アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA

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グレティルの死



 その年の夏、グレティルを追放刑にした首長が死んだことをグレティルは知らなかった。
 新たに就任した法律布告者ステインは全島集会で、グレティルの追放が20年に及んだとき、その追放は解かれるべしと宣言した。そしてこのとき、いかなる者も追放されて20年絶ったあとには追放が解かれるものという新しい法律が決められた。
 追放されてから19年目の夏。
 次の夏になれば自由の身になれたということを、島に立てこもるグレティルは全く知らなかった。


 呪いの木が島に辿りついた頃を見計らい、釣針のトルビエルンは養母の助言に従い手勢をかき集めた。
 彼に協力する者は少なかったが、それでも18名が島へ向かった。

 グレティルの病は日増しに重くなり、イルギはつきっきりで看病した。この災いを引き込んだグラウムは渋々と小屋から追い出され、自分の役目も怠っていねむりをしていた。すなわち、島を囲む切り立った崖の唯一の出入り口、はしごを、外さずに置いておいたのである。
 侵入は速やかに、なんの障害もなく行われた。居眠りをしていたグラウムが、囲まれていることに気付き自らの愚かさに気がつくまで、それほど時間はかからなかった。

 役立たずの下男は半殺しの目に遭わされ、転がされた。この男の口から、トルビエルンは、グレティルが今まさに死に至ろうとしていることを知る。自分の養母の呪いが、完成していたことも、
 何者かが小屋の扉を激しく叩くことに気がついたイルギは、はじめ羊だと思った。島に侵入してくる者がいるとは思えなかったのだ。
 だが、扉が蹴破られたとき、彼は敵襲を知った。

 イルギはすばやく武器を取り、入り口に立ちふさがった。グレティルも瀕死の身で槍を取り、屋根の上から襲ってこようとしていた男を貫いた。たちまち辺りは戦場となる。瀕死の男と、まだ若い男…相手は18人。だがグレティルたちは死に物狂いで戦い続けた。この時になっても、グレティルの腕には、人ひとり両断するほどの恐ろしい力が残っていたのである。
 それでも、立つことさえ出来ないグレティルは背後からトルビエルンの攻撃を受けた。かなりの深手だった。
 「兄弟がいなければ、誰でも背中は隙だらけだ」
すかさずイルギがグレティルの背を守るように駆け寄る。
 戦いの中、いつしかグレティルの体から力が消えていく。化膿した傷と、背に受けた傷のためだ。
 多くの者が倒され、ようやくイルギが押さえつけられたときには、グレティルは、すでに息絶えていたのだった。

 こうして、その名を知られた豪傑、グレティルは、戦いのさなか生涯を終えた。
 力尽きても、まだグレティルは剣をしっかりと握ったままだった。その剣は、かつてトルフィンに贈られた名剣だった。
 どんなに引っ張っても剣を放さないため、トルビエルンはグレティルの腕を切り落とした。そして、奪った剣をグレティルの首めがけて力いっはい振り下ろした。
 その剣に容赦はなく、刃こぼれがするほどに。

 グレティルの負った傷は腐り、股から腹まで及んで、切りつけても傷口からは血がほとんど出なかったという。

 トルビエルンは、捕らえたイルギを生かしておこうとしたが、イルギはそれを望まなかった。自分を活かしてけば必ず兄の復讐をするだろう、魔法などという卑劣な方法で兄を殺した、この恨みは決して忘れない、と。
 仕方なく、トルビエルンはイルギも殺した。
 愚かな下男、グラウムも殺された。
 トルビエルンたちはグレティルの首を切り離し、証拠として持ち帰る。首は塩漬けにされ、全島集会で晒されることになった。


 グレティルの母は、決して人前では泣かなかった。
 息子たちの殺害者、トルビエルンが得意げにやって来たときも、息子グレティルと同じような皮肉めいた歌をうたって帰し、人々に、この男は正々堂々と戦うことができず、卑劣な方法で、禁じられた呪術でグレティルを殺したのだと訴えた。
 今や、かつてグレティルの敵であった者たちも、このやりかたに反感を示してトルビエルンの敵となった。
 全島集会で、彼はグレティルの首にかけられた賞金をもらうどころか、逆に追放の刑を受けてしまう。それは、永久の追放にも等しい重い罪だった。
 
 追放されたトルビエルンは、もてる財産はすべて持ってノルウェーへと渡った。
 ここにも、グレティルの名声は届いていた。彼は、どんな卑劣な方法で殺したかを伏せて、自分の手柄だけを大いに自慢した。
それを、ノルウェーに住んでいたグレティルの兄、トルステインが聞いた。
 同時に、トルビエルンもまた、自分が手柄を吹聴していたこの土地に、自分に復讐を求めるだろうグレティルの兄がいることを知る。

 その頃、多くの人々がコンスタンチノープルに赴き、兵役についていた。グレティルの兄に襲われるかもしれないと気にしていたトルビエルンは、ノルウェーを離れるため、兵役につく旅に出る。
 彼の計算違いは、トルステインが決して諦めなかったことだった。そして、財産家で、人々の信頼も集め、何不自由なく暮らしていたこの男が、弟を深く思っていたことだった。
 相手の顔も知らぬまま、トルステインは弟の殺害者を追って旅に出る。

 だが、ミクラガルズで彼らは出会った。
 まさかグレティルの兄がそこまで追いかけて来ているとは思わないトルビエルンは、安心しきって、堂々と自分の手柄を自慢していた。それで相手が誰なのか、分かったのだ。

 トルビエルンはグレティルから奪った剣を見せ、その剣のへこみの理由を、こう自慢した。「これは、あの有名なグレティルの首をはねた時に出来たへこみさ」。
 人々は、「それはさぞかし頭の骨の固い男だったのだろうなあ」と驚嘆する。「それを倒した君はすごい」。
 そっと人々の輪に近づいたトルステインは言った、「その剣をもっとよく見たい、貸してくれないか。」
 トルビエルンは、何も疑わずに剣を差し出した。その男も、自分を褒めるものと思って。

 だがトルステインは、剣を受け取るや、今ようやく見つけた弟の殺害者、復讐の相手の首めがけて、激しく剣を振り下ろしたのだった。


 かつて、トルステインが弟グレティルと会った最後の機会に、予言した通りとなった。
 グレティルが、「兄貴の腕は女みたいだ。」と言った時、「だが、お前の仇を討ってやれるのは、この腕なのだ。そうでなければ、お前は永遠に復讐してはもらえまい。」と答えた通りに。
 穏やかで、剣を持つことのなかったトルステインが振るった、おそらく、生涯最初で最後の殺人的な一撃だっただろう。


 グレティルの物語は、トルステインへの復讐とともに終わる。
 この後に、トルステインを主人公とした話が少し続くが、それはもう、本筋とはあまり関係がない。

 追放された者たちの中で最も長く生き、多くの武勇を残した男グレティルの物語は、今なお、多くの人々の間で語り継がれている。

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