心は激しくなかった、それでも彼は神の与え給うた豊かな才能を、
戦いでは逞しく守っていた、久しく侮られていた
ゲータの人々が彼を勝れていると思わなかったので。(第31節)
だが、これは紛れも無い事実である。
30人ぶんの力を持ち、他国の困っている人のために命がけで怪物退治までする勇敢なベーオウルフは、ゲルマン戦士に似合わない優しさの持ち主だったゆえに軽んじられてしまったのだ。
こんなん許されていいのかベーオウルフ。あんた強いんだから、もうちょっとアピールしなきゃいかんだろう。王に「弱公子」なんて思われて、過小評価されているのに、それに甘んじるのか?
前半で出てくるウンフェルスなど、口先ばっかり派手で、いざという時はちっとも戦わない人だったが、それでも王のお側近くにいられたもんだ。自分からはなんも喋らないけど仕事はキッチリするベーオウルフのが偉くたって、おかしくないだろう。
ベーオウルフの友人ブレカだって、泳ぎ勝負はいかにも自分が勝ちましたといわんばかり触れ回り、そのことを人々に信じさせていた。(そしてベーオウルフは、物語中で、それは嘘だと撤回する)
この時代の勇士というものは、ある程度派手に立ち回って、自分を宣伝しなければ地位や名誉が得られないものだったのかもしれない。
だのに控えめすぎだ、ベーオウルフ。自分がやったことをもう少し誇ってもいいんじゃないのか。
え、何? 何だって?
「人の心中に多くの侮りの心が生まれ育ったとき、魂の番人は眠っている。
その眠りはあまりに深く、苦悩に縛られている…
そして邪まにも、矢を射る殺害者がすぐ近くにいる。」
…それは、以前ロースガール王がベーオウルフの出立に際して託した訓戒…。
傲慢な心が勢いを増せば、人は必ず破滅すると。かつて、悪王ヘレモードがそうであったように、禍いの源たる思いに囚われるなと、かの老王は言った。
その忠告を忠実に守り続けたというのか。
ベーオウルフの実力があれば、普通に戦ったって国の一つ二つは盗れるだろうに、なんとも真正直な生き方。それでも王となれたのは、まさしく「転機のおとずれ」によるもの。ヘタしたら、彼は王にはなれていなかったのではないか? それとも、自分が望むと、望まざると、彼が王をつぐ運命だったのか。
だが、ベーオウルフ。
力だけではなく、「見かけ」も強くなければならなかったこの時代、「ただ優しいだけでは守れない」ものもあったのではないのか。
誉れや栄光の輝きは、宝石の輝きと同じく、無意味であると同時に永遠でもある。
竜との戦いのあと、その財宝である宝石を手に入れたのは遺された者たちだった。死したベーオウルフが手に入れたのは、永遠に失われない英雄の名と輝き…。
たとえ宝は失われても、英雄の名は失われない。ベーオウルフは、ロースガールが言った「とこしえの利益」を求めた。
だからこそ、良き王と呼ばれたのだろう。
でもサ、死んでから認められたってどうしようもないじゃん、生きてるうちにもっと幸せになろうよ。と思うのは私だけなのか。