それから寝室に行き、哀歌を歌う。
一人が他の一人のため。
老の身には全てが広すぎるように見えた、野も住居も
ベーオウルフの家族について、考えたことはあるだろうか。
英雄とても人の子である。両親は存在する。
ベーオウルフの母は、レーゼル(フレーゼル)王の娘。名前は不明。父は、スウェーデン王家、つまり異国の王家からやって来た入り婿である。しかし、母はおそらく早くに他界し、父もまた、ロースガール王の言うように、ウィルウィング族のヘアゾラフという勇士を殺したことから国を追われ、一時期、ロースガールのもとに身を寄せる。
と、いうことは、妻の身内は庇ってくれなかったのだろう。
争いの火種となるヤツはとっとと外国にでも行ってしまえ! …その後、ベーオウルフの父親が帰国したかどうかは、分からない。
そのため、ベーオウルフは、祖父レーゼルのもとで育てられた。
ベーオウルフをとりまく親族たちには、つねに不幸がつきまとっていたようだ。
物語の本筋ではほとんど触れられていないが、彼の祖父にあたるレーゼル王には3人の息子がおり、前半で主君として仕えているヒゲラークは、末っ子だった。
この兄弟たちの中、長男ヘレベアルドは、次男ヘスキュンに誤って暗殺されてしまう。
しかし、レーゼル王にとっては、実の子同士が殺しあったわけだから、生き残った者に対し、死んだ者の報復をすることは出来ず、賠償を求めることも出来ない。
最期の戦いに赴く前、かつての祖父と同じほどに年老いたベーオウルフは、年老いた王の身にふりかかった出来事を回想する。彼は、祖父の悲しみを間近に見て、その思いを感じ取っていたのだろう。
やがて、祖父は悲しみのうちに死ぬ。
王が死ぬや、デンマーク勢との争いが起こり、王の次男ヘスキュンは討死。ヒゲラークだけが生き残り、王位を継ぐ。
時は流れ、ヒゲラークは、フリジア人との戦の中、ベーオウルフがグレンデル退治の褒美としてロースガール王から賜った、あの、素晴らしい首飾りをつけたまま戦場に倒れる。
かつてグレンデル退治の際おとずれた壮麗なヘオロットは、ロースガールの息子たちに反逆した、ロースガールの甥・ローズルフとの戦いで焼け落ちる。
話の中に出てくる戦争のほとんどが、「同盟の破綻」。かつて良好な関係として語られた人々さえ、物語が進めば、敵同士となることがある。
序盤で援助をするデーンの民、つまりロースガール王の一族とベーオウルフの一族さえ、何度か争ったことがある、という。
平和は一次のものでしかなく、隣人はいつ敵となるか分からない。たとえそれが、血族であっても。
ベーオウルフの生きていた時代は、そんな時代だった。
華々しい英雄譚とは裏腹に、ベーオウルフの普段の生活には、幸せの影は全く見えなかった。
親友として名前の出てくる人物も直接登場はしないし、親しく話をする相手の存在も、あまりいない。
それは、単に語り部となる詩人の手落ちなのか?
それとも、ベーオウルフとは本当に、このような人生を送った人物なのか。
この孤独な英雄の周りには、多くの争いと、親しい者の死と、裏切りとがあった。
だが、同時に、決して裏切らない者たちがいることも、彼は知っていたはずだ。血のつながりはなくとも父として接すると言ってくれたロースガール王、父代わりだった祖父、彼の葬儀で挽歌を歌い、死を悼む、祖父の妻ヒュグド…。
孤独の影を背負ったまま、ベーオウルフは、単身で竜に挑むことを淡々と語り、出陣する。
だが、守るべき価値あるものを持たない者が、死を覚悟しなければならぬ戦いに、堂々と赴いたりするだろうか?
彼の父方の一族、スウェーデン王家の血を引く者は、ウィーラーフだけになっていた。
だが、そのウィーラーフこそ、ベーオウルフの危機にただ一人かけつけ、助成する勇士である。
ベーオウルフに妻や息子がいたかどうかは分からない。だが、いなかったとしても、彼は満足していただろう。たった一人の身内に助けられ、目的を遂げて、看取られて逝くのなら。
「運命は、わが親族なる心猛き戦士らを、ことごとく滅びへと追いやった。
我も、後を追わねばならぬ。」(2814-2816)
だがベーオウルフ、死んでヴァルハラに行ってしまったら、また戦いの日々が始まってしまう。
願わくば、あなたに平穏なる眠りのあらんことを。