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【エジプト限定】オーパーツコレクション

ギザの三大ピラミッド


エジプトオーパーツの筆頭として挙げられるのが「ギザの三大ピラミッド」である。
ギザに建つピラミッドは、確かにデカい。そして謎に満ちている。三基並んでいるさまは雄大だ。実際に目の当たりにすると、あまりのデカさに「作った人たちは相当アホだ。」と呆れてしまうほどの存在感がある。

しかし「オーパーツ」というのは、「この時代ではありえない、ここにあってはいけない」人工物というモノのはずだ。

 エジプトでは、ピラミッドは別段珍しいものではない

ピラミッドは、現存しているものだけでなく、未完のもの、崩れて形が殆どなくなってしまったものまで含めると、約120基 (※具体的な内訳はこちら) 存在する。日本でたとえると、古墳のようなものだ。誰もが頭に思い浮かべる古墳といえば仁徳天皇稜であるように、数あるピラミッドの中で最大にして最も有名なものがギザの三基であり、それ以外にも小さいもの、形の異なるものが大量に存在する。
また、日本に古墳時代と呼ばれる、古墳が集中して作られた時代があったように、古代エジプトにも、ピラミッドが集中して作られた「ピラミッド時代」とでも呼ぶべき数百年が存在する。古墳は古墳時代の政治の中心だった京都・奈良・大阪あたりに集中しているが、エジプトの場合も同じように、ピラミッド時代の政治の中心だったメンフィス、ヘリオポリスに近いギザ・サッカラ付近にピラミッドが集中している。
その意味で、これをオーパーツと呼ぶのはどーなのよ…? と、思ってしまうわけだが。

とりあえず適当に、有名どころのピラミッドのデータを並べて出してみよう。(全部調べるのが面倒だったというのはナイショ)

場所 ピラミッド名 所有者 制作年代 元の高さ 元の底辺の長さ
ザウィト・エル・アリヤン ?(階段ピラミッド) カーバー 第三王朝 未完成 未完成
サッカラ ?(階段ピラミッド) ジェセル 第三王朝 60m 107-123m
ギザ クフは地平線に属する クヌム・クフ 第四王朝 146.6m 230.37m
ギザ カフラーは偉大なり カフラー 第四王朝 143.5m 215.25m
ギザ メンカウラーは偉大なり メンカウラー 第四王朝 65-66m 103.40m
アブ・ロアシュ ジェドエフラー 第四王朝 未完成 約100m
アブシール サフラーはバアのために輝く サフラー 第五王朝 48m 78.5m
アブシール ニウセルラーの住まいは永遠なり ニウセルラー 第五王朝 51.5m 81m
アブシール ネフェルイルカラーはバーになった(?) ネフェルイルカラー 第五王朝 70m 65m
サッカラ ウセルカフの住まいは清らかなり ウセルカフ 第五王朝 49m 73.5m
サッカラ ウナスの住まいは完全なり ウナス 第五王朝 43m 57.5m
サッカラ テティの住まいは長く残る テティ 第六王朝 52.5m 78.5m
サッカラ ペピは完璧に建てられている ペピ1世 第六王朝 52.5m 78.5m
サッカラ ペピは完全に生きている ペピ2世 第六王朝 52.5m 78.5m
サッカラ メルエンラーは美しく輝く メルエンラー 第六王朝 52.5m 78.5m

※データ元は「ピラミッド」アルベルト=シリオッティ/河出書房


第三〜第六王朝の王たちは、軒並みピラミッドの建築を行っている。本体ピラミッドのそばに小さなピラミッド(衛星ピラミッドと呼ばれる)を伴うこともあり、冒頭の約120基のうち大規模なものは、この時代に集中して作られている。まさに大ピラミッド時代だったわけだ。日本の古墳時代みたいなものだろう。
なので、

  100以上あるのに、なんでギザの3基だけが特別視されるのかがよく分からない。


ピラミッド自体が珍しいなら分かるが、なんでギザのだけがオーパーツ…?
あれか、目立つからか、三基並んでいるからか? 林の杉は気にならないのに、街道沿いの三本杉だけは気になる、とかいうのと同じですかね…。

確かにこの三基は特に大きいが、この王たちは、逆にそれしか作ってない。ややピラミッドが小降りになる第五王朝の王たちは、ピラミッドを建てた上、さらに、そのピラミッドと同等、もしくは、さらに巨大な太陽神殿も建立している。在位期間中の労力を一点集中させるか、ニ分割するかだけの違いとも言える。

もしもギザの三基をオーパーツにするのなら、その前後に作られたピラミッドも、すべてひっくるめてオーパーツと呼ばなくてはならない。オーパーツなのに大量にある。 まーあれだ、そこまで覚悟を決めて挑む気があるかどうかってことですね。



…で、私自身はピラミッドのどこらへんがオーパーツに見えるのか良く分からないので、とりあえず、「あまりにも巨大で古代人に作れたと思えないから!」という考えでオーパーツと称されているのだと仮定して話を進めてみる。

ピラミッドは確かに巨大だが、実は、他の巨石遺跡に比べると、作るのにそれほど労力がかかっていない。
クフ王のピラミッドの基盤に使われている最大の石で、10トン程度である。(平均で2.5トン/2300万個) ※最大の石は15トンであると書いてある資料もある
「王の間」の天井部分に使われている花崗岩は約60トンあるが、これでさえエジプト人が運んだ中では「軽いほう」で、アスワンにある未完成オベリスクは約1000トン、テーベ西岸の「メムノンの巨像」は720トン。さらにいうとテーベの神殿の入り口に立てられた旗ざお用の柱は、一本で5トンである。ピラミッドに使われた石を運ぶこと自体は、人海戦術でどうにでもなったレベルといえそうだ。(石の重量は「古代エジプト神殿大百科/東洋書林」より抜粋)
イングランドにあるストーンヘンジで最大の石の重量が50トンで、しかも石器時代に作られていることからすれば、銅器が使えて人手もかけられたピラミッド建設などは、むしろ巨石建造物としては建造が簡単なほうだったかもしれない。(石の重量は「巨石 イギリス・アイルランドの古代を歩く/早川書房」より抜粋)
大ピラミッドの天井部分など特殊な石をのぞけば、ピラミッドに使われている石は、数は多いが、一個一個は動かせないほどじゃないのだ。人間の力を甘く見ないほうがいい。

そしてエジプトには、素晴らしい天然の幹線道路、ナイル河というものがある。

上流にアスワン・ハイ・ダムとアスワン・ダムの二つのダムが出来て水の流れが細った今のナイルからは想像しにくいかもしれないが、増水季にはピラミッドのある台地のすぐ下まで水が来る。ピラミッドは当時の河の流れに添った岸辺に作られているから、船で石を運ぶなら、工事現場に直接乗り入れだって可能。実際、ピラミッドの側、スフィンクスより少し町に近いあたりでは、古代の波止場跡が見つかっている。スフィンクスのあたりから石を引き上げ、ピラミッドの場所まで運ぶなら、それほどの距離でもないだろう。

※ワンポイント:
「なぜピラミッドは全部、ナイルの西岸に作られているのか?」「何か理由が?」…
それは、おそらくピラミッドが、もともと墓として想定されていたから/墓から発展したからだ。太陽を信仰する人々にとって、日没の方角である西は「死」と「死者の国」を意味した。逆に日の出の方角である東は「新たな誕生」と「生」を意味する。だから、マスタバ墓から進化したピラミッドは死の方角である西に作られ、対岸の東には生者の町であるヘリオポリスが築かれた。
のちに首都がテーベに移転したのちも、この伝統に沿って、河の東に生者の町テーベ、対岸の西に死者の町である「王家の谷」が作られている。



▲ピラミッドは進化する

日本の古墳だと、方墳、円墳、両方をあわせた前方後円墳、など形による様々なタイプがあるが、エジプトのピラミッドも時代による形の変遷がある。

まず最初の形が「マスタバ」。これはアラビア語でベンチを意味する言葉で、四角く平たい墓である。
何故こんなかたちをしているのか。実はこれ、「宮殿」の形なのである。(外装も宮殿風に整えられている)


         ↑サッカラのマスタバ 復元図

王名を飾る輪「カルトゥーシュ」は、第3王朝まで「セレク」と呼ばれる四角い枠を使用していたが、このセレクは宮殿の外壁を意匠化したものだ。セレクに囲まれた王名は”王とは、宮殿の中にいるもの” ということを表している。

   セレクに囲まれた王名の例

のちの時代になると、セレクは一部にしか使われなくなり、メインとなる王名は「永遠」を意味するわっか、通称「カルトゥーシュ」で囲まれるようになる。権力と富を手にし、地上の生ける神として君臨するようになった王が、死後も続く「永遠」の栄光を意識するようになったと解釈できる。


    カルトゥーシュに囲まれた王名の例

この頃から、ミイラづくりの技術が飛躍的に上昇し、永遠に朽ちない墓への関心も高まっていた。
さきに挙げたピラミッドリストに、ピラミッドの名前として「xx(王)の家は永遠なり」とか「xx(王)の家は永遠なり」と、名前がついていることを思い出していただきたい。
墓=王の永遠の家 なのである。よく知られている、エジプトの王を意味する言葉「ファラオ」の語源は「大きな家(ペル・アア)」だが、この「家」とは、墓を指していた可能性もある。王は生きているときは生者の宮殿の中に在り、死してからは死者の宮殿(=墓)に座する。という思想だ。権力を手にした者が次に望むのが永遠の命。どこの世界でも、エラい人の考えることはだいたい同じなのだろう。


さて、時代が進み王権が増大するにつれ、この「マスタバ」と呼ばれる墓はグレードアップして、より立派になっていく。
マスタバ墓を何層も上に重ねて、なるべく空に近づこうとしたのだ。

※実際の建築方法は、下から順番に積み上げたわけではない

上へ上へと延びる階段状の墓、やがてピラミッドへと進化していくそれが作られた時代には、太陽信仰が盛んだった。「太陽と一体化して日没とともに西の空へ沈む」という信仰が重要視されていたのではないかと推測される。一部のピラミッドの内部に書かれていたことから「ピラミッド・テキスト」と呼ばれる、死後の世界に至るための宗教文書によれば、日の出とともに、太陽と一体化した魂は再生するという。積み上げられたマスタバは、太陽に近づくため、ひいては太陽と一体化し永遠の命を得るために必要な、「天への階段」だったのではないだろうか。

やがて階段ピラミッドは、第三王朝のジェセル王とスネフェル王の時代に大きな変化を遂げる。
スネフェル王の作った階段ピラミッドはマスタバを重ねただけの、文字通りの「階段」。当初マスタバだったものを増築し、上に積み上げたカタチになっている。
ピラミッド建造の歴史は、ここから始まる。




それに続くスネフェル王の屈折ピラミッドは真ん中で折れ曲がって、ちょうどオベリスクをずん胴にしたようなカタチをしている。そして同じくスネフェル王の作った赤のピラミッドは、ギザのものよりなだらかな四角すいだ。
そして、これより後世の王たちは、スネフェル王の編み出した形――四角すいの、赤のピラミッド方式を採用した。

この形が選ばれた理由は、おそらく太陽信仰にある。ピラミッドは、太陽信仰のシンボルであるベンベン石と同じ形状をしている。階段状より四角すいのほうが、太陽光を反射して神々しく見えるのだ。四角すいの形は、第五王朝の王たちがつくった太陽神殿の屋根の部分にも使われている。

もともと地方の都市ごとに半独立状態にあった初期のエジプト王国の中で、官僚体制が整い始め、中央集権制が機能し始めたことは、大規模な建造物が出現したことには密接なかかわりがある。人が大勢、一箇所に集まること。それを的確指揮する人間がいること。
…誰も、一人ではピラミッドのような大きなものは作れない。人と指揮体勢がなくては、巨大建築は成し遂げられない。王権が確立されてはじめて可能になる大事業だ。そして王権の後ろ盾というのが、太陽神ラーだったのだ。
王は太陽神の息子、または太陽神の生き写しとして扱われていた。いわば現人神として崇められていたのである。王が偉くなるということは、王の後ろ盾となっている太陽神様の権威も増すということだったのだ。

ピラミッドが作られなくなっていった後世―― それは、 ピラミッド時代に信仰されていた太陽神、ラーの権威が落ちていった時代でもある。別の神アメンが最高神となり、そのアメンと吸収合併したアメン・ラーという形で残ってはいるものの、ピラミッドが作られていた時代とは信仰の内容が変わっている。
ピラミッド建設は太陽神ラーの信仰と密接な結びつきがあり、ほかならぬ、ラー信仰が最も高まっていた時代だからこそ、作られたということが出来るだろう。


…逆にいうと、太陽信仰のシンボルである巨大なピラミッドは、ラー信仰の高まっていた、第四〜第六王朝の時代以外に建造されたとは考えにくい。たとえばギザで最も大きなピラミッドはクフ王のものではない、と主張する人がいるが、その近辺にあるピラミッドの多くが第三〜第六王朝に作られたものである以上、そこから時代が大きくズレる可能性は低い。
よって、ギザの大ピラミッドに書かれた「クフ王」の文字が仮に存在しない状態だったとしても、後世の伝承が間違っていたとしても、そのピラミッドがクフ王のものではないという証拠にはならない。

他のピラミッドには、所有者が明らかなものも少なくない。(場合によっては中にピラミッド・テキストという形で、所有者の名前が繰り返し登場する)
同じ様式、同じ素材で作られている以上、それらとギザの大ピラミッドの間に繋がりがないと考えるのは不自然で、ギザのものだけ何千年もズレた時代に作られるなどと論ずるのは無理がある。繰り返しになるが、ギザの三つのピラミッドの建造年代が、現在知られている紀元前2500年ごろではないと主張したいのであれば、ご近所にある類似のピラミッド、ピラミッド建造の基盤となっているマスタバなど、すべての建造物の建造年代を変更しなければ辻褄が合わなくなってしまうだろう。

そして、現在……
ギザのピラミッドが第四王朝の王たちによって作られたものではない、と主張することは、ほとんど意味がなくなりつつある。
大量の物証があるのだ。


▲ギザにピラミッドを作った人々

ここ数十年で、ギザ台地の発掘は大きく前進している。1900年代後半に入ってから、ピラミッドの周辺に職人たちの町、供物などを収めておく倉庫、波止場、職人たちの墓地といったものが次々と発見されている。

ピラミッド建造に携わった人々は、およそ数万。ピラミッドの近くに住み、専属の職人として働いていた。もちろん家族もいたし、整地や測量を行う技師、石材を運ぶ労働者、装飾などを担当する絵師、書記、さらには炊き出し担当のパン職人、ビール職人… 町には様々な生活の痕跡がある。大ピラミッドの東側と北側には彼らの墓地も見つかっている。(一般人の墓といっても、高官のマスタバ墓も含まれる)

ピラミッドは、太陽信仰の象徴であり、最大のシンボルである。太陽神の信仰を植え付けられた人々にとって、そのシンボルの建造に携わり、死してその側に眠ることは、大いなる名誉だったのではないだろうか。彼らは永遠と、死後の再生を信じてピラミッドの建造に一生をかけた。



ピラミッドの写真を見れば、その近くにイロイロと建造物っぽいものが映っているのがご覧いただけるだろう。
これ、ピラミッド時代に生きた人たちの墓や、ピラミッド建設に参加した人たちの家の跡なんで…。砂漠のまんなかに、どかんとピラミッドだけ建ってるわけじゃなくて、周りにイロイロと物証があるわけ…。
時代から切り離された「オーパーツ」ではなくて、時代の中に存在する遺物なんですよ。

壮大な神話、人の情熱、純粋な信仰。何十年にも渡ってギザ台地に繰り広げられた、人々の日々のドラマ。
物証だけではない。労働者たちの書いた何気ないラクガキ、作業工程に関するメモ、王をたたえる言葉、ビールの配給の記録(笑)など、当時を雄弁に語る証拠…ピラミッド建造の舞台裏は、今現在も日々少しずつ明らかになりつつある。


さて、ピラミッドを作った人々は、確かに存在した。その生活の痕跡も見つかった。
もちろん住居跡や、現場付近から使用された道具も見つかっている。
と、いうことは…残りは、その人々が、その道具を使用して、具体的にどうやってピラミッドを作ったのか、という「建造方法」の部分だけなのである。これは考古学者はちょっと苦手かもしれない。考古学というより建築学の分野に踏み込むことになるかもしれないからだ。

だが近年では、先述したウーダン氏による仮説も含め、現代建築や日本伝統の木造建築建を手がけるプロ建築家がピラミッド建築の手法について検証をはじめている。、推測された建造方法を実際に人力で試してみるプロジェクトというものも行われた。その結果として、詳細な作り方まで特定することは難しくても、ピラミッドを作ることは決して不可能ではない、という展望が見えて来た。


――と、このように、具体的な研究が進みつつある今、ピラミッドが「オーパーツ」であるという視点は、もはや時代遅れと言えるかもしれない。
「ピラミッドをどのようにして作ったのかに合理的な説明をつけることはできない」とか、「あんな巨大なものを人間が作れるはずがない」とかいうのは、数百年前の情報レベルの議論だ。

ちなみに、上のジェセル王の階段ピラミッドと同じように、メンカウラー王のピラミッドの断面を出すと、こんな感じになっている。




けっこう作り直した形跡があるのだ。必ずしも、すべて計画通りにカンペキに作られているわけではない。
これはもっとも巨大な、クフ王のピラミッドにも言えることである。芯になっている部分と表面の部分で作った王が違う可能性もあるが、それは此処ではおいておく。すべての謎が明らかになっているわけではない。


エジプトでは、毎年どころか、季節ごとに新しい発見があり、膨大な研究論文が発表されている。興味を持つ人は全世界におり、専門家からアマチュアまで様々な人が議論を交わしている。古代エジプトは、世界中で最も愛され、最も興味を持たれている古代文明と言って過言ではあるまい。興味を持って知識を受け入れれば、ピラミッドはきっと、空想だけでは思いもよらなかったような、驚くような素顔を見せてくれるだろう。


***
2007/02/09 追記

クフ王のピラミッドの「重量拡散の間」や「大回廊」がスゴい構造なのでオーパーツ。な意見をいただきました。
ふむ…
確かにあの二つは、すべての現存するピラミッドの中でクフ王のにしか無い構造。なかなかよく出来てますよね。
ただ、「重量拡散の間」は、その空間が何のために作られているのか良くわからなかったので「石の重量を和らげるつもりだったんじゃないかなあ」という予想でつけられた便宜上の名前です。実際は重量は拡散してません。それどころか…

 中心線からズレてるんですけど…。

「王妃の間」と呼ばれる地下室と二番目の玄室はほぼ中心なのに、でかい部屋だけズレてます。
設計ミスじゃねぇのかコレ
エジプト人ならやりかねん。(笑) だが、まあ、もしかしたら、何かすごく深い意味があって、敢えて中心からズラしたのかもしれないですよね! そこまで計算していたら凄いですけどね! シャフトの出口が外まで繋がっていないのも、きっと途中で建造計画を変更したからではなくて、何か意味が(略)

…あったら、いいなあ。


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