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新王国時代 第20王朝

ラメセス6世

RamessesY


在位年代;前1145−1139年
誕生名;ラメセス(ラーの創りし者)
誕生名;アメンヘルケプシェフ・ネチェルヘカイウヌ Amunherkhepshef Netjer-heqa-iunu
(アメン神は彼の力、ヘリオポリスの力ある神)
即位名;ネブマアトラー・メリアメン Nebma'atre' meryamun
(ラーの真実は黄金色、アメン神に愛されし者)
マネトー名;アメンヒルコプシェフ2世
治世;8年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷(KV9) 
出身地;テーベ

家族構成;父/ラメセス3世 母/イシス 妻/ネブケスベド 息子/ラメセス7世、アメンヒルコプシェフ、パネブエンケミト 娘/イシス

兄とされるラメセス4世と、その息子5世が短命に終わったため王位を継承した。

誕生名にある「ネチェル・ヘカ・イウヌ」の「イウヌ」は、ヘリオポリスの古代エジプト語名。国の首都はアメン信仰の中心テーベにあるのに、太陽神ラー信仰の中心地の名前がここに入っているのは何故かというと、この時代、二柱の神はアメン・ラーという統合された神として信仰されることが一般的になっていて、テーベとヘリオポリスを同等の地位に立てる必要があったからだ。…と、推測される。
この前後の王たちの名前をみると、アメン神とラー神、双方にひっかかる名前がつけられているのが分かる。カルナック神殿の浮き彫りで知られるが、それ以外の記念碑はほとんどない。


●ミイラの状態

KV9はもともとラメセス5世のために作られた墓だったが、ラメセス6世によって改装され転用された。墓の改装はおそらく王の死の直前に完成している。
ミイラは後世にロイヤル・カシェから見つかったが、墓泥棒によってズタズタにされ、発見されたときには、辛うじて人の形を保っているに過ぎなかった。ミイラの死亡年齢は40才前後とされているが、状態が悪いためか近代の詳細な写真が出て来ない。


●対外政治

第20王朝において、シナイのトルコ石採掘場まで遠征を送ったことが分かっている最後の王。
この王の時代の8年の間に国境線が大きく後退し、シナイ半島の領地が失われ、北の国土が東デルタまで後退。


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