雑感書評−雑感

ようこそ21世紀、か?


「21世紀は何年から始まるか?」という問いを発すれば大多数の日本人は「2001年」 と答えるに違いない。「日本人は」と言ったのは例えば英国人のかなりの数は21世紀 は2000年から始まると思っているからなのである。英国人ってのはそんなにお馬鹿さ んなのかと思われるかも知れないが、そうとも限らない。なぜならば、厳密に言えば 2001年から21世紀なのは分かっていながらも、きりのいい2000年に祝ってしまおうと いう故意的な勘違いが実は結構な数に上るのではないかと私は思っている。英国系の 或るウェブサイトでは、「グレゴリオ暦に従えば2001年から始まるが、一般の人は 2000年に祝う(2001年に2回目を祝う人もいるかも知れないが)」という記述が見ら れる。

去年、すなわち西暦1999年から2000年に変わった時、私は日本に居なかったのでよく 分からないが、少なくとも英国では「ミレニアム」と称して、ミレニアム・ドームを 建設したり、ミレニアム・ブリッジを架けたりと、とにかく異様なまでに騒いでい た。大晦日の夜は私もトラファルガー広場に繰り出し、多数の酔っ払いに囲まれなが ら年を越したものである。ではその時に「ようこそ21世紀」などと言って英国人は騒 いだかと言えば、これが実は全く騒いでいない。私が気付かなかっただけかも知れな いが、少なくともどえらい騒ぎにはなっていない。

じゃあ今回は英国も日本の如く「20世紀最後の〜」とかいうフレーズが大安売りされ たかと言うと、それもそうではないらしい。他の国々は知らないけど多分米国も同じ ような感じだと思う。LSEの同じクラスだった人々でメーリングリストがあるので、 そこで「21世紀は何年から始まるのか?」という質問をしてみたが、ニューヨーク在 住の米国人からのメールによれば「去年のロンドンの騒ぎとはえらい違い」だそう だ。その他の人からも幾つか返答らしきものがあったのだが、彼・彼女等は、私が21 世紀に関する質問をしたのに「米国ではミレニアムは去年から始まったということに なってる」とか「キューバでは今年ミレニアムを祝うらしい」とかいう返信を貰っ た。ここで成る程と気付いた。

つまり、キリスト教系の外国人にとってみれば、世紀が変わるなど千年紀が変わるこ とに比べたら取るに足らぬ小さな出来事なのではないだろうか。例えば、年が明けた として「年が変わった」とは言っても「月が変わった」とは言わないのと同様に。つ まり、センチュリー(100年)の10倍がミレニアム(1000年)だという具合に思考が かなり連続しているのである。年が変われば当然に月も変わるのと同様、ニュー・ミ レニアムを祝えば、そこには当然にニュー・センチュリーを祝うという趣旨も(意識 されないにしても)含まれている筈なのである。実は前述のウェブサイトの引用も21 世紀ではなくミレニアムに関する一節である。ローマ法王の2001年の年頭の挨拶を見 ると「新しいミレニアムの夜明け」との言葉はあるが、「21世紀」という言葉はつい ぞ一言も発せられていない。

一方、少なくともキリスト教が主流ではない日本においては、「ミレニアム」なるも のに馴染みが無かったため、ミレニアムとセンチュリーとを別個に捉えることに抵抗 が少ない。テクニカルに考えれば、世紀×10=千年紀であることはすぐ分かることで あるにも関わらず、「2000年にミレニアムが始まり、2001年に21世紀がスタート」と いう言辞がさしたる抵抗感もなく受け入れられてしまうのは、日本の「ミレニアム」 なるものの胡散臭さ、更に言えば「西暦」なるものの未だ日本人の精神文化への浸透 しきれなさを図らずも露呈している、と言っては過言だろうか。

結局のところ、日本人にとって去年のミレニアム騒ぎは、突然に降って湧いただけの お祭り騒ぎだっただけで、昔から馴染みのある「20世紀」「21世紀」という節目には 改めて我に帰って祝った(騒いだ)ということであり、一方の英国等では、1000年に 一度のミレニアムという大きな節目を祝った以上は、更に取り立てて世紀が変わった という小さな事を祝う必要などはない、ということで説明が付きそうである。


雑感書評