小国地方

【禁無断転載】

作:古賀 勝

第001話 2001年03月31日版

再編:2007.09.16 2017.03.19
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

縁起担ぎ

熊本県小国郷


筑後川水源の立岩地区(南小国町)

侍に会ったから、種まきやめた

 まずは、筑後川をずっと遡っていって阿蘇外輪山の麓の小国地方に伝わるお話。
 このあたりに住む人たち、妙に縁起を担ぐ。梅助爺さん、今宵も夜空を見上げたり暦をめくったりして忙しい。
「婆さんや、明日畑に大豆ば蒔くけんね」
 言われて、トメ婆さんがびっくり。
「こりゃまたどうしたこつかい。言われてもなかなか働かん爺さまが・・・」
 それほどまでに爺さんは怠け者なのである。

「星占いじゃと、明日種ば蒔きゃあ、芽が早よう出て、実もばさらかなるげなたい」
 トメ婆さんにしてみれば、せっかく働く気になった爺さんを、冷やかして止めさせることはない。翌朝は雲ひとつないよい天気。ニコニコ笑顔の湧蓋山を横目に、夫婦は畑に向かった。途中まで来て、爺さんが立ち止まり、すぐに回れ右した。写真:外輪山から阿蘇岳展望
「あんた、どこさん行きょらすと?」
「今日の仕事はやめて、家に帰るばい」
「またなして?」
「お前は何もわかっとらんない。今先、侍さんとすれ違うたろうが。侍さんは、腰に刀ばさしとらした」
「うん、確かに。それがどげんかしたと?」
「侍さんが刀ば抜くとあとには鞘しか残らんめ。今から蒔こうとする大豆は、実ば取るもんたい。サヤだけじゃ何にもならんけん」
 これには婆さんも、怒る気を通り越して、つい吹きだしてしまった。

嫁さん見たら大根蒔きも

 翌朝になって、梅助爺さんが婆さんより早起きして、まじめな顔で鍬を担いだ。
「今日は、畑に大根の種ば蒔くけんね」
 今回は、なんとか途中で爺さんが回れ右をしないで畑に着いた。それを見て喜んだ婆さんだったが・・・。


(写真は源流近くの立岩川)

「やっぱり、大根蒔きはやめたばい」
 爺さんは鍬を放り投げたまま、さっさと家に帰ってしまった。トメ婆さんの堪忍袋も限界に。追いかけていって、訳を質した。
「畑に来るとき、川向こうの嫁さんに会うたろうが」
「うん、おしのさんのこつじゃろ。それが種まきとどげな関わりがあると?」
「わからんかね。あん人は一つだけ悪か癖ば持っとらすたい」
「何ね、おしのさんの悪か癖ちゃ?」
「おしゃべりたい。あん人、一度しゃべりだしたらしゃべりまくらす」
「そげん言われれば、ちっとはしゃべりが多かかね。ばってん、そのおしゃべりは、爺さまの仕事とは関係なかろうもん」
「まだわからんとか。おまえも相当ぼけてきたね」
 ぼけたと言われて婆さんの形相が変った。爺さんも婆さんに睨まれて、少しばかり元気がなくなった。
「あの嫁さんのおしゃべりたい。あることなかことしゃべらすじゃろう。あるこつなかこつのこつば、根も葉もなかこつちも言うたいね。せっかく蒔いた大根の種も、根も葉も出らんじゃ、種ば蒔く意味がなかもんね」
 トメ婆さん、これ以上爺さんの縁起担ぎに付き合っていると、ますます顔の皺が増えるからと、一人で畑に出向いていった。(完)

 こんな縁起担ぎのお話も信じられないほどに、最近の小国の町は近代化している。国道を挟んでしゃれた店や民家の多いこと。「道の駅」には、ひっきりなしに貸し切りバスが入ってくる。何とか「小国弁」を体験したくて、しばらく店先に立っていたが無理だった。店の売り子さんや買い物客の言葉は、完全に日本中どこででも通用する東京弁である。やっぱりテレビの普及のせいなのか。


写真は、小国のしゃれた道の駅

 志賀瀬川の流れを感慨深げに眺めていたが、これまた全国一律の護岸工事で、その面影を探すのさえ難しかった。相変わらずだったのは、わざとらしく登場してもらった湧蓋山の威容くらいか。それでもここは、阿蘇外輪山麓の、筑後川の源流域なのである。

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