ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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(6)原型の探索 ―ジーフリト、ハゲネ、フォルケール



エッツェル、グンテル、クリエムヒルト、プリュンヒルト、そしてディートリッヒ。「ニーベルンゲンの歌」には、原型となる歴史上の人物や、物語の発端となる出来事が分かっているキャラクターが沢山いる。しかし、物語の中の全ての登場人物に元ネタがいるわけではない。

過去、物語の登場人物の原型を歴史の中に探そうとする多くの試みが行われてきた。時にはこじつけや、明らかに間違えている説が唱えられたこともある。
これまでのところ、判明している原型は全て4-6世紀、民族大移動のためヨーロッパが激動のさなかにあった時代に見つかっているが、これから挙げる三人に関しては、少なくとも、その時代に該当する人物は見つからない。また、他の時代にも可能性のある人物は見つかっていない。


■ 「竜殺しの英雄」ジーフリト

ジーフリト(シグルズ、シグルド)の名前の原型は、単純にフランク王国の王シギベルト1世だろう。(3)フランク王国の悲劇 −「争う王妃」プリュンヒルト で紹介した、「争う王妃」ブリュンヒルトの夫である。シギベルトは暗殺され、ブリュンヒルトはその復讐を果たしたのち、夫に代わって国を守ることになる。だが、シギベルト=シグルド ではない。名前の由来は彼である可能性が高いが、シギベルト1世は竜退治に関係がなく、シグルドが暗殺されたのは、プリュンヒルトと夫婦になることが出来なかったのが直接の原因だからだ。

或いは、ジーフリトの持つ竜殺しの伝説は、別の英雄のものだったかもしれない。
9世紀頃に書かれた「ベーオウルフ」でチラリと触れられる伝説では、竜殺しの手柄はシグルズではなく、その父シグムンドのものとされている。竜殺しの英雄はもともとシグムンドで、その手柄がやがて、息子と設定されたプリュンヒルトの伴侶・シグルズに移っていったのかもしれない。伝説の変化する過程の文字記録は残されておらず、すべては推測にすぎないのだが。

名前と伝説は別々のものだったが、後から結び付けられた。そう考えると辻褄は合わせられそうだが、該当する伝説の持ち主が歴史上の何処にも見当たらないから困る。
確かなことは、ジーフリトはいつしか、北欧の伝説の中で最強の英雄のに一人となり、理想的で完璧な像へと進化していったことだ。「ヴォルスンガ・サガ」では、彼はオーディンの血を引くヴォルスングの一族に生まれたことにすらなっている。この人物に関わる伝説は多くのパターンが作られていて、もはやどれが古い形なのか分からない。

ジーフリトの原型は、いまだ霧の中に沈んだままなのである。


■ 悪魔か英雄か ハーゲン・フォン・トロイエン

ジーフリトと同じく、多くの伝承に姿を見せながら原型が全く見つからないのが、トロネゲのハゲネ(トロイアのハゲネ)。
トロイアという地名は特徴的だが、逆に特徴的すぎて、同じ名前が付けられた場所が実に沢山存在する。トロイア戦争のトロイアはもちろんのこと、ジーフリトの出身地クサンテンの古名もトロイアだし、ベルギー、フランス、ノルウェーと、「トロイア」「トロヤ」に近い音を持つ町をさがせばキリがない。それらの町の過去の記録を漁れば、ハーゲンという名前が見つかることもあるだろう。(昔は苗字なんて無かったので、「フォン」のあとは地名である。ハーゲン・フォン・トロイエンとは、トロイア在住のハーゲンさん、という意味だ)

グンテル(グンナル、ギュンター)王の原型は、実在したブルグント族の王、グンダハル(グンダハリ)である。しかし、その同時代の記録にハゲネに該当するポジションの人物も、似ている名前の人物も登場していない。名前がブルグント族のそれとは異なっていることからして、ハゲネは、もともとグンテル(グンナル)の兄弟という設定ではなかったようだ。
ハゲネがグンテルの兄弟として登場するのは、主に北欧の物語である。ということは、ハゲネは北欧の伝承の中で組み込まれた人物かもしれない。だが、「ニーベルンゲンの歌」でのハゲネの最大の役割が ”英雄ジーフリト殺し” であるのに対し、北欧のハゲネはジーフリト殺しの犯人ではなく、クリエムヒルト(北欧ではグズルーン)の復讐の対象にもなっていない。王の信頼できる補佐、一族きっての英雄、という役どころなのである。
グンテル王の宮廷における重臣、それがハゲネの重要な役割だった。にもかかわらず、歴史上のグンテル王の側近にハゲネが見当たらない…。

こうして、ハゲネの原型は今も分からないまま、彼の正体も、出身地も、今も議論の的となっている。


■ 過去の無い男 フォルカー・フォン・アルツァイ

重要な役どころでありながら出所が分からない第三の男、それがフォルケールである。ただし、彼についてはある程度の目測がつけられている。
ジーフリトやハゲネと違い、「過去が全くない」、つまり登場する物語が限られていることが、その出自をある程度絞り込ませてくれるのである。楽人剣士フォルケールは、今のところ発見されている中では、「ニーベルンゲンの歌」より古い時代に書かれた物語には存在していない。

フォルケールの出身地にあたる部分、「フォン・アルツァイ」だが、ハゲネの「トロイア」と比べて、アルツァイの候補地は少ない。というより、そのものズバリの場所がある。ただ、アルツァイという地名自体に大した意味は認められていない。アルツァイの町の紋章がヴァイオリンなので関連づけられたのではないかとされる。その紋章が使われるようになったと確実にいえるのは「ニーベルンゲンの歌」成立よりも後の時代であること、それはアルツァイの城主が詩人の庇護を行っていたためであり、城主自身が詩人だったわけではないこと―― などから、フォルケールの出身地を設定するにあたりイメージに合う土地として選ばれたのだろう。

アルツァイの町の歴史がある程度判っているため、フォルケールもそれほど古くから存在したキャラクターとは考えられていない。フォルケールが登場したのは、「ニーベルンゲンの歌」「シドレクス・サガ」の成立する13世紀初頭か、遡ってもそれより少し前の時代だろうとされる。大胆な推測では、彼の正体は実は「ニーベルンゲンの歌」の著者自身で、自分の姿を物語の中に投影したのではないかとすら言われる。

根拠となるのは、たとえば、地名と風景の描写だ。後半で、ブルグント族はフン族の城へ向けて旅をするが、その旅の途中、立ち寄った町が幾つかある。その一つが、パッサウ。ウオテ皇后の兄が司祭をつとめるというこの町の描写が、ただの通過点にしては活き活きと、ずいぶん重要そうに書かれていたはずだ。このパッサウこそ、編纂者である詩人の住んでいた町とされている場所なのだ。詩人は、登場人物たちに自分の住んでいる町を通過させ、当然ながら自分の知っている土地の風景描写だけば、伝聞ではなく自分の体験に従って詳細に描くことが出来た。その道を通過する際、登場人物に「フォルケールはこのあたりの土地には詳しいから」と言わせているのは、正体が自分だと気づかせるための仕掛けと言えなくもない。

「ニーベルンゲンの歌」が書かれた当時のパッサウには、実際に、物語に登場するピルゲリーンに相当する僧正、ウォルフゲル・フォ・エレンブレヒッキルフェ(Wolfger von Ellendrechtskirche)が存在していた。この人物は、1191年から1204年の間、僧正職にあったようで、作者はこの人物のことを知っていた、ということになる。
また、パッサウには、楽人騎士という特別な立場の人間がいた。フォルケールが楽人剣士として活躍することからみて、作者は、パッサウとウィーンでのみ栄えたこの階級に属していたのではないかとも言われている。

もっとも、ここまで分かったからと言って、特定の個人名はなかなか出て来るものではない。最近に書かれた本では、コンラート・フォン・フッセスベルンネンなる人物が最有力との説が載せられていたが、この説が正しいかどうかは、定かではない。



もしもフォルケールに原型となるキャラクターがおり、「ニーベルンゲンの歌」成立以前の伝説に既に登場していたとしても、少なくとも「ニーベルンゲンの歌」においては、作者の詩人自身が投影されていると言っていいだろう。
詩人にして戦士、眉目秀麗で礼儀正しい理想的な人物、フォルケール。彼の役目とは、遥か古えより変化しながら語り継がれてきた物語を、詩人自身の生きる世界に繋ぎとめること。ヴァルキューレや竜殺しの勇者たちを、キリスト教化された「13世紀のドイツ」の存在へと変えることだった。

過去と顔の無い男、フォルケールの実体は、こうして、物語の中と現実に二重に現れる。彼は物語の中に自分の投影を創りあげながら、何を思っていたのだろう。現実世界の肉体が滅びたあと、物語の中で永遠に行きつづける彼の精神は、一体何を思うだろう?
物語中で「底知れない存在」と言わしめられた楽人剣士は、現実世界においてもまた、その姿をはっきりとは見せてくれない、謎めいた存在なのである。


2009/06/12 re


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