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前の項で一般的なところを流しておいて、実は、ここからが真に書きたいことだったりする。(笑)
アテン神とは、具体的にどんな神だったのか、どんなふうに信仰されていたのか、神話的な位置づけなどを、自分流に書いておきたい。
まず、アテンとは、太陽光線を神格化したものであるところに注目してもらいたい。
太陽光線は像に出来ない。(当たり前だが)
壁画では便宜上、姿を伴って描かれているが、それは真の姿ではない。
アマルナには「アテン神殿」があったが、そこには一切像は無く、天井からさしこむ太陽の光が”ご神体”だった。と、いうことは、実は、誰にでも神の姿が見えたと、いうことである。
普通、神の像は一般人の目から隠されていて、世話役の神官のみが神のすまいに出入りすることを許されていた。祭りの際、神殿から像が担ぎ出される時でさえ、神像は神輿の中におさめられ、人目には決して触れなかった。
(※ミン神をのぞく。)
太陽の光が神ならば、光は誰にでも見えるのだし、どこにいても礼拝は可能ということになる。
ある意味では公平であり、原始的な信仰だが、神像を作りようが無い。偶像崇拝禁止のはしりかとも思ってしまうが、祀る側からすると経費削減に結びつく、実際的な側面もあったのではないだろうか。
しかし、ことはそう簡単ではない。太陽の光は誰にでも見えるが、その「意味」を知ることが出来る人間は、選ばれた者だけだというのだ。
アテン信仰は王のみを神官とする宗教である。(「アテン賛歌」を参照。)
神=太陽光は、王のみに語りかける。選ばれた「王」という存在だけが神に接触できる。
誰にでも見え、誰でも崇拝できた神のはずだが、理解できたのは王だけなのだ。
わかりやすく言ってしまうと、太陽の光浴びながら恍惚として「おお、アテンよ…」なんて虚空に話しかけられる人は王・アクエンアテンしかいなかった、と。
太陽からの電波が来ています。
…と、いうのは冗談としても、一般的に、あまり理解されない思想であることは間違いない。
この、「王のみが神と接触できる」という教義が、神官の力を退けるためのもの、政策にまで口出しするようになっていた、神官団の権力を削ぐための言い訳だった…と、いうのが、よく言われている説である。
だが、果たしてアクエンアテンがそこまで考えてやったことかどうかは、はなはだ疑問だ。
そんな深いこと考えてないだろう、単に自分に電波が来てたんじゃないのか? と、私なんかは思っている。
父アメンヘテプ3世の時代からアテン神のレリーフなど作られせていたようだから、自分だけの神が欲しかったというのが動機ではないだろうか…。(サカキバラ?)
それとも、かつての王たちが、ホルスやラーの化身、現人神として敬われたように自分を神と同化させることによって、王自身がアテン神になりたかった(=王の神格化)…のかもしれない。
彼に政治的意図があったのか、単なるワガママで改革を行ったのか、真実は、もちろん推測するしかない。
だが、ひとつ確実にいえるのは、このアテン信仰への改宗は、民意を無視した政策だったということだ。
それまで民衆があがめていた多くの神々をいきなり迫害しはじめ、不必要なものとして捨て去れば、反発があるのは当然だろう。
何より、目に見えないモノを信用しろというのは、あまりに哲学的な信仰すぎて、民衆の要求にはそぐわない。
神殿は作れない、神像も作れない、では一体、何を信仰すればよいのか?
人々には分からなかったはずだ。受け入れられなくて当然の宗教改革だった。
アテン信仰がアマルナの街(のごく一部)にしか浸透しなかったことや、アクエンアテンが死んだ後はあっという間に消え去ってしまったことを考えると、アテン信仰はほとんど普及せず、アクエンアテンに対する民衆の忠誠は、かなり低いものだったと考えられる。
王にしか電波が届かないのだから、民衆には信仰する理由が無いのだが…。^^;
さて、そんなアクエンアテンの信仰だが、もちろん太陽からの電波が全てを教えてくれるものではなく、アテン信仰のうちの幾ばくかは、既に存在するエジプト神話の世界をある程度流用している。
たとえばアテンは唯一であり、万物の創造主である、とする思想である。
万物ということは、もちろん、最初の神々を創造したのもアテンである。と、いうことは、単体で生殖を行わなければならない。もしくは、妻が存在しなければならない。(原初の神とされるアトゥムは両性具有)
したがって、「唯一」であるからには、自分自身が、妻であり夫でもなければならないのである。
ここに、アテン神が男神でも女神でもない理由がある。
そして、アテン神の化身でもあるアクエンアテンが、男女両性をもつ姿で描かれた理由も、ここにある。
(彼が、男性でありながら女性的な体つきをしているのは、アテン神と自分を同一視するためだったのだと考えられるのだ。)
ならば、アテンに妻をつけても良かったはずだが、アクエンアテンは敢えてそうせず、一神のみを信仰の対象とした。
その理由については、次のような推測が出来る。
古代エジプトの思想では、同じ次元に、相反する二つの概念を持たせることが多かった。
たとえば西=太陽が死の国に向かう方向=死、東=太陽の生まれる方向=生。
荒れた赤い土地=砂漠=人が住めない世界と、肥沃な黒い土地=ナイルの川辺=人が住む世界。
夏と冬。昼と夜。あるいは男と女。
そして、これらが一つに統合されることで、世界が成り立っていると考えた。
死と生が一つのサイクルを成すように、西と東が結ばれて太陽の航路となるように、赤と黒の大地をあわせて一つの世界となるように。
エジプトは「二つの国」と呼ばれたが、これも、気候条件の異なる上エジプトと下エジプト、二つのエリアを統合させて一つの国として成り立っているという概念からだった。
この思想においては、「相反する二つが『ひとつに』なった姿こそ完全」である。西と東は西だけでは意味がなく、生と死は繰り返されるサイクルなので片方が失われればもう片方も存在しなくなる。
男女は両方が存在してはじめて、新たな生命を生み出す力を手に入れる。
もしアテンがオスだったとしたら、メスがいなければ完全な神ではない。(なぜなら、男は女から分かれた半身に過ぎないから)
アテン神が「一体で完全」であるためには、両性具有でなければならなかったのだ。
しかもアテン賛歌にもあるように、アテンは「世界を創造した、最初の神」でなくてはならなかった。
最初のひとりが自力で生殖活動を行うためには、自分自身に両方の性別を持たなくてはならない、という理由もあっただろう。
「両性具有は、カンペキなものにだけ与えられる」。この法則は絶対のものだったらしく、わりと何でも在りなエジプト神話だが、両性具有の神は、意外に少ない。
原初の神アトゥムだけは両性具有として語られていたが、太陽神ラーとなると、半身となる女性形を持っている。
ナイル河の神、ハピは、垂れた乳房を持ち女性と男性のまじりあったような体つきをしているが、単に肥満で胸が垂れているだけなのか、河の流れを乳にたとえただけなのか(ミルキー・ウェイのように?)、きちんと奥さんを貰っているので、性別自体は男性なのだろう。
しかし、こういった哲学的な思想は、一般市民には理解されなかったはずだ。
どんなに崇高な理由があろうと、”恵みを与える太陽光の神”などと美しい賛美の言葉で表しても、尊敬する対象としては、あまりインパクトがない。そして、独りよがりな神話の創造ほど、嫌われるものは無い。
古代エジプトの人々には、古来より受け継がれてきた、従来の信仰がしっかりと根付いており、そう簡単に取り払われるものではなかったのだ。
たった一体のみで存在し、他の神を認めない(一方的にアウト・オヴ・眼中な)アテンは、当然ながら他の神々とともに登場することはなく、アクエンアテン時代につくられた固有の神話以外に、登場する物語は存在しない。
太陽の一形態として太陽神ラーやホルアクティなどと多少は関係があったようだが、直接的に関係を語るものはない。
アクエンアテンの築いたアマルナの都が、上エジプトの宗教都市ヘルモポリスに近かったことから、ここの神々とも多少の関係はあったのではないかと思うが、ヘルモポリスは多数の神々をまとめて祀っていた場所なので、アテン神だけが際立った存在になることは考えにくい。
言ってみれば、他の神々とは相容れない、特殊で浮いた存在だったのだ。
アクエンアテンはアテン神を万能の神として祀り上げたが、万能ということは、逆に言えば、「具体的な役にはたたない」と、いうことでもある。
古代エジプトの神々のほとんどが、専門職として、自分の得意分野を持っている。
トトなら書記だし、アヌビスならミイラ作り、オシリスなら死者の審判といった、その神特有のアビリティを持つのが普通だが(それによって他の神々と区別されるのだが)、アテンには、目だった固有の能力というものが、与えられていない。
強いて言えば、「いつも光っている」とか、「神殿がいらない」とか…「真実で生きている」とか……。
これでは、実際に信仰しようとしたら、何を頼んでいいのか分からないのではないだろうか。(「何にでも効きますよ!」と言って渡された薬だか、実際何に効くのか分からないので使えない、といったカンジだろうか。)
はっきり言えば、むりやりストーリーに組み込もうにも、マスコットキャラ以外に使いどころが無い俳優。
アテン神が、とくべつ民衆に嫌われていた、というわけではない…と、私は思う。
信仰を強要されたとしても、憎しみを抱くような種類の神ではなく、むしろ、どう扱っていいのか分からない、理解に苦しむ、概念的な神だったのではなかろうか。
アテン信仰が廃れたのは「忘却」と「使いどころのなさ」のためで、しかし完全に忘れ去られることがなかったのは、「インパクトだけはある」神だったから、ではないだろうか。
そんなふうに想像してみる。
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