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プトレマイオス王朝

プトレマイオス6世

支配年代;前180年-164年/163年〜145年
誕生名; プトレマイオス
即位名; イウアエンネチェルウイペル・セテプエンプタハケペリ・イルマアトエンアメンラー
(神々の2つの家の後継者、プタハに選ばれしもの、真実はアメン・ラーの形相)
添名; フィロメトル(愛母者)
治世;35年


王朝の首都;アレキサンドリア 埋葬地;アレキサンドリア 出身地; アレキサンドリア

家族構成; 父 プトレマイオス5世 母 クレオパトラ1世

父と同じ6歳で王座につき、母を摂政とした。母が亡くなると舵取りがうまくいかなくなり、無謀なセレウコス朝ペルシアへの侵攻の結果、逆に国政につけこまれ、領土を奪われる結果となる。(第六次シリア戦争)
また、プトレマイオス6世と同時に、その弟であるプトレマイオス8世も王位を主張し、エジプトが分断される。
この内乱にエジプトはローマの介入を求め、その結果、ローマにセレウコス朝を撤退させてもらう。これ以降、エジプトに対するローマの権威は増していくことになる。

結局はプトレマイオス6世がエジプトを統治することで決着はみたものの、もはやエジプトの国力は落ちていくばかり。政府中心をしめたギリシャ人高官たちの頭にあったのが権力争いと見栄ばかりであったことが原因の一つであり、また王自身、エジプトの持つ莫大な富に溺れて体裁を取り繕うことばかり考え、実質の伴わない政治をしていたことが致命的だったのだろう。


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