「ヒュミルの歌」や
「ロキの口論」では、トールにイナされる宴会部長と化しているエーギルさんだが、本業は
海の神である。
戦場で死したものがオーディンとフレイヤの待つヴァルハラへ行くのなら、海で死んだ者はフォルニョートの子エーギルと、その妻ラーンの館へ行く。
じゃあ海戦の場合はどうなのさ? と、いうと、これは死因に問題があるらしい。
溺死した者はエーギル(と、いうより実際は奥方のラーン女史の)管轄下。戦いで死んだ者はオーディン管轄下。
司法解剖の結果次第で、後処理が変わる…そんな感じの分類だ。
これは、そんなエーギルのお仕事ぶりを語る物語である。
エーギルは荒い波を擬人化したものと思われ、白いひげと、白い髪を持ち、青白い顔をして海の上を走ると考えられていた。
この老人が波間に見えると、船は転覆させられ、乗っていたものたちはエーギルの虜となる。これから略奪に出ようとするヴァイキング船とて、例外ではなかった。
船は必死で逃げたが、海の上を走るエーギルからは逃れられず、とうとう捕まってしまう。乗っていた男たちは、これまでかと死を覚悟する。
だが、そのとき、波間からエーギルを呼び止めたものがいた。
それは、彼と、妻ラーンの間にできた、波の乙女たちだった。
「待ってください、お父さん。その船は助けてやって」
乙女たちは、エーギルに近づいてきて言った。
「何を言う。久しぶりの獲物じゃ。海の底の館に連れていかねばならぬ」
「でも、お父さんは、わたしたちの気に入った人間の船なら、波路を穏やかにしてやってもいいと仰ったじゃない。わたしたち、あの船の頭領がお気に入りなの。」
父が荒い波なら、波の乙女たちは、穏やかな波の精なのだった。海の神様は女性で、気に入った人間のためには海を穏やかにしてくれる。そんな神話は、日本でもありますよね。
エーギルは娘たちにせがまれて、渋い顔で海の底へ帰って行ってしまった。
波乙女たちは嬉々として黄金色の髪をなびかせ、船を目的地へ送り届けた、という。
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続いて、エーギルの妻・ラーンの話。
ロキを捕獲するとき貸し出した彼女の網は、本来、溺死した人間を漁るためのものだ。
波の間にこの網を張り、通りかかる船を待つ。とくに海の荒れた日は、
人間がよくかかって大漁なのだという。
さて、海は荒れていたが、ある裕福な家の息子は、急ぎの用事で海にでなければならなくった。
「若旦那、やめましょう。こんな日はラーンが網を張って待ち構えている。」
召使たちは止めたが、裕福な家の息子は、聞こうとしない。
「ふん、そんなものを恐れていてどうする。網など、船で突き破ってしまえばいいではないか。」
そう言って、彼は船を出すことにした。
「では、黄金をお持ちになることだけは、お忘れにならないように。たとえ海の底に引きずりこまれても、黄金を持っていれば、ラーンに悪いようにはされますまい。」
だが、傲慢な息子はそれを聞き入れなかった。
「ふん、ラーンなど恐れてどうする。なぜ自分から死ぬ用意などしなければならないんだ。臆病なお前たちは、黄金を持っていくといい。」
こうして、船は沖合いに出て行った。風が強く波が荒いため、船は思ったように進まない。召使たちは遠くに見える町の灯を見ながら、早く着かないかと気をもんでいた。
と、そのとき、とつぜん船が何かに引っかかり、ぐるぐる回るだけで前に進めなくなってしまった。
「ラーンの網だ!」
人々は大慌て、なんとか網をふりほどこうとしたがもう駄目で、船は引っくり返って、人々は波間に投げ出されてしまった。
波の間に隠れていたラーンは、大漁を喜びながら網をたぐりよせ、人間たちを館へ運び込んだ。
裕福な家の息子たちと召使たちは死人となって、青白い顔をして館の床に転がっている。ラーンは侍女たちに言いつけて、死者たちを一人ずつ自分の前に連れてこさせた。
黄金を持っているものたちは、それを差し出して、安穏の館へ入れてもらった。
しかし、ただひとり、何も持ってこなかった裕福な家の息子だけは、暗い館へ放り込まれて、終わることの無い苦しみを味わうことになった、という。
まさに、「地獄の沙汰も金次第」。
黄金を持たないで海の上で死ぬ者の運命は、つねにこうであった、と、物語は終わっている。
出典不明だが、あちこちで粗筋だけは目にするので、エーギルやラーンについてのイメージは、ほぼ、このエピソードに沿っているのだろうと思われる。
別の神話では、黄金はフレイヤの流した涙が地面にしみこんで出来たものと語られている。
おなじく涙は、海に落ちて琥珀になった、という。
海には琥珀が豊富で、金が少なかったのだとしたら、ラーンが地上の黄金を欲しがったというのも無理は無い。