ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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(3)フランク王国の悲劇 −「争う王妃」プリュンヒルト



■ 史実としてのプリュンヒルト

「ニーベルンゲンの歌」の中で、悲劇の発端の一つを担うものが、二人の王妃、プリュンヒルトとクリエムヒルトの「女の争い」だ。
クリエムヒルトについては、既に、フン族の王アッティラが死んだ夜、ともにいた若い花嫁ヒルディコが元になって発展したということを書いた。プリュンヒルトの原型となる人物も、少し後にはなるがほぼ同時代、6世紀のフランク王国に存在する。ヒルディコが「復讐する姫君」としてクリエムヒルトになったように、プリュンヒルトは「争う王妃」として伝説に取り入れられていった。
元になったとされるのが、フランク王国の歴史―― 二人の王妃、ブリュンヒルトとフレーデグンテの争いである。



フランク王国は、現在のフランスのあたりに建国された、ゲルマン人の一派・フランク人の王国である。問題となる時代、王国は3つに分割されていた。

アウストラシア(アウストリエン)を治めるシギベルト(ジゲベルト)の妻は、西ゴート族の王アタナギルトの娘・ブリュンヒルト。
対して、ネウストリア(ノイストリエン)を治めるキルペリク(ヒルベリク)の妻は、フランク人ではあるが、あまり高貴ではない血筋の娘・フレーデグンテ。
残るもう一つがグントラムの治めるブルグントだが、この国はアウストラシアとネウストリアが暗殺合戦で人がいなくなった後も残ることになる。

もともとフレーデグンテは、欲の強い女性だったらしい。既にアオドヴェラ(テオドヴェラとなっている本も)という妻がいたキルペリクは、愛人フレーデグンテと結婚したいがために元の王妃を追放。追放された王妃は、のちに嫉妬深いフレーデグンテによって暗殺されている。キルペリク自身もロクでもない王様で、兄の妻・ブリュンヒルトの持つ財産に心惹かれ、フレーデグンテを再度追放して、さらにブリュンヒルトの姉・ガルスウィンタと結婚しようとするのだ。だが、これを快しとしなかったフレーデグンテは、ガルスウィンタをも暗殺する。夫・シギベルト一世と姉を暗殺されたこともあってブリュンヒルドはフレーデグンテを恨み、お返しとばかりキルペリク1世を暗殺するが、自身もフレーデグンテの息子クロタールに殺される。

ここの部分の家系図を簡単に書くとこんな感じだが…、ちなみに矢印は暗殺の方向。
資料は主に、アウストラシア領トゥールの司教グレゴリウス、いわゆる「トゥールのグレゴリウス」による「歴史十巻」による。グレゴリウスは、ブリュンヒルトの夫で、暗殺されたシギベルト1世の口添えでトゥールの司教に着任した。その恩もあって、生涯、シギベルト・キルデベルト親子に忠誠を誓っている。キルペリクとフレーデグンテの夫妻は「悪」として描かれ、その子孫たちが次々と早死にしていき、家系が途絶えるさまを、まるで天罰であるかのように描きだしている。



ここに登場する王妃ブリュンヒルトが、「ニーベルンゲンの歌」に登場するプリュンヒルトのモデルだというのだ。異民族の王女という点において一致し、またゲルマンの一派ゴートの王女として、テオドリクと同様、ゲルマン人の移住前の故郷・北欧に伝えられて伝説になった可能性はある。ただし、このブリュンヒルドから読み取れるのは、王朝を衰退させるまで激しく争そう「二人の王妃」の原型だけで、のちの伝承の中で彼女に付加されている戦乙女の性格などは見られない。
また、記録の大半がグレゴリウスという親・シギベルト派に所属する一個人の「日記」的な書物によるため、シギベルトの妻ブリュンヒルドが実際より良く描かれていた可能性も否めない。彼にとって都合の悪いことも書かれていない。夫亡き後、彼女の行った壮絶な「王位奪還作戦」の大半がぼやかして書かれているのは、あまり褒められたものではない手段も使ったということだろう。その中には、キルペリク1世の暗殺も含まれている。


■ 史実と物語のブリュンヒルト像

物語は、幾つかの歴史的事実を含んでいる。
一つには、この歴史上のブリュンヒルトは、自ら剣を操り、馬を駆った勇猛な女性であったということだ。丸腰のまま癇癪もちの孫トイデリッヒと見えたとき、トイデリッヒはいつものように精神的に不安定になり剣を抜いて祖母に襲い掛かる。だが剣の扱いに長けたブリュンヒルトは孫の凶刃をかわし続け、人を呼ぶ時間を稼いだという。トイデリッヒは既に兄トイデベルトを暗殺しているから、武器の扱いが全く素人だったわけでもあるまい。お姫様育ちとは思えない武勇話だ。

またもう一つに、ブリュンヒルトは実際にヴォルムスの女王だった。(この頃にはヴォルムスも、ブルグント族もフランク王国の中に組み込まれている)
ヴォルムスにアウストラシアの首都を定め、後継者シギベルト2世が成人するまで、自らが女王として統治していたのだ。現在でもヴォルムスに行けば、彼女の名前のついた地名があるという。その名前は、「ニーベルンゲン伝説」に登場する女王ではなく、史実の女王のものなのだ。

彼女は最終的に、クロタール2世の罠にかかり、捕えられて馬に四肢をくくりつけられて裂かれて死んだという。遺体は荼毘に付され、馬具とともに墓に収められた。「エッダ」の中のブリュンヒルトには、シグルズの死後、自ら炎に身を投じて死に、馬に乗って死後の世界まで追いかけてゆくシーンがある。その意志の強さと猛々しいイメージは、史実のブリュンヒルトのそれと重なっている。案外、物語の中に描かれるブリュンヒルト像は、実際に彼女が生きた同時代の人々が抱いたイメージと、大した違いはないのかもしれない。


2009/06/11 re
2009/07/06 修正.


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