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新王国時代 第18王朝

アメンヘテプ3世

Amenhotep V

在位年代;前1390−1353年
誕生名+通称;アメンヘテプ・ヘカワセト(アメンは喜びたまう、テーベの町の支配者)
即位名;ネブマアトラー Nebma'atre' (真実の主はラーなり)
マネトー名;アメノフィス Amenophis
治世;38年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷、KV22 
出身地;テーベ

家族構成;
父/トトメス4世、母/ムテムイア
第一王妃/ティイ、他の妻/ギルケパ(ミタンニの王女)、タドゥキパ(ミタンニの王女、実際に結婚したかは不明)
息子/アクエンアテンほか、娘/イシス、サトアメン

この王は、10代そこそこで即位したと考えられている。第一王妃は王位につく前に結婚していた平民出身の娘ティイ。この最愛の王妃との間に生まれたのが、のちのアクエンアテン。ちなみにティイの一家はそろって王に仕えていたようで、妻の父イウヤは軍事指導者、兄アネンは下エジプトの総督をつとめていた。また、のちに王位につくことになるアイはティイの兄弟と考えられている。


●代表的な建造物

アメン神のために、ルクソール神殿を建造。アメン神とその妻ムト、人間創造の神クヌム神と知恵の神トトに捧げられた碑文が有名。新王国時代特有の信仰体系が見受けられる。
外交、貿易によって多大な富が築かれていた時代なので、アメン神の神殿は豪華絢爛。のちに「メムノンの巨像」と呼ばれる座像が作られたのもアメンヘテプ3世の治世下である。

治世5年目にヌビア出兵の記録があるが、それ以外この王の時代に大きな戦いは無い。

シリア・パレスティナ方面との同盟関係はおおむね良好で、妻はミタンニから政略結婚で嫁いできた王女だったという。後宮には、同じように各国の王女たちが集められていたという。ちなみに古代エジプトの王家は、同盟国に王女を差し出させることはあっても、自分とこの王女を送ることは決してなかった。対等な関係ではなく、「エジプトが上」という意識があったようだ。


●メムノンの巨像

この王様の建築物で最も有名なのは、かつての首都テーベ(現在名:ルクソール)対岸に作られた葬祭殿の入り口を飾っていた、巨大な二体の像だろう。この像は現在、ギリシャ神話の暁の女神エオスの息子の名を取って「メムノンの巨像」という名で知られている。しかし葬祭殿そのものは倒壊したり石材が流用されたりで残っていない。

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