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創世歌

地域;− 出典;口伝(威鏡南道)


 朝鮮神話の文献は、かなり新しい時代(12−13世紀)のもので、内容のほとんどが建国にまつわるものとなっている。対して口伝は、より神話らしい、創世の時代の物語を様々なバリエーションで伝えている。中でも、朝鮮本土から離れた済州島で収集されたものが多いようだ。

 12−13世紀なんて、北欧神話で言うとこの「エッダ」編纂と同じくらいの年代じゃん(笑)
 そりゃ文字資料では失われた話が多くあるっていうのも分かるよ、時代遅すぎ。しかも口伝の多くは巫女によって伝えられたものだとか。言ってみれば、男が文字を書き、女が口で伝えて、しかもその神話がまだ死なないうちに研究している状態、…? 
 北欧神話はキリスト教の影響で口伝えのほうはすべて死んでしまっているが、朝鮮は東の果ての国なので、それほど激しく神話狩りには遭わなかった。その点、幸運だったということか。
 この「創世歌」は、数ある創世神話の中のひとつで、威鏡南道というところで採集された巫女歌である。
 微妙に仏教。そして微妙に笑えるので聞いてやってほしい…。


 天と地とともに弥勒が生まれ、密着していた天地をはがすため、四方に四本の銅の柱をたてた。そこに二つずつの月と太陽が出現したので、それらを一つずつ撃ち落し、落としたぶんで星辰を作って空にちりばめた。
 ※何でかというと、二つだと明るすぎる(熱すぎる)からなのだそうだ。
 ※ひらたく解釈すると、星は、落とした月と太陽を砕いて作ったリサイクル品。

 弥勒は衣服の製作をしたが、まだ地上に火は無く、たべものは生のままだった。水も無かった。
 そんな弥勒に火の起こし方と水のありかを教えたのは、なんとはつかねずみだった。(えっ、ネズミ?!)
 天から落ちて来た五つの虫が人間の男女になり、それぞれ夫婦となって地上に人が満ちた。(五人ってことは一人余ったんじゃぁ)
 そこへ突然、釈迦が出現して、この世の支配権を奪おうとした。(いきなりですか)

 弥勒と釈迦は、どっちもこの世の支配権を握っていたくて、かなり壮絶な戦いになった。
 金の瓶を金のつなで吊るして切れるか否かや、成川江というところに水をはらせるなど賭け事で競争するが、いずれも弥勒が勝利する。だが最後に、牡丹の花を咲かせる競争を行うが、ここでなんと釈迦は、弥勒が寝ている間に花を取り替えるという暴挙に出る。(釈迦って一体)
 二勝一敗にも関わらず、弥勒は勝負に負けたことになり、釈迦に支配権を奪われてしまったのだ…!
 弥勒は(たぶん悔し紛れに)、この世が混乱した来世になるだろうことを告げて静かに去っていく。果たして、釈迦の治めるようになったあと、この世は混乱の時代になった。
 三千の僧と一千の居士が出現したのを見て、釈迦は、一頭の鹿を捕らえて彼らに食べさせた。すると、焼いた肉を食べなかった二人の僧だけが生き残り、残りは皆死んでしまう。(ど、毒入り?!)
 生き残った二人も、やがては死んで、石と松とになってしまったという。


 …うーん。なにやら、北欧神話とは別の意味で、鬱屈した宗教戦争感じますが、そういうツッコミはしちゃダメ?
 釈迦ってこんな人だったんですか。日本と全然イメージ違いますね。さすがは儒教の国。

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