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古王国時代 第4王朝

メンカウラー

Menkaure'

在位年代;前2447−2442年
即位名;メンカウラー(ラーの魂の如く永遠なり)
ギリシャ語名;ミケリヌス Mykerinos、ミケリンウス
マネトー名;メンケレス Menkheres
治世;6年(※)

※トリノ王名表では"18年"または"28年"。マネトーは63年としている。現在の主要な説では20年前後となっているようだが、ここでは主資料に従って年代を表記している。小規模とはいえピラミッドを建造しているので、10年は越えていた可能性が高いと思われる。


王朝の首都;メンフィス 埋葬地;ギザの第3ピラミッド 出身地;メンフィス

家族構成;母/カメレルネブチ1世 父/カフラー 妻/カメレルネブチ2世、あと2人
息子/クエンラー、シェプスセスカフ、セケムラー 娘/ケンタカウエス

Data;
ギザの3大ピラミッドの中で最も小さいピラミッドがメンカウラーのもの。そのほか、妻カメレルネブチ1世など、3つの小さな副ピラミッドが脇に建てられている。

ヘロドトスによれば、「彼の善政は神々の面目を傷つけた」となっており、クフ・カフラー・メンカウラーの3代は、傲慢な神官を追放したため神々を怒らせたとされる。ただ「神を怒らせた」わりには、資料や遺物は数多く残っている。

下エジプト・デルタ地方の聖都、ブート(守護女神、ウアジェト)による神託では、彼は6年間だけの治世を許されたというが、実際はもっと長く生きていたようだ。

Background;
ギザの三つのピラミッドの中でメンカウラーのものだけが小さい(他二基の半分程度)のは、財政的な困難から、あまり大きなものを造れなかったからだという説がある。実際、この王のあとほどなくして第四王朝は終焉を迎えている。ただし、ギザ台地の面積的に巨大なピラミッドをもう一つつくるだけの面積が無かったのが原因とも言われる。ピラミッド本体は高価で加工の困難な花崗岩を使用して作られていることから、技術的には高い水準に達しており、手間もかかったことが伺える。また王妃のピラミッド3つもそなえている。王は完成間近に亡くなったらしい。

▲ピラミッドデータ:
ギザ、第三のピラミッド

度重なる増改築のため、内部構造は、かなり複雑。ギザの三大ピラミッドのうち他の二基は、完成当時、全面がトゥーラ産の上質な石灰岩で覆われていたが、このピラミッドだけは下三分の一が花崗岩、残りが石灰岩で覆われていた。現在では、花崗岩の一部が北側にわずかに残っている。使用されている中で最大のブロックはピラミッド葬祭殿に使われている200tの花崗岩。

ピラミッドの表面に大きく抉れたあとがあるのは、イスラム時代に何度も侵入が試みられた跡。特に入り口側表面の大きな穴は1196年にオスマン軍が進入を試みた跡とされる。

このピラミッドからは王の棺が見つかっているが、1838年、イギリスへ向う途中で船が沈没した。棺は、ベアトリス号とともに今もビスケー湾のどこかに眠っている。