ここでは「神話から見た古代暦」と、「歴史から見た古代暦」の二通りを紹介している。分かりやすく言うと、神話と歴史では「なぜ、暦がそのようになっているのか」に対する説明のしかた・理由付けが異なっている。
もちろん実際は歴史的な視点で見たほうが正しいのだろうが、それだけにしなかったのには理由がある。神話は何もないところから生まれるわけではないので、エジプト人がどのように考えていたか、どう解釈していたかを知る上ではムダではないということと、神話から見た理由づけのわうが、当時生きていた人々にとっては「現実」だったはずだからだ。
手っ取り早く古代エジプト暦の内容を知りたい人は古代エジプト暦とエジプト祭儀のコーナーのほうへ言ってください…。
というわけで、まず最初は神話のほうから話をしてみる。
(1)−神話から見た古代暦
現代人は、主にユリウス・カエサルが古代エジプトの太陽暦を参考にして作った、ユリウス暦を使って生活している。この暦では一ヶ月の日数が一定ではない。法皇様のワガママで8月が30日+1日になったり、2月は28日とやけに少なかったり、数えるのが面倒くさい。
だが、大元になった古代エジプトの暦では、1ヶ月はすべて30日。1年は12ヶ月あり、この日に5日を足して365日が一年だった。
プラス5日の部分をギリシア人は「閏日」と呼び、エジプト人は「追加日」と呼んでいたという。
しかし、この暦には大きな問題があった。
一年は例外なく365日で換算されていて、閏年が存在しなかったのだ。
一年は、正確には365.2422日。古代エジプト人は、今から何千年も前に、すでにそれに近い正確な数字を導き出していて、30日×12ヶ月+5日=365日では自然現象が暦とズレていくことは百も承知だった。にも関わらず、わざと、「一年は365日」という暦を使い続けていたのである。
なぜか。
それは宗教上の理由からだった、とされている。
”一年が360日なのは太陽神がそう定めたからで、それ以外の暦を勝手につくることは許されない。”
つまり神話の解釈では、本来、一年は360日でなくてはならなかったのである。
人々に暦を与えた太陽神とは、もちろんラーのことである。ラーに反して、5日間の「余分な日」を作って一年を365日にしてしまったのが、知恵の神であり、月の神でもある、トト神だった。… 神話では、そのように語られている。(創生神話 inヘリオポリス)
神話の内容をかいつまんで話そう。
天の女神ヌトと大地の神ゲブの間に出来た5人の子供に生まれて欲しくなかった太陽神ラーは、ヌトに、「1年、360日のどの日にも子を産むな」と、無理な命令をしていた。そこで、狒々の姿をした知恵の神は知恵を働かせ、すごろく(のようなゲーム。セネトと呼ばれる)で月と賭博をして、月から時間の支配権を手に入れ、”1年365日のいずれでもない新たな日”、ラー神の支配の及ばない5日間を作った。こうしてヌトは、それぞれの日に1人ずつ子供たちを産むことが出来たのだという。天と地の5人の子供たち、オシリス、イシス、セト、ネフティス、大ホルスの誕生の物語である。
ちなみに、知恵の神が手に入れたのは、正確には、「360日ある1年の各日における 1日の70分の1」だったとされている。(古代エジプトには小数が存在せず、計算はすべて分数、小数点以下の数も分数で示されている。)
1/70日×360日、これを計算すると、5.1428日。
知恵の神が月から奪った時間は、実際は5日と0.1428日だった、というわけ。現代人が計算した一年の周期は365.2422だから、ほんの0.1日程度しか違わない。エジプト人、一年の正確な日数を実はわかってたのだ。
だが、人々のお上である太陽神ラー様はとてもワガママな神だった(笑) 神様がダメといったらダメなのが古代エジプトの世界。神様は神様です。えらいのです。
自分が「産むな」と命令した子供たちが一休さんもビックリなとんちでアッサリ誕生してしまったことを受け、命令違反ではないから罰することも出来ず、さりとて腹の虫は収まらず、増えてしまった日数もしょうがないので「いいよ。じゃあ増えたぶん、5日間は認知するよ。これからは1年は365日だ。でもそれ以上増やすなよ」と、制定してくれた。
つまり、ハンパな0.1428日までは認知してくれなかったのである…。
というわけで一年は、天地開闢、天と地の子供たちの誕生とともに、毎年365日と制定された。
この時から暦は毎年、0.1428日ぶんズレていくことになった。4年で1日。40年で10日。400年で100日。
太陽神が認めなかったために残ってしまった0.1428日は月神の手元に残されることになった。太陽暦には組みこまれていない、知恵の神だけが持つ時間。と、いうことで、神話からは「太陰暦」と解される。(本当は違うのだが)
すこし神話的な解釈をすれば、時間を進める能力は、本来なら太陽そのものであるラー神だけの特権ということになるが、月の力を持つトトにも時間を司ることは可能ということだ。最高神にしか許されない特権を、その下に仕えるべき神が持ってしまっているのみならず、月の神は、太陽神の関知しない時間を持つことが可能である。
たかが1年のうち1日の4分の1とはいえ、その時間をうまく使えば、トト神は、太陽神に反乱することも出来てしまうわけである。エジプト人的にここの部分がどう解釈されていたのかがちょっと気になる…。
★どこかの妖しい雑誌で、「一年はもともと360日だったのが、古代の異常気象で5日増えたことを示しているのではないか」という説を見た。…それは、ないと思う。エジプト以外の、世界中の一年は365日なので、暦の成立年代を調べてから言わないとただのファンタジーになってしまう。単に30日x12ヶ月にしたほうが計算しやすいからだろう。5日が追加されたことに対する説明は後付けだ。
★ 太陽神と月神の時間を巡るやりとりは、太陽暦と太陰暦の衝突を思わせる。だが、次に「歴史から見た古代暦」で取り上げるように、実際はそうではない。これは、神話から歴史を再生することが難しい一つの例となっている。
(2)−歴史から見た古代暦
『高校の教科書などでエジプトの暦は太陽暦であったと述べられている場合が多いが、この1年365日という数値は、たぶん、太陽の運行の観察から得られたのではなく、ナイル河の毎年の増水開始の時期に注目して、次の年の増水開始までの日数を数え上げたことで得られた…』 〜吉成薫/2000/講談社選書メチエより抜粋 |
エジプトの神話において、一年を365日とする閏日の無い暦は、太陽神ラーによって民衆に与えられたものとされている。それに対し、閏日のある、より正確な暦は、月の神でもあるトト神に属するものとされた。
しかしこれは神話から見た視点に過ぎない。
歴史から、つまり現実の人間世界から見た暦とは、どのようにして作られたのか。
30日というのは、月の満ち欠けが一周する日数とほぼ同じである。そして、365日は、ナイル川が増水する周期であった。アスワン・ハイ・ダムが出来る以前、まだナイル川が増水を起こしていた時期に、学者がその周期を測ったところ、一度めの増水から、ほぼ365日で次の増水が起こっていたという。
ナイルの増水は、農業、つまり人々の生活と深く結びついている。誰が見てもわかる川の増水から導き出される暦だったなら、天文観測が発達する以前から使われ始めても、不思議はない。
人々が使う暦、一年が365日の暦は民衆暦と呼ばれた。
閏日がないために4年に1日ずつズレていくわけだが、平均寿命が30歳にも満たなかったとされる古代エジプト人では一生のうち7日くらいしかズレないので、暦が間違っているという感覚は生まれにくい。長い年月で見れば大いにズレの生じる暦でも、個々人の一生からすれば、暦のズレた時期に生まれたものはズレているうちに死に、合っている間に生まれた者は合っているうちに死んで行く。もしかすると、暦に足りない日があることを意識したことが無い者もいたのではないか。
あるいは、暦などを必要としたのは、一部の、行政に携わる人々や神官だけだったのかもしれない。(トト神が「一年の日数を増やした」といわれのない文句(笑)をつけられたのも、どうやら、神官や書記官たちインテリ階級のせいらしい。また、「季節がズレて、夏に冬がやってくる」等のボヤきメモも残っている)
ともあれ、古代エジプトの暦の発生には様々な異説があり、実際のところは分からない。統一された民衆暦が導入されたのは、王国が統一された紀元前3000年より少し後くらいの時代だろうと考えられている。メソポタミアからの移住民によって暦という概念が、天文学とともに渡ってきたという説も有力だ。
エジプトは南北に長い国なので、北の都と南の国境では、実際の気象現象との間に誤差(時差?)があったことも事実だ。
統一された民衆暦が導入される以前には複数の太陰暦が使われており、その名称が民衆暦に導入された、という説もある。天文学の得意な学者さんは、民衆暦での12月のあと、閏月を挟んで新年までの日数を調節していたとも主張する。
が、この辺りの日数計算はどうにも私の頭では理解出来ないので、はしょらせていただく。^^;
現在のところ、「民衆暦はそのまま使うとどんどんズレていくけど、調節を行って、実際の自然現象と食い違わないようにされていたんじゃないの?」
というのが有力な説になっているようだ。何しろ、お祭りなどの行事を行うためには正確に季節を知ることが必要だ。そのための別の暦を用意して、ダブルスタンダードな運営をしていた可能性が無いとも言えない。
ちなみに、閏日を採用しない1年365日の暦を使いつづけた場合、実際の季節と暦とがぴったり一致するのは、1470年に一度だという。エジプト古代王国の歴史が約3000年なので、この暦が採用されてから使われなくなるまでの間、実際に1月1日にお正月が来た回数は、2、3回ということになる。
人間の一生にくらべれば、とてつもなく長い。なんとも、壮大な話である。
◆ポイント解説/太陽暦、太陰暦とは?
太陰暦とは
月の公転周期から導き出される「一ヶ月」。月は平均して29.5日で地球の周りを一周する。これにあわせ、29日と30日からなる一ヶ月を交互に組み合わせて作られたのが「太陰暦」。しかし、これでは355日になってしまうため、たりない10日を付け加えるため、4年に一度、閏月が付け加えられた。
太陽暦とは
地球の公転周期から導き出される「一年」。一年は365.2422日なので、端数を切り捨て365日とし、これを12に分けたものが現在使われている12ヶ月である。
古代エジプト暦では
1年を12等分することを重視した暦。1ヶ月を30日に固定しているため、変則的な太陰暦。上のほうにも書いたように、30×12で360日、これに5日を足した365日である。閏日・閏月を持たないことが特徴。
現代暦との比較についてはこちらを参照のこと。