サイトTOP別館TOPコンテンツTOP

初期王朝時代 黎明期

ナルメル

Narmer

在位年代;前2900年頃
ホルス名;ナルメル(荒れ狂うナマズ/攻撃するナマズ)
マネトー呼称;メネス※

※マネトー呼称「メネス」については、ナルメル王のものとする説と、次代ホル・アハ王のものとする説、この時代の歴代王たちの共有名であるとする説などがある。また、アハ王=ナルメル王、と考える説もある。


王朝の首都;ヒエラ・コンポリス(古代名ネケン) 埋葬地;アビドスB17、B18(?)

出身地;マネトーによると「初代王朝の王たちはティニス出身」

家族構成;王妃/ネイトヘテプ

Data;
「最初に上下エジプトを統一した王」として知られる。「ナルメル王のパレット」と呼ばれる出土品が有名だが、パレットとは、絵の具を溶くパレットではなく、お化粧品をこねるための窪みがついた、オシャレセットの一つだった。(ただし日用品というよりは、日本における銅鏡と同じく、儀式的な目的で埋められるために作られている。)
このパレットの裏には、戦争捕虜を雄雄しく打ち倒す王の姿が描かれており、王の、下エジプトに対する勝利を記念して作られたものとされている。
実のところ、上下エジプトの王として確認された中で最も記録が古いのが彼であって、本当は、未確認な王がもっと前の時代にもいたかもしれない。

バト女神の資料を参照

ナルメル王の時代のホルス神は、ハトホル女神の「息子」として登場する。イシスやオシリスとホルスは、別の場所で発祥しているため、最初からホルスと家族ではない。別々の信仰であったものが、後付で家族にされている。
彼らが「ヘリオポリス9柱神」として、一つのグループに属することになるのは、はるか後の時代のこと。
ちなみに、この時にハトホル女神の息子だったホルス神は、のちにハトホルの夫「エドフのホルス」=ホルベヘデティになったとも考えられる。


「エジプト王国最初の王は誰か?」という議論について

ヘロドトスによる記録ではエジプト人の最初の王は「ミン」、マネトーや、アビュドス王名表、トリノ王名パピルス、サッカラ王名表では「メニ」を最初の王とする。多少呼称が違うが、ミン、メネス、メニといった名前はすべて1つの名前(メニ)が変化したものと思われる。

これを歴史的に裏づけるのが、初期王朝のデン王、カア王の「印影」である。(この頃は、メソポタミアの影響で粘土の上を転がす筒型の印章を使っていた。)
印影には、デン王のもので5人、カア王のもので9人の王が記されているが、どちらも最初が「メン」または「メネス」と呼べる名前から始まっている。

では、メニとは一体誰なのか? ナルメル王が最初の王とすればナルメルなのか。それともナルメルの後を継いだと思われるホル・アハなのか…?

これについては様々な議論が交されているようで、はっきりしない。だが、「メニ」という言葉自体には「安定、確立」という意味があるため、場合によっては王の名前ではなく肩書きの一つだったのではないかとも考えられる。つまり初期の王たちの何人かにまとめて与えられた「もう一つの名前」というわけだ。

メニ1世、メニ2世みたいな感じで、メニが何人かいたとすれば、後世に「伝説の初代王」とされた人物の中身は、実は一人ではなかったという可能性もある。何人かの業績をまとめて一人のものとして作られた像だったとすれば、ナルメルかホル・アハか、という議論の意味はなくなってしまうだろう。