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第三中間期 第21王朝

プスセンネス2世

Psusennes II

在位年代;前967-944年
誕生名;パァセバァカァエンニウト・メリィアメン Pasebakhaenniut Meryamun
(テーベの町に現れし星・アメン神に愛されしもの)
即位名;ティトケペルウラー・セテプエンラー Titkheprure'
(太陽神ラーの出現・太陽神ラーに選ばれしもの)
マネトー名;パセバケニウト Pasebakhenniut
治世;24年


王朝の首都;タニス 
埋葬地;? 
出身地;タニス

家族構成; 父/ピネジェム2世 母/イセトエムケブ 娘/マアトカレ

現在では、かつてプスセンネス3世として知られていたアメン神の大神官の称号を持つ人物と同一人物であると考えられている。
上エジプトのアビドスの神殿からも碑文が見つかっており、勢力圏が広いことから、一時的にせよ上下エジプト両方を統治下に置いていた可能性がある。

第21王朝の2つの国家は血縁関係にあり、ライバル国家というよりは本家と分家の関係に近い。下エジプトの21王朝の王たちの何人かは、テーベのアメン大神官の肩書きも持っており、テーベの実権も持っていたものと思われる。険悪な関係ではなかったため並列で存在することが出来たのかもしれない。

参考までにプスセンネス2世の家系図は以下のとおり。ヘリホル以降はテーベの神官国家のメンバー。


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