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プトレマイオス王朝

プトレマイオス5世

支配年代;前205年-180年
誕生名; プトレマイオス
即位名; イウアエンネチェルウイメルウイトウ・セテププタハ・ウセルカーラー・セケムアンクアメン
(父を愛する二柱の後継者、プタハ神に選ばれしもの、ラーの魂は力強い、アメンの生ける姿)
添名; エピファネス(顕在者)
治世;25年


王朝の首都;アレクサンドリア 
埋葬地;アレクサンドリア 
出身地; アレクサンドリア

家族構成; 妻 クレオパトラ1世 息子 プトレマイオス6世 

父プトレマイオス4世に人望がなかったせいで内乱が勃発している中、わずか6歳で即位した王。即位当時はもちろん実権などなく、王宮内では熾烈な権力争いがあった。また即位直後に母アルシノエ3世が暗殺されたためアレクサンドリアで暴動が発生、幼い王を奪が抱いて民衆の前に現れ、なだめたという話も伝わっている。エジプトの祭儀にのっとってプタハ神官によって戴冠された最初の王でもあり、以降、プトレマイオス王朝の王たちはエジプト風の即位儀式を執り行うようになっていく。

内乱はおさまったものの、エジプトは国力を失っており、ライバルのセレウコス朝ペルシアによってシリアに接する領土を奪われていた。(セレウコスは初代プトレマイオスの同僚だった将軍。つまりアレキサンダーのマケドニア王国から分離した国のひとつ)

★政策の転換
この王以降の時代、エジプトは海外領土の拡大・維持にあまり積極的ではなくなる。国内の神殿建立が盛んになった時代でもあり、内政重視になったとも言える。ちょうどローマの台頭が見え始めるのがこの王の時代でもあり、東地中海世界のパワーパランスが大きく変わろうとする中、プトレマイオス朝の政策も転換を余儀なくされたのかもしれない。


ロゼッタ・ストーンは、この王の時代に作られている。
ロゼッタストーン/日本語訳とその解説

また、タップオシリス・マグナで見つかった石碑も、この王の時代に建てられている。
「世紀の発見、マグナストーン!」という番組が宣伝されていたので放送前にネタをバラしておく


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