アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA

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みずうみ谷家の人々 5

三代目 トルステインの知恵


 インゲムンドの跡を継いだのは、聡明な長男、トルステインだった。
 アイスランドの文化として、血のつながりのある者が殺された場合、残された親戚が血の復讐<フェーデ>を遂げなくてはならなかった。それは法律というよりも、義務であり、使命であると言ったほうが相応しいだろう。

 みずうみ谷の屋敷を逃げ出したフロルレイフは、セームンドの屋敷に隠れていた。といっても、セームンドはすでに亡くなっており、屋敷は息子のゲイルムンドが継いでいたのだが。
 ゲイルムンドは、インゲムンドを殺したフロルレイフを匿いたくはなかったが、従兄弟を自らの手で突き出すことは出来なかった。ただし、インゲムンドの息子たちが望むのなら、好きに連れて行かせるつもりだった。

 春も近くなった頃のことだった。冬中、機を待っていたトルステインは、弟たちとともに、ゲイルムンドのもとへやって来る。
 賢いトルステインは、父たちが築いた友情を無駄な争いはしたくない、と言い、もしフロルレイフがここにいるのなら、奴をこれ以上隠さないで欲しいと交渉を持ちかける。
 血の復讐の義務は、当然、ゲイルムンドにもある。ゲイルムンドの屋敷でフロルレイフを殺せば、ゲイルムンドは敵にならざるを得ない。
 だからこそ、直接的にフロルレイフを差し出すのではなく、隠すのをやめ、屋敷から追い出してくれないか、と言ったのである。

 トルステインが帰り、屋敷から離れた頃、ゲイルムンドは、フロルレイフに言った。
 インゲムンドの息子たちが来た、これ以上お前を隠し通すことは不可能だから、別の隠れ家を探せ。
 フロルレイフは嘲笑しながら返した。お前は、インゲムンドの息子たちと戦う勇気のない、意気地なしだ。

 雪の上には、母、リョットの家に向かうフロルレイフの足跡が点々と残されていた。
 ゲイルムンドの領地内ではフロルレイフに手を出さないと約束したトルステインたちは、目指す男が程よい場所まで逃げるまで待ってから、追跡を始める。

 リョットの家についたのは、午後遅くだった。トルステインは、牧童のひとりをリョットの屋敷にやり、そこで、何が行われていたかを見てくるように告げる。戻ってきた牧童の報告から、リョットの母親が何か良くないまじないをしようとしているのを知ったトルステインは、すぐさま襲撃を決める。
 夜になり、フロルレイフの母親は、インゲムンドの息子たちに呪いをかけるための儀式を始めようとする。だが、インゲムンドの次男、血気盛んなヨクルが真っ先に飛び込んで、それを邪魔した。フロルレイフとヨクルは取っ組み合いになり、斜面を転がり落ちる。そのとき、襲撃には、トルステインとヨクルの弟、ヘグニも加わっていた。
 ヘグニは、今まさに、悪しき呪いをかけようとしているリョットの姿を見つける。だが、呪いがかけ終わるより前に、ヨクルがフロルレイフの首を切り落とし、リョットに投げつけた。それで、呪いは消えてしまった。
 魔女リョットは、腹立たしげに言った。もう少しで、お前たちに狂気を呼び起こし、獣のようにしてやれたものを。
 トルステインは答える、それは残念だったな、運は僕らのほうにあったのさ。
 そして彼らは、邪悪なまじないを打ち破るとともに、魔女の命も奪ったのであった。

 父親の敵討ちをすませた彼らは祝宴を開き、トルステインは、正統な後継者としてインゲムンドの跡に座る。
 こうして三代目の主人公、トルステインのもとで、みずうみ谷家の全盛期が訪れるのである。


 トルステインは幸運と知恵に恵まれた人物として知られていたが、争いを回避することもうまかった。
 インゲムンドの妻の兄弟、ヨールンドの息子でモールという男がいた。インゲムンドの息子たちにとっては、従兄弟である。
 このモールが、トルステインたちの屋敷の近くにあった、持ち主のない豊かな土地を、誰にも相談せずに自分のものとした。人々はそれは、<革頭巾のトルグリム>という、評判のよくない男の仕業だろうと噂した。トルグリムは、まじないの知識のある男で、モールの地位を、みずうみ谷の人々より高くすることに熱心だった。しかも、その新しい土地をモールから譲ってもらい、自分の家と畑を作るのに使った。

 自分たちの屋敷に近い土地を、何の相談もなく他人のものにされてしまったインゲムンドの息子たちは、侮辱されたと感じていた。
 当時はまだ、アイスランドへの移住が始まってから一世代しか経っておらず、持ち主のいない、開発されていない土地というのも多かったが、それぞれの領地間での力関係というのもあったのだ。

 とはいえ、いきなり争いになるはずもなく、まずはご近所になったのだから挨拶から始めるものだった。
 トルステインは何度かトルグリムの屋敷を訪れるが、そのたびにトルグリムは家を留守にした。トルステインたちとの会合が、不愉快なものになることを知っていたからだ。
 何度も不在が続くうち、これ以上避けていられないと思ったか、トルグリムはモールに、一緒にトルステインの息子たちと会ってくれないかと頼み込む。かくてモールは、従兄弟たちと会うことになった。
 トルステインは、身内の者を踏みつけにするのは良くないことだ。とモールを責める。モールはモールで、君たちこそ、自分の領地を騒がせている、と文句を言う。両者の間に不満が募っていったが、トルステインは、しばらくは何もしなかった。

 ある時、ヨクルが言った。兄貴は、いつまで奴らの好きにさせておくんだ? と。
 するとトルステインが答えた。今まではただ傍観してきたが、今ならばトルグリムを襲ってみるのも良かろう、と。

 強運の男は、自分の見極めた時期にしか、動かなかったのである。

 トルグリムはトルグリムで、自分が襲われるのを悟ると、すぐさまモールに助力を求めに走った。すぐさま、モールは手勢を集めて迎え撃ちに走る。このとき、トルグリムは茂みに隠れて、ヨクルの剣にまじないをかけようとしていた。
 戦いが始まり、荒々しいヨクルは最前線に立って剣を振るったが、彼の剣エッテタンゲは、このときばかりは全く切れなかった。トルステインは、それが何か呪いのせいだと気づく。
 「誰か、トルグリムの奴を見かけたか?」「いや、今日は見ていない」
 「なら、奴がどこかに隠れているに違いない。ヨクル、お前はトルグリムを探せ。代わりにヘグニが先頭に立て」

 ヨクルは剣を引いて、トルグリムを探しに走った。間もなく彼は、茂みの中で目を爛々と光らせ、剣をにらみつけていた男を見つけた。ヨクルがトルグリムに切りつけ、その目から力が消えると、エッテタンゲはまた、元の鋭さを取り戻した。だが、その間に、弟ヘグニはモールの身内の手にかかって、倒れていたのであった。


 この争いは次の民会で裁かれ、トルステインの決定によって、こう決まった。
 モールが受けた損害は、トルステインの兄弟ヘグニの死と相殺すること。また、モールは争いの元になった土地を自分のものとしていいが、その土地を自分のものとするために、トルステインに銀百マルクを支払うこと。

 これをもって、彼らは手を打ち合い、平和のうちに引き上げたのである。


 それから後も、幾つかの事件があるが、トルステインはいずれも、自らの知恵と、弟ヨクルの武勇に助けられて争いを回避していく。
 人の言い伝えでは、彼には、強力な守護女神がついていたのだということである。

 ある夏のことだった。
 トールエイとグロアという姉妹が、トルステインの土地にやってきた。客好きで面倒見のよい彼は、姉妹のために土地を用意し、屋敷を与えてやった。そのために妻からは、「グロアに頭をおかしくされたんじゃない?」などと、言われることになるが。

  屋敷を整えると、グロアは祝宴を開くと言って、トルステインと付近の首領たちすべてを招待した。だが、祝宴の三日前、トルステインが眠ろうとしていると、枕もとに一家に付き従う守護女神(フィルギエ)が現れて、宴には出るなと告げた。彼女は次の番も、また次の番もトルステインのもとにやって来て、繰り返し同じことを告げた。
 サガにおいて、家づきの守護神の言うことに従わなかった者は、たいてい悲劇的な最後を遂げるが、トルステインは守護女神の言葉に従った。宴の日、彼は気分がよくないことを理由に家にとどまり、家の者も宴には出なかった。
 その日の夕方、グロアは自らの屋敷にまじないをかけ、たちまちのうちに大きな崖崩れが起こって、屋敷と、屋敷の中にいた人々を、グロアもろとも飲み込んでしまったのである。

 トルステインたちは、生き残っていたグロアの姉妹トールエイを追放した。だが、その後もグロアの屋敷があった辺りには怪しいことが多く、人は近づかなかったという、

 トルステインはやがて、老人として死ぬこととなる。跡を継いだのは息子たちだが――、それはまた、別の機会に。



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