シャルルマーニュ伝説
-The Legends of Charlemagne

サイトTOP2号館TOPコンテンツTOP

ヒゲにこだわる男たち



 ヒゲといえば男の象徴。
 逞しいヒゲを重要視する文化というものは、世界各地に見られるもので、別段不思議なものではない。たとえば北欧のサガには、こんなシーンが出てくる。

 「確かな証拠を見せてあげられるわよ」とハルゲルズはいった。
 彼はほかの男なみに自分の髭が生えるようにこやしをやっていないんだから。これからは彼のことを髭なし親父、息子たちのことをこやし髭と呼びましょう。」

−ニャールのサガ(44節) 谷口幸雄 訳

これはハルゲルズという女性が、髭の薄い男性ニャールを馬鹿にして言った言葉で、「髭なし」は「お前は女のようだ(ホモの意)」と同じく、最大級の侮辱だった。
 また、古代エジプトでは、王は公式の場では必ず付け髭をつけていた。
 髭に対する人間の本能的な「コダワリ」。それは様々な形で文学の世界にも現れてくる。なのでまあ、ヒゲにこだわること自体は、特に珍しいわけてもない。

 だが。

 限度というものがある…。「ロランの歌」に登場する人々の、ヒゲに対するコダワリは、ちょっと偏執的なのだ。
 たとえば、冒頭のイスパニア陣営での、次のシーンを見て欲しい。

ブランカンドランの申すには、
「わたくしめの、この右手(めて)にかけて、
胸の上にひらひらと靡くこの髭にかけて、申し上げます。
フランス方の軍勢は立ちどころに矛を収め
故国なくフランスに引き上げましょう。」

−ローランの歌(4節)  佐藤 輝夫 訳

ブランカンドランは敵側のNo.2という重要な役柄である。その彼が。よりにもよって、こんなことを。
オイオイ、髭にかけてどうするんだそんなに価値のある髭なのかブランカンドラン。お前の名誉は、お前がこれまで培ってきた信頼は、すべて髭によるものだとでも言いたいのかー?!

もちろんツッコむべき点は、ここだけではない。
さらに場面が移り、今度はシャルルマーニュ陣営。

ネーム大公答えて言うには、「冀(こいねが)わくばわたくしが!
さ、さ、御手袋と御杖を賜りますよう」と申せば、
王は答えて、「そちは良き相談相手じゃ、
この、わしの頬髯と口髭にかけて、
そう遠いところまで、離れていっては相成らぬ。
さ、退って座るがよい! 誰もそちを名指してしいぬ。」

−ローランの歌(15節)  佐藤 輝夫 訳

お前もか。シャルルマーニュ! 何でヒゲ。ヒゲにかけるって一体どういうことですか。何かあったらヒゲを剃るんでしょうか?

そのヒゲに対する熱い思いはさらに続く。
ストーリーが進み、ロンスヴァルにてロランが討ち死にしたと知ると、シャルルマーニュは頭ではなく髭を掻き毟って悲しみ(まぁ確かに兜かぶってれば髭しか掻き毟るところは無いが…)、仇うちとばかりイスパニア勢に猛然と襲い掛かる。

そんなシャルルマーニュを見たイスパニアの人々は、「白髭を翻えす皇帝は勇気に満ち、限りなく豪胆の御方なれば、戦に臨めば逃げることなし。」(186節)と、恐れるのである。
髭で判別されてるシャルルマーニュって一体。マントでも髪でもなくヒゲを翻すことによって敵を威圧する、そんな人だったのか。

輪をかけて壮絶なのが、次なる決戦の場面。

皇帝の駒を進めさせ給う御有様を見奉るにいとも気高し。
御髭を鎧の胸前に靡かせ給えば、
皇帝への親愛の情にて、従う者みなこれに倣う。

(227節)

…42万人全員がヒゲをですか?
想像するだに凄まじい光景なのですが。つまりフランス軍=ヒゲ軍団と、いうことですか?
その総大将がヒゲ王シャルルマーニュなんですね?
いやはや、ヒゲが立派なのは敵側の回教徒だとばかり思っていたら、サラセン人は戦に負け、ヒゲでも負けたというわけですか…。

 と、ここまで考えて、オレは、ある文学を思い出した。
 ・・・そうだスペイン文学、エル・シードだ!!

  エル・シードも非常にヒゲにこだわる男で、何かにつけて髭について熱く語っていたものだった。
 ちなみにエル・シードが書かれたのは12世紀のスペインだ。地域や国に共通点は無い。
 同じ騎士文学でも、「ロランの歌」より新しく、「エル・シード」より古い時代に書かれたドイツの騎士叙事詩「ニーベルンゲンの歌」には、執拗にヒゲに拘った描写は一切出てこない。だとすると、この「ロランの歌」の時代自体が、ヒゲに拘った時代というわけでもないのだろう。
 では、いったい何がヒゲにこだわる文学を生み出す要素となったのだろう…?


 ひとつ推測されることは、ドイツの騎士文学は、フランス周辺の騎士文学とは毛色が違うということ。
 ドイツの騎士文学はシュタウフェン朝のもとではぐくまれたものであり、おとなりフランスとは異なった価値観の社会を形成していたのかもしりない。
 シュタウフェン朝時代の作品には、ヒゲに名誉の意味を持たせる作品は、ちょっと思い浮かばない。
 まさしく毛色が違うというべきか、ドイツ叙事詩はヒゲなど体毛にはこだわらない(笑) 北欧のサガにはヒゲに関するこだわりがあるのだから、ドイツにもあっても良さそうなものなんだが。時代ごとに文学的な嗜好の流行ってやつがあるのかもね。


 ちなみに「ロランの歌」の中で、ロランやオリヴィエが自らの髭について語るシーンは皆無である。
 どうも、髭にこだわるのは、それなりの年で身分の高い者に限られるらしい。



BACK戻る >NEXT