シャルルマーニュ伝説
-The Legends of Charlemagne

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異教徒に対する誤解っプリ



 何も「ロランの歌」に限られたことではないが、騎士文学はこぞって、回(イスラム)教徒を誤解しているようだ。

 比較的良心的・好意的な執筆者(例:ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ)は、誤解しつつも、人として最低限の好意は抱ける描き方は、してくれているが、同時代のドイツの詩人でハルトマンあたりになってくると、「ロランの歌」に似た無茶苦茶な書き方をしてくれている。ここらへん、捉えようは個人差があったということか。

 問題の、「ロランの歌」における異教徒の誤解ぶりをあらわす箇所を抜き出してみる。
 誤解記述は、のっけから飛ばしてくれる。

砦も都市(まち)も撃ちこぼたれて
残るはただ山間(やまあい)なるサラゴッズのみ。
此処を領ずるは王マルシルとて、神を崇めず
マホメットを拝み、アポリンに祈るやからなれば、
所詮滅亡は免れがたし! アオイ

−ローランの歌(1節)  佐藤 輝夫 訳

キリスト教徒にとって、神は自分たちの神しかないわけで、それ以外を崇める異教徒はみな悪である。
したがって、ここで言う「神」はキリスト教の神であり、アッラーは神とは認めていない。…と、いうか、まずサラセン人が崇めているのはマホメットだと言い切っている。

 この誤解は、13世紀前後のドイツ叙事詩、17世紀ルネッサンスのシャルルマーニュ伝説に至るまで、悉く、回教徒の信仰するものはマホメットだ、ということになっている。
 何度も十字軍で遠征してるくせに、何で知らないのかなぁー・・・と、いうか、興味無かったからどうでも良かったんだろうね、本当に^^;


 マホメットが生まれるのは紀元571年。40歳で預言者として名乗りを上げ、622年にメッカからメディナへと逃げる。(いわゆる”ヘジラ”の年である)
 このときから、マホメットによる「アッラーは偉大なり。キリストに勝るものなり」と、いう布教が始まる。
 布教は最終的に武力へと結びつき、わずか百年のうちに、ペルシア、小アジア、インドに近い地域までがおおむね一つの思想に統一される。このとき、アラビアは、今、我々がイメージする”アラビア”になったのである。
 (ちなみにエジプトが、ローマ支配からアラビア文化圏に変化したのも、このアラビア支配の時代だ。つまり古代エジプトの本当の終焉は、8世紀ということになる。)

 彼ら「マホメットの信徒たち」は、マホメットを崇めているのだと勘違いされたのは、マホメットが「預言者」で、神そのものではないが、神の言葉を代弁しているという思想を知らなかった(または故意に無視した)ためだと思われる。
 周辺地域を占領しつくしたアラビアの勢力が次に矛先を向けるのは、当然キリスト教の国々、当時まだ存在していたローマ帝国なわけで、キリスト教徒からすれば、イスラム教徒は、「西方の脅威」と呼ばれるほどに、キリスト教世界の秩序を乱す恐ろしい存在だったののである。

 こうして考えると、現在のキリスト教とイスラム教の仲の悪さは実に根が深い…と、いうところだが、憎むにしても、まず敵を知らねばどうにもなるまい。と思うのはオレだけではないだろう。
 と、いうわけでマホメットについての誤解は説明がついた。

 次に、アポリンについて。

 アポリンとは、ギリシア神話の太陽神、アポロンのことだ。
 マホメットが現れるまでのペルシアで、月や太陽など天体に関わる神々を崇めていたことは認めよう。
 それは古代ギリシャの神々に似ていたかもしれない。だが、何でマホメットとアポリン?!

 実は、他の文学でも、回教徒はギリシア(ローマ)の神々を崇めていたことにされている。

フェイレフィースはアルトゥースに向かって言った、
「女神ユーノーの恵みの風に運ばれて、西方の国に来た時に、私のすべての不幸は終わりました。
ところであなたは、その栄誉があまねく知れ渡っているお方にそっくりのご様子ですが、アルトゥース殿ではございませんか。」

−パルチヴァール 第15巻 (郁文堂・共訳)

 ユーノーとはジュノー、つまり、ギリシア神話の主神、ゼウスの奥方、ヘラのことである。
これはヴォルフラム・フォン・エッシェンバハの作品からの抽出だが、同じ作品のほかの場面では、ジュピターやマルスの名を呼ぶ回教徒の姿も見られ、過去のローマの信仰が、もはや異教となってしまったことを伺わせる。


 さらにもう一つ、「ロランの歌」では、ユダヤ教も回教徒の仲間として数えられている。
戦が終わり、サラゴッズの砦が占拠された際、「ユダヤ教会、回教会など、隈なく捜索せしめたまう」と、在り、両者の区別はされていない。

 つまり、「ロランの歌」の作者および同時代の人々…もっと範囲を広げて、中世・キリスト教世界の人々にとっては、異教はどれも同じだと、思っていたと言えるだろう。キリスト教と「それ以外」、正義と「悪」、仲間と「敵」しか無かったのである。
 …ここに、現在の欧米的感情の源流の一部を見ることも、さして難しくはないだろう。


 さて、「ロランの歌」に登場するイスラム教徒の皆さんについてだが、何故、イスラム教徒がスペインにいたのかについて、地図を交えて解説しておこう。
 例によって自作のため、わかりにくいのはカンベン。

 でっかい赤いボールの位置がエルサレムと思いネェ。
 イスラム教徒の皆さんは、矢印のごとく、まずアフリカ北部(エジプト含む)をアッラーの福音に染めながらヨーロッパに接近。モロッコから北上してスペインへ上陸。スペインをイスラム教徒の国に変えた。
 スペイン王マルシル(マルシリウス)がイスラム教徒なのは、そういうわけだ。
 ここでフランスが負けたら、背後に控えるヨーロッパの国々もイスラム教徒に席巻されてしまう…と、いうわけで、シャルルマーニュは最後の希望、最終防衛ラインにも等しい持ち上げられ方をしていたというワケ。

 まぁ実際の歴史では、そこまで頑張って戦ってないようなんだけども(笑)

 ちなみにロンスヴァルは、×印をつけたあたり。スペインとフランスの間には険しい山脈がある。地図帳で要チェック。



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