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末期王朝時代 第26王朝
Nekau/NechoU
在位年代;前610-595年
誕生名; ネカウ
即位名; ウェヘムイブラー Wehemibre'
太陽神ラーの望みを成就させる者
治世;16年
■アッシリア衰退後の政治的選択
■当時のエジプトの軍事力
ネコ2世はギリシャ人と結んだことにより、三段オールの軍船を所有し、傭兵も多く抱えていたとされる。(ヘロドトスが詳細に記載している)
それまでほとんど海に出ず、海軍といってもナイル河口で戦う足場くらいでしかなかったエジプト海軍が、ここへきていきなり戦力UPである。これもネカウ2世の東進の野望を後押ししたものだろう。
■古代のスエズ運河構想
また、ネカウ2世はブバスティスから紅海へ抜ける「運河」の建設にも着手していた。(つまりナイル川と紅海をチョクでつなごうとした)
12万人とも言われる大人数を投入しての大工事だったが、完成したかどうかは定かではなく、伝説によると神の啓示により完成間際で工事を中止したとされる。
■アフリカ周航
ヘロドトスによれば、ネカウ2世はフェニキア人の船乗りをやとい、紅海側のエジプトから出発して、地中海側のエジプトに戻ってくるという、アフリカ大陸一周の旅を命じたとも言われている。まだアフリカ大陸がひとつの大陸とは知られておらず、アジアと接する狭い地域以外は海に囲まれているとは信じられていなかった時代、何故かそれを信じて実行させたのだという。船乗りたちは、三年をかけて見事に一周を成し遂げた、と伝えられているが、その話はヘロドトス自身が信じていなかった。
現在でも疑う声はあるのだが、南半球でしか見られない天体現象の描写(当時は北半球と南半球の概念もないので、知られていなかった)は実際に航海を行わない限り思いつかないはずだということから、実際にこの航海は行われたとする意見が主流となっている。もしこれが事実ならば、最初に喜望峰周りの航路を見出したのは、フェニキア人の船乗りたちということになる。(航路は紅海→喜望峰→地中海 というガマの逆周り)
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