡

 ところで、朝倉は歴代天皇のうち唯一九州で没した斉明(さいめい)女帝縁の地である。そのせいか、史跡や史話がやたらと多い。ここに紹介する「ならぬ恋」もその一つ。室町時代に謡曲「綾の鼓」が創られてから三島由紀夫が小説としても発表するなど、全国区の名作として語り継がれてきた。

斉明女帝、朝倉に仮御所

 ときは1300年前の飛鳥時代。朝鮮半島の百済(くだら)救援のため、時の斎命天皇(女帝・655〜661)は二人の皇子(中大兄皇子=後の天智天皇・大海人皇子=後の天武天皇)を従えて筑紫に遠征した。その間に、天皇は朝倉の地に仮御殿・橘広庭宮を造営することになった。(写真は斎命天皇の仮御所があったといわれる場所の碑)

歴史上は、唐により百済滅亡後、中大兄皇子は、倭国の力で百済を復興して朝鮮半島における倭国の優位性を復活させるため大軍を派遣しようとした。斎命天皇を奉じて筑紫に出兵するが、斎命天皇の死後は、大王(おおきみ=天皇)の位につかないまま戦争の指揮を執った。662年に大軍を渡海させたが、663年、白村江の戦いにおいて唐・新羅の連合軍に大敗する。

庭番が姫に恋した

 天皇に率いられて朝倉に来た一行の中に、庭番を勤める源太という初老の男がいた。庭番といえば、宮中では位にも数えられないほど身分の低いもので、庭の手入れや公卿たちの使い走りが主な任務であった。
 そんな源太が、ある日遣いに行った館で、天皇に仕える美しい橘姫に優しく声をかけられたものだから、有頂天になってしまった。かなわぬ恋と知りながら、胸に迫る思いを押しとどめることができない。思いをそのまま文に託して、姫がいる館の梅の枝に結んでおいた。
 いくら返書がなくても、源太は2度3度と恋文を送り続けた。
 3度目の文を送った翌日、橘姫から源太の許に文が届けられた。天にも昇る思いで、震える手を押さえながら源太は文を開いた。
「そなたのわらわに寄せる気持ちはようわかりました。今宵桂の池の木の枝に鼓(つづみ)をかけて置くほどに、それを力いっぱいならしてたもれ。そなたの打つ鼓の音が、我が耳に届いたならば、お会いすることにいたしましょう」
 文を読み終えて、源太の気持ちは完全に舞い上がった。陽が沈むと、桂の池を目指して無我夢中で走った。池のそばの桂の木の枝には、文のとおりに鼓がかけてあった。
「我が思い、姫に通じよ」
 源太は、全神経を手のひらにこめて鼓を打った。

我が思い、地獄の果てまで

「ボコッ、ボコッ」
 鳴る音は鼓のそれではない。何度打っても出る音は「ボコッ、ボコッ」。それもそのはず、鼓の表面は革の代わりに綾糸が張られたものだったのだ。
 優しい橘姫は、源太の自尊心を傷つけまいと、返書に謎をこめたのであった。つまり、「この鼓は鳴らぬ」ことを知ってもらい、「この恋は成らぬ」と逢引を断ったのであった。
 無教養の上に、恋に狂った源太がそんな謎を解けるはずがない。ただただ鳴らぬ鼓を打ち続けるのであった。夜が明けて源太は初めて鼓の表が布製の綾織であることに気がついた。
「なんたることか、一晩中精魂込めて打ったものを。これも橘姫が自分を物笑いするための道具であったのか。この恨み忘れまいぞ」
 源太は生きる力をなくし、そのまま池に飛び込んで帰らぬ人となった。その夜からである。橘姫の枕元に源太の亡霊が立つようになったのは。写真:村中に祀られた源太地蔵尊
「身分の違いはいかんともしがたく、ああするほかにやりようがなかったのです」
 姫は必死で気持ちの中をわからせようとする。だが、薄
明かりに浮かぶ亡霊は、「綾の鼓が、鳴るかならぬか、お前が打ってみよ」と攻め立てるばかり。毎夜毎夜の亡霊からの責め苦で耐えきれなくなった姫は、とうとう気が狂ってしまった。そして、源太が飛び込んだ同じ桂の池に入って、これまた帰らぬ人に。(完)

 源太を追って桂の池に入った橘姫の霊は、池のそばの「恋木社」に今も祀られている。一方源太の怨霊を鎮めるために、村人は福成神社の境内に源太地蔵と合わせてお祭りした。朝倉の里を歩いていると、橘広庭宮跡や女帝を葬ったとされる「御陵山」など、いたるところで遠いむかしに出会うことができる。
 ところで、「老いらくの恋」の主人公・源太は、生涯一度の女性であった橘姫との恋を池の中で成就できたのだろうか。同年代の男性として、とても気になるところではある。

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