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末期王朝時代 第25王朝
Taharqa
在位年代;前690-644年
王朝の首都;ナパタ
埋葬地;ヌリ(tomb 1)
出身地; ナパタ周辺またはメンフィス
家族構成; 父・ピイ 兄弟・シャバタカ
豊かで平和な時代を統治し、カルナック神殿の第二列柱を含む多くの建設事業を行った王。妹をアメンの神妻の地位につけ、内政も安定している。ヌビアとエジプトという大きな版図を支配し、かつての大王ラメセス2世にも匹敵する勢力を誇ったが、同時に、ラメセス2世の時代と同じく強力な異国の攻撃を受けることになる。
彼とラメセス2世では決定的な違いが2つあった。
ひとつは、ともに異国の侵略を受けながら、首都の位置があまりに戦線から遠すぎたこと。
エジプトが新王国時代だった頃、戦車と鉄器はまだごく一部でしか使われていなかったが、今やそれらは一般的になり、それらの発明者であるヒッタイトを滅ぼしたアッシリアが敵であるということ。
とくに前者は致命的だった。ナイルデルタへ侵攻してくるアッシリアに対し、指揮をとるべき王のいる首都がそこから400kmも南のナパタなのである。
当時、エジプトとアッシリアの間にある国々のうち、パレスティナの小国群はエジプト寄りだが、イスラエル・シリアの国々は既にアッシリアに支配されている。本格的な侵攻は、サルゴン2世の孫、エサルハドンの時代に起こり、戦線はシナイ半島からナイルデルタ、メンフィスへと後退していく。エサルハドンは、紀元前671年のエジプトに対する勝利ののち、時刻の戦勝碑をたて、タハルカの皇太子を捕らえたと記している。第24王朝の末裔とされるネカウ1世がアッシリアの後ろ盾のもと下エジプトを支配するようになる。第26王朝の開始である。ネカウ1世と、その息子プサメティク1世を首都ニネヴェで教育し、傀儡政権に仕立て上げようとした。
エジプトの諸侯たちはタハルカについて戦い、一時は勝利したものの、エサルハドンに続くアッシュールパニパルに攻め落とされる。アッシュールパニパルはさらに戦線をエジプト内部まで推し進め、ついにテーベが陥落。タハルカは戦線を戻すことなく命運尽きる。
ここに来てエジプトは、再び分裂の時代を迎える。
しかしそれは長くは続かなかった。
●オマケ
ファラオ・イン・ザ・ベースメント(地下室)。ファラオは二度甦る
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