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【エジプト限定】オーパーツコレクション

ツタンカーメンのヤグルマギク

追記:2011/3/2


エジプトでヤグルマギク(Cornflower/Centaurea cyanus)といえば、ツタンカーメン。…なんだか、そんなイメージがついているようである。
曰く、ヤグルマギクのようなナマモノは、普通、永遠を象徴する王の棺には入れられない。と。
棺から花束が見つかったのはツタンカーメン王だけである、とまで豪語する人もいる。
他の王の棺からは見つかっていない… 本来、そこに入れられるべきではない… と、いうことは

 これもオーパーツか?! ※そこ。ネタ切れか、とか言わない

いやいやリボンで止められた花輪=人工物 ですよね? だから場違いな人工物である以上、オーパーツなのです! ま、そういうことにしといてくださいよ。


さて、このヤグルマギクについて、日本の有名なエジプト学者である吉村作治氏は、このヤグルマギクは王妃アンケセナーメンが棺に入れたものだと述べている。ゆえに花は王妃の深い愛情を示し、ツタンカーメンは王妃以外の何者かに殺されたのだろう、とまで自説を展開する。テレビへの露出度も高いので、この説については、どこかで耳にしたこともあるはずだ。

だが、ちょっと待って欲しい。
学者が言うことだから正しい、とか、安心してないか?

疑いを知らない心こそ真の敵である。
このサイトのコンセプトは、「自分がおかしいというものには容赦なくツッコむ」というものである。たとえ有名人であっても、疑わしいことには手加減しないぜ!

さて、前置きというか言い訳なのだが、オーパーツについて批判的あるいは挑戦的な意見を述べるサイトの場合、たいてい、実績のある学者の言うことはスルーしていると思う。学者の言うことに間違いはない、というか、学者の言うことを信じなければ他に根拠とするものがない、素人に判断がつかない、という理由からだと思う。
しかし、シロウトな私は、ここで敢えて著名な学者に真っ向から反論する。
既にテレビではお馴染みであり常識のように語られている「とくべつな花」には実は 重大な誤り が含まれている。欺くべきではない人を欺き、真実ではないことを真実のように見せかけるのは学者としてはやっていけないことであり、ペテンと言っていいかもしれない。

信じてくれなくて構わない、なんて、甘っちょろいことは言わない(笑)
たかだかネットの片隅で個人が書き散らすこと、テレビで放映するのとは影響力が違いすぎる。
だからこそ、この場所に辿りついた少数の人には、間違いなく納得して、ペテンの内容を理解してもらいたい。


    ●ツタンカーメンの棺から発見されたのものは花輪と花束であり、ヤグルマギクだけではない

    ●発見者(カーター)も、当時の学者も、それが王妃の入れたものだとは思っていない

    ●しかも古代エジプトでは死者に花を手向けるのはごく一般的な習慣だった


というわけで騙されてしまった皆さんのために真実を明らかにしよう。



▼吉村作治が「王妃の花束」と呼んでいるものの正体

さて、最初は冒頭でリンクした「遊学舎」のページの写真。実は、疑惑は既にここから始まっている。コイツは本当にヤグルマギクの花束か?
写真に映っている番号札を見て欲しい。「50x」または「10x」と見えないだろうか…?


  画面きゃぷちゃー


棺の中から見つかった多くの花の中で、「花束」という形状をしてたのは、第一の棺の上に残されていた花束だけ。なので、吉村氏が言いたいのは、おそらく 第一の棺の上に残されていた花束 と思われるが…。

 第一の棺の遺物番号は253なので、
 第一の棺の上から見つかった花束を指しているなら
 番号は253aとか253bとかの番号であるはず。


ちなみに、墓全体の遺物番号は以下のようにつけられている。

1a〜3 
4 
5a〜12c
13
14〜170
28
172〜260
261〜336
171
337〜620-123 
入り口の階段
最初の封印扉
通路
二番目の封印壁
前室
 玄室へと通じる扉
玄室
宝庫
部分的に壊された付属室の封印扉
付属室


しかしこの写真からではイマイチ判別がつかない。というわけで…

カイロ考古学博物館、現地にて確認。番号は507でしたが、おそらく番号つけ間違えています。

2008年4月現在、カイロ考古学博物館の2F、奥の階段手前にほかの花束・ブーケとともに展示。30cmくらいの大きさ。
添えられていた展示説明は以下のとおり。(現在、写真撮影は禁止なので手書きで映した。

Small bouquet of Persea leaves.
Tut ank amen tomb.
X[ th Dyn.


Persea =ワニナシ属の植物(アボカドもここに属する)…。
と、いうわけで、カーターのつけた番号で198番の遺物でした。
番号からしても説明からしても、王妃が手向けた花束ではないですよねコレ。(笑)


異なる遺物の写真に誤ったキャプチャをつけて掲載するのは、トンデモ本、オカルト本の十八番。いちおう世間的にマトモな学者という顔をしている人のコラムの中でやることではない。
では、何故、このようなごまかしの写真を掲載したのか?
王妃が手向けたヤグルマギクの花束なんて、実在しないからだ。 (※ツタンカーメン王墓からの発見物全リストはこちら)

だがまあ、「写真はサイトを作った人間が勝手に入れたものです」とか、「実物はもう現存しないけど発掘当時は確かにありました」とか、いくらでも言い逃れは出来るだろうから、ここではあまり追求しない。こんな些細なところで噛み付かなくても、まだまだツッコミどころは山ほどある。ここでは、何年も自分が主張しつづけている自説の現物を知らない吉村氏のお粗末さを指摘するに留めて、次へ進もう。



▼花束を誰が入れたかは、分からない


たらこくちびるだったのかね1922年 11月。
王の玄室が開かれ、ハワード・カーターと学者たちは、王の棺を開き、第一の棺――
「王の死亡時の顔」とされる棺を見る。
記録からして、この花束は、そこにあったものと思われる。
以下、カーターの手記から記録を拾う。

横たわったこの少年王の額には、上・下エジプトを象徴する見事な象嵌の二つのシンボル――コブラとハゲタカ――があり、そして、おそらく、人間の素朴な感情をあらわすもっとも感動的なものは、このシンボルの周辺に、小さい花束が置かれてあったことだ。わたしたちは、この花束を、夫に先立たれた少女の王妃が、「二つの国」を代表した若々しい夫にささげた最後の贈り物と考えたい。


感傷的であり、見たままを記した、まさしく「手記」である。
しかし、よく読んで欲しい。


  最後の贈り物と考えたい Byカーター


つまり、「そうだったらいいなぁ…」であって、「そうだ」とは断じていないわけだ。当たり前だ。花束には名前など書いていない。書いてあったとしても手ずから入れたとは限らない。電波の入っている人でもなければ、誰がその花束を入れたのかなど、わかるはずもない(笑)
吉村氏は、誰も断言しなかったこの小さな花束を、「王妃が入れたもの」だと勝手に断定した。

学者としてやってはいけないこと、その1。証拠がないのに断定してはいけない。

ただの願望、感想に過ぎないことについて、有名人のハワード・カーターの名前を借りて、皆に認められた事実であるかのような表現をしている。カーターは学者ではないので、もしかしたらどこかで「願望を事実と断言する」ような過ちを犯さなかったとは言えない。が、少なくとも、この日記風の発掘記の中ではそのようには述べていない。

そして…



▼一番有名なのは、第二の棺の上の花


学者としてやってはいけないこと、その2。 自説に合わない事実を隠してはいけない。


キリッ★ツタンカーメンの棺は三重棺である。ミイラに黄金のマスクをかさね、それを一重めの棺にいれ、その外側に少し大きなニ重め、さらに三重め… その外側に外枠としての厨子。これで完成。マトリョーシカかよ!! と、いったところか。
ハワード・カーターは、これを「タマネギ」と呼んだが、まぁ古代エジプト人タマネギ好きだったから不敬罪に当たらないことを祈ろう。

大抵の場合「花はツタンカーメンの棺に入っていた」とアバウトに記されるだけだが、実はツタンカーメンの棺は、一番目、二番目、三番目の棺すべての上に花が置かれていた。

冒頭で吉村氏が言ってる”ヤグルマギクの花束”の正体がどれなのか分からず、発掘番号のリストをあさっていたのは、そのためだ。


ちなみに、二番目の棺はツタンカーメンのものではない。
ツタンカーメンの兄ではないかとされる、スメンクカーラー王のものを転用しているのだ。(棺の裏に書かれた文章から判別) ツタンカーメンのほかのマスクは、どれもよく似ているが、この第二棺だけ明らかに人相が違うことが見て取れる。

第二棺の上に置かれていたものは”花束”ではなかったため、第一の棺の上にあったものとは明確に区別できる。それは「花輪」と呼ぶべきしろもので、ヤグルマギク、マンドレイク、蓮(厳密にはスイレン)、柳、オリーブ、さらに野生のセロリから成っていた。

そう、ヤグルマギクは、実は全体から見れば大した意味のある花ではないのだ。

吉村氏は「ツタンカーメンの棺に入っていたヤグルマギクは、王妃がとくべつに入れたダイイングメッセージである」ということを、テレビや著書で繰り返しているが、他の花と一緒に入ってたら、意味なくねぇか。


第二の棺  第二の棺の上に残された
  「ヤグルマギクその他の植物から成る花輪」の写真。
  (クリックすると拡大)




 実に見事な、花輪である。

拡大してみる。矢印のところが、リンネル布に覆われた棺の上に残された花…



頭の部分と、胸の部分。きれいな輪になっていることが伺える。この細工がとても見事だったため、大抵の資料ではこの「花輪」が真っ先に「ツタンカーメンの花」として取り上げられる。(遺物番号254a、254a(1))
この花について、ハワード・カーターは、このように述べている。

不安であり、興奮に満ちた瞬間であった。ふたが見事に吊り上がると、黒ずみ、かなり崩れたリンネル布におおわれた第二の見事な人型棺があらわれてきたのである。このリンネルのおおいの上には、オリーヴ、やなぎの葉、青ハス、矢車菊の花びらを織り成した花飾りがあり、やはりリンネルにおおわれた額のシンボルの上にも同じ花々の小さい花輪が見つかった。

―「ツタンカーメン発掘記(下)」ハワード・カーター/筑摩書房より


花輪の成分については「ツタンカーメン発掘記」の付属資料内で詳しく分析されていて、ここに書かれているのはカーターが見たままの風景でしかない。それでも、棺を開いた瞬間、一見して、ヤグルマギク以外にオリーブやハスもまじっていることが分かったらしい。

ちなみに、第一の棺の足の部分はオノでバッサリ切られてしまっている。第二を棺は兄さんの墓からかっぱらってきたせいか、第一の棺に対して大きすぎて蓋が浮いてしまったのか。そもそも墓自体、宰相アイ用に作られたものを転用しているので棺の大きさと石のお棺とが合わなかったのか。とにかく、かなり豪快に、はみ出した足の部分のでっぱりをオノで叩き落す という、ヤッツケ仕事をした痕がある。

私の仕事がヤッツケです。(オイ


つまり、吉村氏の言うとおり第一の棺を閉じたときに王妃が花束を入れようとスタンバっていたとしたら、第一の棺の足ブチ割り大作戦は、王妃の了承を得て行われたことになる。

 職人「あーやべ、お棺がしまんねーんですけど。奥さんどうしましょう」
 王妃「…しょうがないから足のとこ削っちゃって」
 職人「らじゃ!!」… ドカーン! …

って、とってもシュールな葬式の場面が出来上がるんですよね(笑) ※1
華奢で美少女で未亡人な王妃のイメージを作りたいなら、彼女のためにも、埋葬には立ち会わなかった説をとったほうが賢明だと思う。

それと、現場見取り図見れば分かるとおり、棺の置かれていた玄室は非常に狭い。三重の棺をおさめた石の棺、さらにその周りを囲んでいた厨子の幅を考えて計算すると、壁とのスキマは約30センチ。そんな狭いとこに、汗臭い職人と王妃がギュウギュウに立ってたとか、これも結構シュールな画面ですよ。吉村先生、現場の見取り図見てから説を作ったほうが良かったんじゃ…。 ※2




※1
”フタが閉まらなかったのを現場で処理した” 証拠としては、棺の中に木屑が落ちていたこと、棺の傷跡を見えなくするために、その場で上から香料かけてしまったため棺の中がベトベトになってしまったということがあげられます。
ちなみに、その香料が接着剤の役目を果たしてしまったので、中に入っている花輪その他の遺物が棺にくっついてしまって、発掘者のみなさんは困ったようです。


※2
ちなみに全体の見取り図はこちら
玄室の長さ4mに対し、棺の大きさは約2m。その周りにさらに厨子が取り囲むため、壁との隙間は広く見積もって0.5m。さらに、一番外側の蓋は約1.25トンあったため、カーターたちは工具を使って作業している。当時の職人だってもちろん器具を使って蓋を置いたはずだ。このことからして、埋葬はかなり汗臭い工事現場であったことが予想される。



▼さらに第三の棺の上にも花

ま、まぶしい・・・。
最後が、若いころの顔とされる第三の棺。

拡大写真をつけたので見てほしいのだが、うーん…この写真からだと、よく分からない。一見、生花ではなく作り物のようにも見える。
「ファイアンスの青いビーズと一緒になっており、触れるとボロボロに崩れた」と、カーターは、かなりそっけなく書いている。(遺物番号255b)

花輪の成分についても、詳細データが見つからなかった。青いガラスビーズ、種類の不明な様々な花、葉、果実(ザクロを含む)であり、漠然としている。それらを支えるのがパピルスで編まれた台であり、花輪というよりはフラワーアレンジメントの壁掛けみたいな形状だろうか。




※クリックすると拡大します




この第三の棺は純金製で、花とビーズは香油のお陰でベッタリ表面にはりついていた。カーターの見積もりでは、ぶっかけられた香油はおよそバケツ2杯分と見られている。ブッかけすぎ!!
金の棺のフタを綺麗にする為、お湯を使った洗浄が行われたようで、もしかしたら花輪の花は、はがして捨てられちゃった…のか?



▼ミイラ本体


オレの中学んときの数学の担任ソックリだorz最後。これがミイラに被せられていた黄金のマスク。
ミイラを包む布の中にもたくさんの花が入っていたとあるが、「織物の花」という表現がされていることから、生花ではなく作り物であったようだ。

ミイラの上には、第一の棺をぶち割った(笑)ときの木屑、そのごまかしのために注がれた香油、埋葬の際に落ちた花輪の断片などが発見されている。

ふつう近しい遺族である王妃が花を入れるなら一番内側の棺の中だと思うのだが、残念ながら若き王の安息の棺には、夫婦間のとくべつな愛を示すものは何も入っていなかった。
ま、所詮は状況に過ぎないため、それについてのコメントは避けよう。




▼花は他にもあった

…と、なんだか棺の中には一般に知られているより沢山の花が入っていたことが、しっかり分かっていただけたかと思う。
実はこれだけじゃない。

棺の中だけに花が入っていたなら興味深い発見だったのかもしれないが、ツタンカーメンの墓からは、棺以外の場所からも花が見つかっている。
ハワード・カーターが最初にツタンカーメンの墓に入ったとき、すなわち、スポンサーであるカーナーヴォン卿とその娘イーヴリン嬢とともに前室に入り込んだとき、彼は「敷居の上に置かれた、とても保存状態のよい花束を見つけた」と書いてある。その花輪は本物の花とガラスやファイアンスの焼き物から構成されていたという。
コレ?
また、「北側の中央のあたりの床に、優雅な弧型の蓋を持つ長さ60センチほどの彩色手箱とともに、花びらも葉も残っている大きな花束が残されていた」とも書いている。

 写真は右図のとおり。(遺物番号18、19a)

床の辺りにも葦らしきものが散らばっているのが見えるし、全体として、かなりの量に及ぶ。もちろん古代エジプトの墓に生物を入れることは普通なかった、などという話もデッチ上げ。奥にある人物像の実寸は小柄な人間くらいある。比較して、この花束はけっこうな大きさであると分かるだろう。

ちなみに、棺のあった玄室の南西の壁にも大きな花束があった。(遺物番号205)
全体写真は残されていないが、上の、遺物番号18、19aの花束と同じような形状と思われる。成分はヤグルギクとオリーブである。



▼花輪は王妃が作ったものではない、ならば花束は?

これだけ沢山の花を、王妃一人が担いでくるのはまずムリだと普通は思うだろう。
そのとおり、ハワード・カーターは、棺の中に入っていた花輪について、王妃の作ったものだとは信じていない。ちなみにカーターの手記は、発掘がすべて終ってから纏められたものではなく、その時、そのシーズンごとにまとめて発表されている。従って、ツタンカーメンの棺を開いて第一の棺の上の花束を見たときの言葉は、そのあと第二の棺を開けて花輪を見るより以前の感想である。

第二の棺を開けたときについて、彼は、こう語っている。

リンネル布の上におかれた花飾り、花輪は「ヘリオポリスの審判の間から、誇らかに出でたもうオシリスにささげた花輪」であって、ガーディナー博士の意見のように、最後の審判の日、ただしきものに与えられる「正義の花輪」をわたしたちに想起させるが、プリニウスの記している古代エジプト人の花輪の実例にほかならなかった。この花飾りが入念で精密な出来栄えであるところからみて、古代エジプトの世界でも、後の時代と同様に、特別な職業として花輪つくりの仕事があったにちがいないと信じてよいようである。

―「ツタンカーメン発掘記(下)」ハワード・カーター/筑摩書房より


花輪は専門の職人が作ったものであろう、とハッキリ述べているじゃないか…。
その花輪と同じ花を使って作られた花束だけが王妃の作ったものだと、何故言えるだろうか。誰がそんな都合のいい空想を信じる? 余った花で作った花束を、最後に職人が投げ込んだと考えるほうが、まだ合理的である。

 学者としてやってはいけないこと、その3。元ソースに無い文脈を作ってはいけない。

上の引用部分だけでも十分だろう。そもそも王妃が野で摘んできた花をソッと入れた、なんてのは元ソースには存在しない上、当時の学者も、発掘した本人(学者ではなかったが)も、思っていなかった。つまりテレビで散々流されているイメージは、”勝手に”、都合よくドラマチックな演出をするために作り上げた話なのだ。視聴率さえとれれば学術的な正確性などどーでもいいマスコミがやるぶんには「マタデスカ?」で済むだろうが、そこに本職の学者が加担するのはいかがなものか。それによって一般視聴者が抱く誤解について、加担した学者に何の責任もないとは私には思えない。


なお、この花輪に使われている花々についてだが、「大英博物館 古代エジプト百科事典」の「庭園」の項には、以下のような興味深い記述がなされている。

『トゥトモセ1世(前1504-1492)の建築家イネニの庭園の図には、19種類の樹木が表されているが、もっとも一般的な種のなかには、ピンクの花の咲くギョリュウ、アカシア、ヤナギがあった。』
『木々の間にはヤグルマギク、マンドレイク、ケシ、ヒナギクとそのほかの小さな花々が育てられ、宴会の際などの花輪を作るのに使うことが出来た。』

――と、いうことは、花輪に使われている花も、王家の庭園、もしくは花束をつくる専用に木々を育てている農家の元から運ばれてきたものだと推測できる。何かの行事のさいに花束を作ることは一般的であり、死者に対する特別な感情があって例外的に作られたものではない、と言えるだろう。

そう、「ヤグルマギクは王妃の深い愛情を以下略」と述べるには、故人の棺に花を入れることが珍しい、という前提がなくてはならない。それが特別なことであるから際立つのであって、特別な意味を読み取りたくなるのであるが、上記のような理由から、花は特別な理由があって入れられたわけではなく、そういう習慣だったから入れられた、それも専門の職人たちが作って入れた、と見なすのが、おそらく正しい。

確かに、古代エジプトの王たちの棺に、実際に花束や花輪が入っていたという話は、あまり聞いたことがない。(しかし皆無ではない)そうしたものが見つかること自体が珍しく、だからこそカーターも感動を覚えたのだろう。
だが―― 花束とともに見つかった王は皆無ではない。※3

カイロ考古学博物館のミイラ室2には、ラメセス9世のミイラが、ミイラとともに発見された、ほのかに色の残る花が展示されている。それ以外にも植物で出来た首飾りをつけているミイラは決して1つではない。また、生の花が残っていなくとも、ミイラボードやミイラ型の棺の首の部分に首飾りとして花が描かれているものがあり、死者に花をたむけることは儀式的な行為であり、それを誰が入れたか、誰の意思かを知るには文字的な証拠がなければ不可能であることを知らしめてくれるだろう。


※3
そもそも自分の墓で、未盗掘で発見された王はこの時点でツタンカーメンのみ。
自分の墓で見つかった王の例としては、1898年に発見されたアメンヘテプ2世(KV35)のミイラは、首にミモザの花輪をかけていた。


「ツタンカーメン発掘記」を読むと分かるが、カーターはそれまで、荒らされた王の墓しか見たことが無かった。あるミイラは一部分だけ、またあるものは無残な姿で、副葬品もなく、本来の安息の地でもない場所に押し込められていることについて語っている。また、カーターの時代、王家の谷の王たちの墓はほとんどからっぽになっており、遺体は「ロイヤル・カシェ」と呼ばれる仮のかくし場所に移されていた。そこからまとめて発見されたものが現在カイロでお目にかかることの出来る王・王妃たちである。

だからこそ花束を見つけたとき、「古代人」と「現代人」の間の紛れも無い共通点を知り、

 それ(花束)は3300年といってもごくわずかの時間であって、昨日と今日の間にすぎないことを物語っていた。
 まことにこの一脈の自然は、古代とわたしたちの現代文明を近しいものにした。

 >>ツタンカーメン発掘記 第二部第三章

…と、言っているのである。

文脈を読めば、古代の埋葬に花束が入っていたこと自体に感動しているのであって、王妃が花束を入れたと思ったから感動したわけではない。ここがポイントだろう。


実際、ツタンカーメン墓が見つかる以前は、自分の墓で見つかった王はアメンヘテプ2世だけだった。
それほど盗掘は激しく、多くの王たちの遺体は「ロイヤル・カシェ(カシェは「隠し場所」)」と呼ばれる狭い墓の中にギュウギュウになって再埋葬されていた。包帯を巻きなおした痕跡があるものも少なくなかったが、その理由は貴重な石で作った護符を、包帯のなかに巻き込んでミイラを作っていたためである。護符をぬきとるために盗掘人たちは遺体の包帯をほどいてしまい、ひどい遺体だとバラバラに分解された状態のまま放置された。その際、金にならない、価値のない花は、「存在したとしても」どこかへ打ち捨てられてしまっただろう。

墓が暴かれ、棺が荒らされ、別の場所に改装された王たちには、過去に花が供えられていたとしても立証することは出来ない。
それは、盗掘されたピラミッドを指して、「ここには遺品が何もない。だから墓ではない」と述べるのに等しい。

他の王たちが家族から愛されなかったわけではない。
ツタンカーメンだけが特別な愛情を受けていたとは限らない。
花が意味するところは、カーターも感じていただろう、「人類が原始人の時代から普遍に持っている、死への畏怖と故人への追悼」。それだけが、疑いようのない事実なのである。



結論として、「ツタンカーメンの棺のヤグルマギク」は、証拠もないのに、情報操作によって、さも特別なものであるかのように錯覚させられた遺物 だと言える。

棺や玄室に入っていた数多くの花を無視し、棺の一番上に入っていた花束一つだけに対し想像した個人的な願望を事実であるかのように主張したものが、テレビで流されているアレなんですよ。

そもそも、この墓にはツタンカーメンと、ツタンカーメンの子供(未熟児)と思われる赤ん坊のミイラだけがあって、王妃のミイラは納められていない。で、サンダル・ボードゲーム・ライター・ハエタタキまで墓に入れてるくせに、王妃自身が入れたとハッキリ分かる遺物は無い。古代エジプトには死者の棺に手紙を入れる風習もあったのに、そういうモノもなく。本当に夫婦仲が良かったのかどうかなんて、お昼のワイドショーくらい下世話な推測です。まともな学説として成り立っているとは思えない。


古代エジプトといえば吉村教授でしょ! というくらい日本では知れ渡った人ではあるが、言ってる内容は、事実をかなり都合よく脚色したものでしかない。私の評価としては「信頼の置けないエセ学者」。吉村ファンには申し訳ないが、調べれば調べるほど情けないほど誤魔化しと、偽りと、デッチ上げをやらかしている。

  花束は王妃が入れたものだ、という証拠がないのに断言している。
  実際は存在した、ほかの沢山の花について語ろうとしない。
  カーターが述べていないことを、述べたかのように言う。

  言ってること・やってることが、オーパーツ大好きなトンデモ学者と大して変わらない気がするんですけど…。

もう、ここまでツッコミ入れちゃったら私は後には引けません(笑) あなたにも是非とも疑っていただきたい。次にテレビでエジプト特集が放映されたときがチャンスですよ!
これだけ調べてレポートしても、まだ「だって吉村作治の言うことのほうが正しいもん」…て言われたら、正直どうしようもないですけどね。ページ末尾に参考資料あげておきますので、疑わしかったら自分でご確認ください。ツタンカーメン発掘記を通読するだけで、吉村氏の言ってる内容に「あれ?」と思えるはずですから。


*** 余談

…そもそも私が「ツタンカーメンのヤグルマギク」に食いつこうと思った動機だが、このオーパーツ(笑)が、古代の殺人事件の犯人をデッチ上げる証拠として使われていることが非常に 気に食わなかったからです。

どんな学者でも偏った意見は持つものだし、自説にそぐわない事実を隠そうとするのも、一般人受けするよう理屈をはしょってセンセーショナルな結論だけを口にするのも、まぁ、褒められたことではないが、やってる人はいらっしゃる。
だが、それによって故人に殺人犯の汚名を着せるという態度は許しがたいものがある。

棺から見つかった”花輪”に対する情報操作が、アンケセナーメンについての良き人物像を描き出すだけなら、まだ良かった。
本当の問題は、「王妃はツタンカーメンを愛していた。だから王妃は王を殺していない」という、ムチャクチャな推論にある。この推論は、必然的に他の者に殺人犯の汚名を着せる。吉村きょーじゅが出ているテレビのエジプト番組で、ゲストタレントが無邪気に殺人犯を探して、ツタンカーメンのあとに即位したアイやホルエムヘブを中傷しているのを見て、嫌な気分になったのは私だけではあるまい。

殺した証拠もないのに推論に推論を重ねて殺人犯呼ばわり。アクエンアテンがむちゃくちゃにしたエジプトの国勢を頑張って立て直した二人の王に対する、それが正しい態度なのですか、と小一時間。私には、アイやホルエムヘブが悪人だったとは思えない。ミカ・ワルタリの「エジプト人」の影響かもしれないが、彼らは頑なに宗教改革路線を突っ走り、国政のコントロールを失っていくアクエンアテンのもとで苦労しながら何とか国を立て直そうとしていた賢臣だったと思う。それを、どーでもいい証拠で「ツタンカーメン殺したろ?」ですから(笑) いっちょ証拠崩したるぜ! って思いますや。


 ちなみに、まともなエジプト学者の多くはツタンカーメンが暗殺されたとは信じていないようです。

いつもの吉村節で、まるでツタンカーメンが毒殺されたことが世間的に認められているみたいな言い方をよくされていますが、「証拠が無いのに断言している」だけです。

ま、そのお話は、オーパーツじゃないのでまた今度


★おまけ
エジプト・カイロにある「ファラオ村」では、ツタンカーメンの墓が発掘された時の状況をリアルに実物大で再現してくれている。
参考までに、どうぞ。

ここが「付属室」。
吉村氏&遊学舎が「これが王妃の入れた花束です!」と言い張った遺物の実際の発見場所かと思われる。
ツボとセネト(盤ゲーム)が見える。
前室から、壁の奥、埋葬室を見る。花束などナマモノは再現されていないようです。
実際の写真と比較)
棺と埋葬室も実物大。このクソせまい所で王妃が花束を入れていたという説はちょっと無理があろう。
石棺閉めるだけでもギリギリそうなのに。
通路はこのとおりギッチギチ。
木の棺カバーは石棺をしめたあとにパネルで運び込んで組み立てたんでしょうが…
なんていうか、せまいのです。



#参考資料
ナショナル・ジオグラフィック日本語版 2005年6月号(花輪の成分確認)
ツタンカーメン秘話 トマス・ホーヴィング(墓見取り画を転載)
ツタンカーメン発掘記(上)(下) ハワード・カーター/酒井傳六・熊田亨 訳  筑摩書房(カーターのセリフ引用)

#何か勘違いしていたら指摘ヨロ。調査もれや資料の理解し間違いもあるかもしれません。
 あと、吉村氏の本は最近読んでないから正直よくわからん…。


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