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古代エジプト暦の換算法


このサイトでの古代エジプト暦の換算方法について

古代エジプトで使われていた暦は、太陰暦でも太陽暦でもありません。(※1)
毎年起こるナイルの増水と、シリウス(古代名はソペデト)が川の水平線に輝く周期を観察した、いわば「ナイル暦」とでもいうべきものです。一年の始まりはナイルの増水の開始日とされました。このサイトでは、新王国時代のメンフィスでのナイル増水開始日として大英博物館サイトで紹介されていた「7/19」を元旦として設定しています。(ただし後述するように異説も多数あります)

メンフィスとは、南北に長いエジプトの国土のちょうど真ん中、上エジプトと下エジプトの境目にある都市のこと。川の増水は上流から始まるので、南(上流)にあるエレファンティネあたりだとメンフィスより1日か2日は早くなるはずですが、そこは考慮していません。また、1000年とか2000年とか時が経てば気候も変動するので新王国時代以前は暦の開始日が違っていたかもしれませんが、それも考慮しませんでした。何しろ、記録に残っているエジプト暦の日付が、正確に現代の暦の何月何日に当たるか、判定するすべがないのです…。
はっきりしているのは、ナイルの増水が「6月中旬」または「7月中旬ごろに開始されていた」ということだけです。
ですので、暦はあくまで目安だと思ってください。時代・場所ごとに違う可能性があります。

(※1)
太陽暦と書いている本もありますが、ナイルの増水周期と星(シリウス)の観察を基本として誕生しているので、ここでは、"厳密には太陽暦ではない"という説を取ります。シリウスを基準とした恒星暦としては1年は365.256363日です。
ただ、太陽の運行(365.2422日)にあわせて「+5日」を導入している点は確かに太陽暦です。また、一ヶ月が月齢周期に近い30日固定であること、「一ヶ月」とヒエログリフで記載するときに「月」の字が入ることなど、月の周期を基本とした太陰暦が過去に存在して、いつかの時代に太陽暦と合体させられたという説も有力です。


古代エジプトで使われていた暦の概要


古代エジプトでは、季節は次の3つでした。

 「ナイル川の水かさが減って暑い時期=シェムウ」
 「増水がはじまってから終わるまで=アヘト」
 「水が引き、畑をつくる時期=ペレト」

この3つの時期にそれぞれ4つの月があり、3×4で12ヶ月。それに「予備日」と呼ばれる5日を足した365日が一年です。
12のそれぞれの月は、「ジェフティ月」のような固有な名前もありつつ、記録では「シェムウ期 第一月」とか、「アヘト 第二月」とかで出てくることが多いです。
12ヶ月のすべての月は、30日で均一。このあたりは、月ごとに日数が違っていて面倒くさい現代暦より分かりやすいです。
10日ごとに一週間で3週間が1ヶ月のセット。それぞれの日は「シェムウ期 第一月 第一週 ○日目」と表現しました。

ただしこの暦には問題があり、現代でいうところの「閏日」がありませんでした。
なので長年使っていると、少しずつ実際の季節とズレていってしまいます。4年で約1日。100年で約25日。一周するとまた季節と日が合うようになるのですが、一周に1460年もかかるという暦なのです。(※厳密には、歳差運動によってシリウスの位置がズレることなどを考慮すると約1452年で一周する。)

そんなズレるもんを使い続けて大丈夫だったのか? と言いたいところですが、宗教思想上、暦は神様に貰ったものだから変えられなかったっぽいです。【詳細はこちらを参照】 そして農民は、ホンネとタテマエよろしく、実際の季節に合わせた農業暦というものを別に使っていたようです。

ちなみにお祭り日程については、「シェムウ期 第一月 ○○日に開催」といった記述を元に作成しました。

コプト暦の概要


「コプト」とは、"エジプト"という名前になる以前にギリシャ人がエジプトを呼んだ名前から来ています。キリスト教がローマの国教となる以前からキリスト教徒だったエジプト土着の人々のことを「コプト教徒」といいます。まだ教義が定まらないうちから信仰しているため、エジプトのキリスト教(コプト教)は、いわゆるヨーロッパのキリスト教とは教義や儀式が異なります。そのうちの一つが「暦」の違いです。

コプト教徒は、エジプトにキリスト教が入ってきた紀元後すぐくらいからのキリスト教徒で、古代エジプト人の子孫でもあります。現在もコプト教徒が典礼などに使っている暦「コプト暦」は、古代の暦がプトレマイオス朝の時代に改良されたものです。月の名前に古代エジプトの神様名が若干訛って残ってたりするのは元になっているのが古代エジプト語の暦だったから。ちなみにコプト暦は今でもエジプトとエチオピアのキリスト教徒(正教徒)に使われています。

エジプトにキリスト教が入ったのはキリスト教が広められはじめた超初期の1世紀頃でした。しかしコプト暦の「紀元元年」(=使われ始めた年)は西暦284年、つまり3世紀末です。ローマ皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教徒迫害を忘れないために定められたといわれ、コプト暦の別名が「殉教暦」なのもそのためだそうです。

さてコプト暦ですが、エジプトの学術都市アレクサンドリアの学者たちの手助けを受けてユリウス・カエサルが成立させた、「ユリウス暦」が元になっています。これは365日に4年に1度の閏日を足して調整するというもの。しかし一年は365.2422日なので、厳密には365.25日より少ないです。多すぎる0.01日(14.4分)は、およそ100年で一日にズレを生じます。(14.4分×100=1440時間=24時間) そのため、コプト暦が導入された紀元後284年の時点では太陽の運行にあわせた本来の一年とユリウス暦は一致していましたが、現在はユリウス暦(と、それを元にしているコプト暦)は、本来の暦より13日進んでいることになります。

ここから逆換算すると、紀元後284年のコプト暦開始当時の元旦は、現在の9/11ではなく、8/29だったと分かります。(※この当時のローマの暦の各月の日数が、現在と同じだったという説に従った場合です。)


*「暦の大事典」朝倉書房より

古代エジプト暦と現代コプト暦との違い

トップページに併記したカレンダーを見ていただくと分かるとおり、古代エジプト暦と現代のエジプトで使われているコプト暦との間には、2ヶ月弱の差異があります。この差異は、コプト暦の使用が開始された紀元後284年には既に存在していたと考えられます。その理由を、自分の解釈した範囲で説明してみます。

「古代エジプトで使われていた暦の概要」に書いたように、古代エジプトの暦は一年365日固定で閏日がなく、4年におよそ1日ずつズレていくものでした。
そこでプトレマイオス朝の3代目の王、プトレマイオス3世エウエルゲテス(紀元前246年-222年)は、「暦めっちゃズレよるやん。閏日ないとあかんやん。」と考え、古代エジプトの暦に閏日を導入してズレをなくさせる政策を決定しました。しかしこの政策は反対が多くて実質スルー、しかも1代限りで終わってしまい、以降は閏日がないまま運用され続けました。

その後、エジプトが属州になるにあたりローマの「ユリウス暦」がエジプトにも導入され、ユリウス暦とあわせるためにエジプト伝統の暦に閏年が追加設定されるようになりました。つまり、閏日のあるユリウス暦と、自分たちの元々の暦を合体させて運用開始されたものが「コプト暦」です。しかし運用開始の時点で、元の古代エジプトの暦は既に本来の太陽の運行とはズレていました。つまり、元々がズレた状態で閏日を導入してしまったのです。閏日を導入する前は4年に1日ズレていた暦が、4年に一度の閏日を導入したことによって、ズレは100年に1日へと変化しました。

古代エジプトの暦と実際の季節とが一致するのは1460年ごとと書きましたが、その希少な一致が起きたと記録があるのが紀元後139〜142年です。
コプト暦の導入は紀元後284年。紀元後139年から大雑把に計算すると、約35日のズレが生じていたことになります。ですので、古代エジプト暦での本来の元旦は、おそらく7月末ごろとなります。現在の通説は(たぶん)この計算を採っています。このサイトで採用している「7/19」の日付もだいたいそのあたりです。

その他の説

古代エジプト暦の解釈については現在でも諸説あり、今後も変わっていく可能性があります。
先にも書いたように、三千年も歴史があるとどっかのタイミングで暦の運用を変更している可能性も考えられますので、現代暦との対比はあくまで暫定です。

特に計算の起点となるのがいつなのかについては、特定が難しいです…。
他に有力な説としては、ナイル最上流での増水開始時期である「6月半ばだよ」説などもありますが、首都付近でナイルの増水を観測しないと暦の開始にならんだろうということ、コプト暦からの逆算だと7月末あたりに正月が来ないと使いづらいだろうということで、このサイトでは7/19を元旦として採用しました。ちなみにシリウス星の位置は地球の地軸のズレや固有運動などにより、少しずつ北へズレています。つまり古代にはもっと南のほうにありました。この差により、シリウスの星の出の日付は、暦の使われだした当時と、エジプト王朝の終焉期では何日か違っていたと考えられます。(その誤差も考慮して7/19あたりと推定されている)

ちなみに、「エジプト暦は8月末始まりだった」と書いている本は、コプト暦の項で書いた、紀元283年のコプト暦の開始日のことを書いています。コプト暦はローマ支配時代のエジプト暦で、古代エジプト王朝時代の暦ではないので、これは違います。(指している「エジプト暦」の中身が違うということ。)


[参考]
はっきりしている日付から遡る計算


*「考古学の研究法」学生社より


[古代エジプトの時間]

 1日

24時間。
昼を12等分した「昼の12時間」、夜を12等分した「夜の12時間」にそれぞれ分かれている。
日の出(ラーの顕現)から日没までが昼、日没から次の朝の日の出までが夜なので、季節によって昼夜それぞれの長さと1時間の長さは異なる。時間の計測には水時計が使われており、神官だけは正確な時間を計っていたようだが、一般庶民はおそらくテケトーな感じで暮らしていた。

1時間ごとに違った名前がついていて、その名前をもつ守護神がいる。つまり1日には24人の守護神(女神)がいることになる。


 一週間

10日。
このまとまりを「デカン」と呼ぶ。
休日は10日のうち1日だったようだが、公務員(ピラミッド建設作業員など)には有給・忌引き等の制度もあったようだ。いいな公務員。
1週間ごとの守護神もいた。


 一ヶ月

3週間。10×3で30日が1ヶ月。
月ごとに神々の名前がついており、名前のつけられた神が、その月の守護当番を務める。
たとえば「ジェフティ月」の守護神は、トト神である。持ち回り守護神。
1年12ヶ月、それぞれの専門の神もいたようだ。


 一季

4ヶ月。
30日×4ヶ月の120日がひとつの季節。季節はナイル河の増水にあわせ、3つしか無かった。
それぞれ、シュム、アヘト、ペレトという名前で、季節ごとの女神様が守護している。


一年


3つの季節に余りの5日を足したもの。
120×3+5で365日が一年。予備の5日間は、3つの季節のいずれでもなく、月の守護神もついていない。
従って、この5日は守護者のいない危険な災いの日とも考えられた。この日の守護神となるのは、それぞれの日に誕生した、オシリス、イシス、ネフティス、セト、大ホルスの5兄弟のみ。


★ワンポイント

通常の一日の場合、3種類の神様が守護についている。

・季節の守護神(3人の女神のうちいずれか)
・月の守護神(トトやハトホルなど、その月の名前になっている神と専門の神)
・時間の守護神

★さらに特殊な場合は、次の神が守護についた。

・その日が誕生日の神。(神々にも誕生日が存在した。)
・日ごとに誕生と死をくりかえす太陽神ラーは、基本的に、すべての日の守護神。


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