■神話つまみ喰い−”OtherAreaMyths” サイトTOPへ>2号館TOPへ>コンテンツTOPへ
地域;− | 出典;口伝(済州島) |
これも何代かに渡る王家の物語。日本神話と同じく、細かいところはまァ18禁な内容なので(笑)、全体的なストーリーだけでも。
細部は原典によって微妙に違うようです。
世代1> その昔、扶余(ふよ)の国に、解夫婁(かいふる)という王が居た。王は年老いても子供が無く、どうにかして世継ぎがほしいと天地神明を奉って祈願することにした。すると、あるとき、王の乗った馬が淵のそばで岩を指し示し、怪しく思って石をどかしてみると、その下から金色の蛙に似た子供が現れた。
王はこれを、神のくれた子供と思い、「金蛙(きんあ)」と名づけて世継ぎとして育てることにした。
そののち夢で神託があり、国を東方の海岸に移しそこを都とせよとあったので、王は国を加葉原というところに移し、国名を「東扶余」と、改めた。
世代2>やがて解夫婁が亡くなったあと、太子・金蛙があとを継ぐ。金蛙は后となる女性を探していたが、あるとき、太白山の南で、柳花という女に出会った。この女は自らを河伯の娘であると言い、天帝の子を名乗る解慕漱という男が自分たちを熊心山の下へ誘って酒を飲ませ、言うなりにしたと告白した。彼女は、このために両親の怒りに触れて流しの身になっていたのである。
金蛙は、これを怪しみ、女を部屋に幽閉しておいた。すると、太陽の光が彼女を照らし、やがて身ごもらせた。柳花が産んだのは、大きなひとつの卵である。
金蛙王は、この卵を捨てさせるが、家畜も踏まず、割ることも出来ない。そこで、仕方なく卵を産んだ女に返してやった。
世代3>卵からは男の子が生まれ、7歳になると弓矢の達人になった。扶余の国の俗語に、このような弓矢の達人を朱蒙と呼んだので、この子は朱蒙という名になった。
ところでこのとき、金蛙王には7人の子がいたが、どの子も朱蒙に及ばなかった。そこで王とその息子たちは、いずれ朱蒙が王位を奪いに来るのではと恐れ、彼を殺そうとした。このことに気づいた母親の柳花は、遠くへ逃げたほうがよい、と告げる。
このあと、扶余の国をあとにした朱蒙は、河の神の力をかりて追っ手を逃れ、途中で3人の賢人と出会い、ともに高句麗の国をたてる。このとき、朱蒙は22歳であったという。
これ、ツッコミ入れていいのかどうか分かりませんが、「金色の蛙のような子供」ってのは、一体どんな子供なんでしょうかね。自分の子供にしようとか思いますか? ふつうビビって見なかったことにしませんか。ついでに、名前が「金蛙」っていうのは、あまりに直接すぎやしませんかね…。大きくなったら、子供、グレると思うんスけど^^;