雑感書評-雑感

田中元外相更迭騒動に思う


 田中眞紀子元外相がとうとう、と言うかやっと更迭された。世間ではこの話題で賛否両論(テレビで視る限り否の方が多いが)盛り上がっているところ、私なりの視点でこの問題を論じてみたい。

NGO問題

 今回の外相更迭の報に接したとき、私はこの件でまさか更迭まで行くとは思っていなかったので驚いた。このことは逆に、常日頃から田中外相は更迭すべきと考えていた私であっても、この一件は更迭するに足りる十分な理由ではないと感じていたことを意味する。まして、田中支持者の間で納得が行かないというのは宜なるかなである。
 さりとて問題が無かった訳では勿論ない。私の睨んだところの事の真相は、件のNGOの大西氏に外務省が釈明した言葉が一番正確であるように思う。つまり「外務省は鈴木(宗男)氏を気にしすぎた」のである。確かに、鈴木氏はNGOのピースウインズジャパン(PWJ)を快く思っていなかったのは間違いあるまい。そのことの是非はさておくとして、野上外務事務次官ら外務省側の主張の通り鈴木氏からの働きかけが実際は無かったとしても、鈴木氏の意向を忖度した外務官僚がNGOの出席を辞退させた、というのが一番有り得るところだろう。こうして考えると、「鈴木宗男のせいでNGOが出席できなかった。○か×か?」という問題の正解はそう単純には割り切れない。
 しかし田中氏は、故意か過失かは分からないが、鈴木氏からの具体的な圧力があったと主張(「メモがある」等)したため国会審議が激しく混乱することになった。讀賣新聞等の報道によれば、小泉氏ら政府首脳は、田中氏の一連の発言やメモが実は全くの出鱈目であって、それでは国会審議が乗り切れないため、やむなく更迭に踏み切ったとある。現に「政府見解」では特定の議員の圧力は無かったということになっており、結果として田中氏が嘘をついていたと主張しているに等しいのである。

政府の言うことはあまり信用しない

 また私が指摘しておきたいのは、今回の議論のそもそもの始まりは、大西氏が「政府の言うことはあまり信用しない」という発言をしたことであるという当たり前の事実が、知ってか知らずか無視されているということだ。
 アフガンの復興に際してPWJ等のNGOが政府も知らないようなアフガン高官の携帯電話の番号を知っていたこと等、NGOの活躍ぶりは広く知られている。NGOは政府とは違う役割を持っているし、今回のようなアフガン復興に際しては、外務省とNGOが協力して物事を進めるのが最善の方法であることに誰も異論は無い筈である。実際、外務省とNGOは協力しなければならないのにNGOを排除するのはおかしい、という論調も多く見られた。
 しかしだ。当のNGOの大西氏は「政府の言うことはあまり信用しない」と宣われているのである。これは政府に協力するのを拒否したと取られても仕方のない発言であるにも関わらず、不思議なことに、政府とNGOは協力し合うべきだという観点からこの発言を問題にするような論調は全く見られない。もし逆に外務省が「NGOの言うことはあまり信用しない」などと言ったら、どんな騒ぎになるかは容易に想像がつく。
 第一、NGOの会議を政府が主催するというのが変な話だったのだが、何かの都合で政府主催となってしまったのであれば、非協力的なNGOは排除される危険性だって無い訳ではない(果たしてそこまでの覚悟を持った上での発言かどうかは知らないが)。しかし私も当然ながら政府とNGOは協力すべきだと考えるので、外務省がNGO排除という挙に出たのは不適切だったと思っている。
 因みに、NGOと言うと、何やらボランティアだとか復興支援みたいなイメージが強くなってしまったが、本意は非政府組織というだけなので、経団連や民放連なども政府代表団でない限りは国際会議に出れば全てNGOなのである。

外務省改革と外交

 基本的に田中氏については外相としての資質に難ありとされてきたところであって、それが何故に今まで解任されずに済んできたのかと言えば、世間一般に言うところの「外務省改革」の為である。外交より外務省改革のために大臣となる、というのはそれ程に外務省の腐敗が進んでいたということでもあるが、さりとて外交を蔑ろにしてまで外務省改革をすべきか、或いは田中氏でなければ外務省改革は進まないのか、という点を一度は考えてみる必要がある。例えは悪いが、自分が病気になったとして、悪徳な名医と清廉潔白な藪医者と、どちらに手術してもらいたいと考えるだろうか。
 とにかく、外務省改革は外交を犠牲にした上でも進めるべきだ、外務省改革の為には少しぐらい外交が犠牲となっても仕方ない、と考えた上での支持であれば、それは各人の任意の選択である。しかし、「外務大臣は日本国政府の外交の責任者である」という至極当然の事実が忘れ去られているようなことがあれば困った問題である。

外務省改革と人事

 更に言えば、そもそも田中氏は実効ある外務省改革が出来る人物なのか、という点も所与の条件とするのではなく改めて問い直す必要があるだろう。私の考えでは、少なくとも問題点を論い、世に知らしめたという功績は認められてしかるべきである。但し、それは改革が進んだということと必ずしも同じではない。田中氏が喧伝したのはあくまで問題点(「外務官僚はこんなにひどい」等)であって解決策ではないからである。
 つまり問題は、改革の必要性は分かった、じゃあどう改革するか、ということなのだがそこから先がどうにも全く見えなかったのである。田中氏は在任中、官僚は人事をいじればいいという固定観念からとうとう一歩も出なかった。結局のところ、彼女が外務省に乗り込んでやったことと言えば、「人事はフリーズ」の言葉に象徴される(自分勝手な好き嫌いに基づく)人事いじりぐらいである。ちなみに、田中氏は村山内閣の科学技術庁長官時代にも官房長を更迭しているが、その時に味をしめたのだろうか。
 そんな訳で在任中は、前のロシア課長を呼び戻すとか、人事課長を更迭しようと手製の辞令を作ったり(官邸では「子ども銀行券」呼ばわりされていたらしい)とか、人事人事でもめ続けたわけだが、人事をいじってどうしたいのか、その先が全く示されないままでは、勝手に人事異動させられても混乱するだけのことだ。外務省改革で重要なのは人事よりも「意識」の問題なのである。今後はそういう観点から、外務省改革の為にはこうすべきだ、という建設的な議論が為されることを期待したい。

外交官の特権

 そもそもが、外交官ってのは、治外法権とか免税とか色々優遇されているので、確かに慢心してしまいかねない境遇なのだろう。私の印象では、外交官とは形から入るものという気がする。
 外務省では入省して間もなく外国の大学等に研修に出されるが、その期間に支給される研修費は結構な額であるそうだ。というのは、研修費には学費であるとか生活費だけではなく、例えば高級ワインの味が分かるようになったり、ダンス教室に通ったりするための金も含まれているからである。支給される際には、そういう趣旨の金なのだから無駄な遊びに使うことのないように戒められるとのこと。この話を聞いたとき、外交官ってのは結構なもんやなあと思ったものである。その他、大使公邸が立派だとか色々ワイドショー等で喧しく報道されていることは御承知のことだろう。
 とは言っても、じゃあ例えば大使館をボロボロにすればいいのだろうか。大使は天皇陛下の名代として赴任する訳で、それがまた驕り高ぶりに繋がるとも言われるのだが、やはり天皇の名代として日本国を代表する者であれは、それ相応でなければ、相手国から蔑視されることも覚悟しておかなければならない。否、事はそう単純ではないとの異論も有ろうが、少なくとも外務省はそう考えている(筈だ)。そしてそれは基本的には間違っていない。問題は、それを根拠に必要以上に豪奢な暮らしをしてしまっていることであって、それは勿論批判に値するのだが。
 付言すれば、近年の外交交渉が専門的になってきていることを反映し、実際の交渉はそれぞれの担当分野の官庁の人間が担当することが増えてきている。例えば、農産物関係であれば農水省の担当官(又は、農水省から外務省への出向者)が交渉を担うことになる。自動車交渉は経産省、著作権交渉は文化庁、といった具合で、外務省プロパーは会議に出席すらしないことも多々ある。では外務官僚の仕事は何かと言えば、実際のところパーティーぐらいのものになっていて、それが腐敗に拍車を掛けているのやも知れぬ。

奇行

 話を田中氏に戻すと、とにかく在任中は彼女の奇行ばかりが目立った。これは日本外交にとっては損失以外の何者でもない。会談はすっぽかし、いざ会談となれば失言連発。氏はその都度、それを漏らした奴が居ると言って問題にしていたが、そもそも失言することが問題なのであって、誰が漏らしたかというのは論点のすり替えでしかない。
 田中氏は政府見解すらろくすっぽ勉強してなかったと言われており、会談では雑談ばかりで、中身のない話をさせられたと相手方が怒ったことも頻発したとか。
 しかも、田中氏は外務省改革に乗り出すどころか、単に官僚との喧嘩に終始しただけである。それは、悪い外務官僚をやっつけていると見えるのかも知れないが、外交という重要な仕事もしないで、単に気に入らない奴を恣意的にいびっていただけのようにも見える。果ては、秘書官に指輪を買いに行かせたり、人事課に籠城したりと、如何に「外務省改革のため」などと言っても弁護仕切れないような奇行に出ており、この時点で更迭していれば、今よりも田中擁護論やタイミングが悪いという問題も少なかっただろうに。

外務大臣と外務省

 田中氏の言葉で前から気になっていたのは「外務省は云々」という言い方である。これはまるで自分は第三者であるかのような突き放した発言のように聞こえるが、じゃあ外務大臣は外務省じゃないんですかと問いたくなってしまう。当然のことだが、外務省の最高責任者は外務大臣であるところの田中氏だったのだ。外務省で不祥事があれば、廻り廻って外務大臣の責任となることだって当然あり得る。
 例えば、狂牛病(BSE)対策等で武部農水大臣が矢面に立たされているが、もし武部氏が「農水省の事務方は言語道断」などと言おうものなら「お前が言うなよ」とみんなが思うだろう。雪印の社長が「関西ミートセンターの所長は言語道断」などと言ったら、どう思うだろうか。
 報告が上がって来なかった等というのは内部の話であって、何の理由にも言い訳にもならないし、それどころか自分の管理不行き届きである。管理職員ってのは重責なのであり、ましてや大臣ですよ。雪印の社長が関西ミートセンターの所長を直接指導する機会があったのかどうかは知らないが、少なくとも大臣であれば、次官等の幹部は直接管理・指導ができる状況にあった訳だから、事態は尚更深刻だ。
 そもそも、外務省改革に乗り込んできたからと言っても、自分も外務省の一員だということを忘れた高邁な言動と恫喝だけでは、人心収攬が出来る訳がない。まして省内の要である官房長を出入り禁止にしたりしては、必要な情報を自ら遮断することになる。職員と意志疎通を図ろうともしないで、たまに出てきて怒鳴り散らすだけで、本当に外務省改革が出来るのかという疑問の声がもう少し出てきても良かったのではあるまいか。
 とにかく今回のNGOの件にしても、省内をまとめきれなかったということは、外務省の最高責任者である外務大臣として当然に非難の対象であり、それはどっちが嘘をついているか、ということ以前の問題である。

テレビと新聞

 ところで、今回では特にそうだが、田中氏を巡る報道は、小泉政権自体が「ワイドショー内閣」と半ば揶揄されているだけに、映像系メディア(要はテレビ)で大いに取り上げられていた。それらを色々視てみたところ、おおよそ田中氏&NGO寄りで、外務官僚&鈴木氏に批判的な内容だったと言えよう。
 ところが一方、活字系メディア(新聞等)では、かなりの程度、田中氏に批判的な記事が見られた。そもそも新聞では社説に於いても、田中氏の奇行が目立ち外交が損なわれているのが明白になってきた時点から退任を求めてきていた。例えば、同じフジサンケイグループであっても、産経新聞の社説「産経抄」と、フジテレビの「とくダネ!」では論調が、はっきり言って正反対となっている。
 これは一つには、テレビというものの宿命として、番組中に歯切れ良く分かりやすく喋ってくれる人を求めているということがある。分かりやすさを求めるあまり、物事を分かりやすい方法で見せてしまう危険、正論をもごもご言う人よりも勝手な意見を明快に言える人が重用される危険を孕んでいると言っては過言だろうか。
 ともかくも、ワイドショーを武器に田中氏は特に女性層に支持を伸ばした。しかし田中氏が「主婦感覚」とか「台所感覚」と言ってみたところで、田中角栄の家にそんなものが有ったとはあまり思えないのだが(そもそも主婦感覚で政治をすべきかという問題も有るには有るが)。

得をしたのは誰か

 更迭騒動の結果として一番得をしたのは誰か、ということが言われる。どうも外務官僚か鈴木氏あたりが得したかののように言われることが多いが、実は田中氏であるということは考えられないだろうか。
 田中氏の発言やメモは嘘だらけだったわけであるが、本件は真相は曖昧なまま有無を言わせぬ形で関係者3人ともの更迭で強引な幕引きがなされてしまった。真相が暴露されて一番困るのは誰かと言えば、一番真相から遠いことを声高に叫んでいた人物だ、ということぐらいは簡単に分かることですね。
 それと、今回はタイミングが悪いとか、こんな程度で辞任させるとは、という見方もある。が、逆に本来業務の外交での失点ではなく、このような些細な問題で更迭されたということは、田中氏への同情が集まりやすくなり、その点でも田中氏に後々有利に働くことが考えられる。やはり得したのは田中氏か。私が恐れるのは、今回の如き同情を引くような更迭劇によって、田中氏の9ヶ月間の外相としてあるまじき言動の数々が消し飛んでしまい、単純に可哀相な人という田中像だけが残ってしまうことである。
尚、鈴木宗男も今回の件で悪役イメージを定着させてしまったが、党内的には力を温存しており、野上次官も田中氏と差し違えた「功績」により「銅像が立つような勢い」らしい。と言うことは、実は損をしたのは小泉首相だけなのかも知れない。

結語

 今回の事件の反省を受けて、族議員の省庁への圧力が問題となっている。国会議員の官庁への接触を禁止すべきだという主張も強くなってきているようだが、小泉首相は2月4日の事務次官会議にわざわざ出席し、政治家の注文は適切かどうか見極めろという趣旨の指示を出している。
 これはどういうことかと言うと、適切な注文であれば族議員が官庁に圧力を掛けても構わないということである。これは内容に関わらず、非公式な形で議員が官庁に圧力を掛けること自体を問題とする考え方とはかなり異なるものであることに注意する必要がある。しかし「不当な圧力には屈してはならない」と言うだけでは、その違いは目立たない。
 じゃあ議員の官庁への口出しを全く禁止するとどうなるかと言うと、これを実現すれば日本は薔薇色であるかの如く言われがちな「政治主導」というやつに影響が出ることになりはしませんかね。結局のところ「族議員」と「政治主導」はどう違うのか、という点を明らかにしない限りは、今のままの状態がだらだらと続くというような気がする。
 話を蒸し返すようだが、今回の口利きを「立法府の行政府への介入」だのと田中氏が騒いでいるようだ。果てさて、内閣の一員として行政の立場にありながら、立法府に介入して鈴木氏の質問を制限しようとしたのは、一体どこのどなただったのでしょうか?
 今回の一件で、どこの世論調査を見ても、小泉内閣の支持率は大きく下がっている。これは小泉人気のかなりの部分は実は真紀子人気だったということを如実に物語っている。小泉首相の動きを見ていると分かるのは、彼は自分で言い出したことにしかリーダーシップを執らない悪い癖があるということだ。自らの与り知らぬところから湧き出た問題に関しては、その問題がかなり深刻になるまで、小泉氏からは極めて当事者感覚の希薄なコメントしか出てこないことからも分かるだろう。そこら辺を何とかしてもらわない限り、先はとっても危うい。



<おまけ>田中外務大臣9ヶ月

4月26日 外相に就任
4月27日 「新しい歴史をつくる会」の編纂した教科書を読みもしないで「事実をねじ曲げようとする」と発言
5月8日 アーミテージ米国務副長官との会談ドタキャン(急に用事が入ったと言い訳→後に心身疲労と変更)
5月9日 人事凍結方針を表明
5月10日 アルゼンチン外相との夕食会を「日程の都合」で欠席
5月19日 台湾李登輝前総統の来日を以後認めないと発言
6月1日 豪・伊外相との電話会談で政府見解と異なる米ミサイル構想批判
6月21日 鈴木宗男代議士の質問制限を衆議院外務委員長等に要請
7月6日 在京中国大使に大使、小泉首相の靖国参拝に反対する考えを表明
8月2日 首相の柳井駐米大使の更迭を拒否する意向を表明
9月12日 米国務省の避難先という国家機密を記者団に漏らす
9月12日 天皇陛下の内奏の模様を外部に漏らしたとの疑惑
9月下旬 パキスタン難民キャンプの視察を「あんな汚いところは嫌」と拒否
10月29日 人事課長の更迭を求めて人事課に籠城
11月1日 紛失した指輪を秘書官に買いに行かせ、イラン外相との会談に遅刻
12月25日 「台湾は香港と同様、中国に収斂されていくのが望ましい」と政府の立場を逸脱した発言
1月20日 NGO問題浮上
※外務省とは関係ないけど、7月28日には、参議院選挙で自民党候補の選挙妨害演説をやっている。


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