雑感書評

今まで読んだ本 その3




『素晴らしきラジオ体操』


小学館文庫
 雨が降ろうが槍が降ろうが毎朝広場でラジオ体操をし続ける「ラジオ体操人」という存在を飄々とした筆致で描写している。が、まあ面白いのはその辺ぐらい。ラジオ体操という取っ掛かりから、戦前の日本に存在した怪しげな「体操」まで幅を広げて考察しているが、ついラジオ体操をしてしまうということの論拠としての「共振」にはいまいち説得力がない気がする。
 一口メモ。ラジオ体操を始めたのは当時の逓信省簡易保険局。要は健康になってもらって死亡保険金をあまり払わなくていいようにしようという魂胆である。でも逆に年金保険は払い続けることになってしまうと思うのだが。


『自動販売機の文化史』


集英社新書
 基本的に淡々と自動販売機の歴史を綴っている。そして私も思った疑問である、何故に欧州には自販機が少ないのか、特にビクトリア時代に自動販売機を主導的に開発した英国で現在は殆ど自販機を見掛けないのか、という点についても考察をしている。「文化史」と銘打っているだけに、社会的な要因にも触れているが、分量からすると、単なる歴史の叙述が長いのが残念。
 一口メモ。日本初の自動販売機は明治9年に上野公園に設置された自動体重測定機。


『秘録 東京裁判』 清瀬一郎


中公文庫BIBLIO
 著者が東條英機の主任弁護人を務めた清瀬一郎となれば読まぬ訳には行かぬ。実際に東京裁判に深く関与した人だけが記せる臨場感が伝わってくる好著であり興味深い。これを読めば、判決だけでなく、裁判の進め方や証拠の採用なんかでも連合国側の思惑で恣意的に進められていたことが分かる一方で、実はキーナン検事はちょっとだけいい奴だったことも本書で判明。その他も色々面白い挿話が盛り込まれており最後まで厭きない。ポツダム宣言や玉音放送の全文も収録されておりお買い得である。
 清瀬の主張の中心は、ポツダム宣言により日本軍隊は無条件に降伏したが、日本国そのものが無条件降伏をしたものではない、ということ。結局、聞き入れて貰えなかったが。尚、敢えて言えば、我が国の為とはいえ、ドイツとイタリアを悪く言い過ぎのような気も。
 いずれにしても、東京裁判を語るに不可欠な本であることは間違いない。付録で70頁にわたって、清瀬弁護士の冒頭陳述が付けられている。はっきり言って、今日でも東京裁判を批判する人々が用いる言辞はこの冒頭陳述にほぼ網羅されていると言っても過言ではない。既に言うべき人が言っているのである。逆にそれ故に現状を鑑みると何だか無力感を覚えてしまう。
 尚、本書は昭和42年に単行本が、昭和61年に文庫本が出ていたところ、昨年、古典的名著を揃えた「中公文庫BIBLIO」シリーズの1冊として改版が出たもの。こういう試みは有り難い。
 一口メモ。清瀬一郎は政治家でもあり、日米安保闘争の際の衆議院議長。 (8/30)


『凡宰伝』 佐野眞一


文春文庫
 佐野眞一が小渕恵三について書いた本。題名に「凡宰」とあるが、果たして小渕は本当に凡人だったのかというのが本書のテーマになっている。で結論から言うと、小渕はハイパー庶民とも言うべき人物であって、唯の凡人ではないのだが、さりとて宰相に戴くべき器の人物でもない、っていうところか。
 佐野は相変わらずの手法を用いて小渕家の先祖にまで遡り、そのDNAに焦点を当てる。そこまでやるか、という気もしないでもない。しかし、本書は小渕への直接のインタヴューが構成の中心となっており(手抜きとまでは言わないが)、例えば『カリスマ』なんかが、その調査力でもってあちこちを駆けずり回り、資料や証言を掻き集め、その上で人物像を塑造していっている点から比較すると、本書が迫力に欠ける部分があるのは否めない。
 尚、単行本は小渕が病気で倒れてすぐぐらいの時に出た。私が読んだのは文庫版なので、小渕死後の話も追加されてるかと思ったら、何にもなかった。それが残念。 (8/29)


『冷静と情熱のあいだ - Blu』 辻 仁成


角川文庫
 一つの物語を男性側(順正)を主人公にしたBluを辻が、女性側(あおい)を主人公にしたRossoを江國が書くというスタイルは斬新だった。
 しかし、いきなり言ってしまえば、映画の方が格段に良い。ネタばらしのようにになってしまうが、順正とあおいは原作ではドゥオモまで一切再会しないのである。それがいいという考えもあるだろうが、何だか独り善がりに話が進んでいくような気がするのは、先に映画を見てしまったからだろうか。そうは言っても結局、私も話には引き込まれてしまったし、面白くないわけじゃない。まぁこの手の話は読み手が過去にどのような恋愛体験を持っているかに負うところが大きいので、あまり客観的な評価は意味が無いかも知れない。
  因みに、映画ではハーフだったあおいだが、原作のあおいは全然ハーフでも何でもない純粋な日本人。確かに映画でも、あおいがハーフである必然性はあんまり無かったと思う。 (8/25)


『冷静と情熱のあいだ - Rosso』 江國香織


角川文庫
 Bluの主人公・順正の方はコッツァ(映画では何故かチーゴリ)の絵が切り裂かれたり、東京に戻ったり、先生が自殺したりと色々と波があったのだが、あおいの方はひたすらミラノでマーヴと同棲し宝石店で働きダニエラと遊んでの繰り返しで単調。結局、フィレンツェのドゥオモに登るに至る心理がいまいち不鮮明だったように思う。それにそもそも、Bluだけでも小説には成るだろうが、Rossoだけ読んだら何だかよく分からないと思う。
 余談。イタリア語でRossoは「赤」という意味なのに主人公は「あおい」。 (8/25)


『バカの壁』  養老孟司


新潮新書
 実は養老氏が書いたわけではなく、氏が喋った内容を編集部が文章化したものだった。同じ手法では光文社新書の『全身"漫画家"』があるが、あっちは文章化した人の名前もちゃんと書いてあったような気がするが。
 内容を乱暴にまとめてしまえば、バカは自分が絶対に正しいという壁を作ってその中に居るので話し合いが成立することはない、ということ。よって、アメリカもイラクも同じくらい「バカ」ということになる。それだけだと本1冊分の量にならないので、あっちこっちに話が飛んでますけどね。
 それにしても、言ってることには賛同できるが、なんでこんなに売れてるんだろ。 (8/21)


『私が嫌いな10の言葉』 中島義道


新潮文庫
 日本の対人関係に於いてありがちな、言外に滲ませるようなところ、自分の身を守るために言っているのに相手のために言っているかのような装うところ、が著者は大嫌い。私も大嫌い。著者は「相手の気持ちを考えろ」と言われようもんなら「相手もこちらの気持ちを考えろ」と言う。結局は、社会的な共通理解、人は皆同じように考える筈だという幻想を押しつけるな、と言いたいのだろう。私が自分が出来ないことをやってくれているので或る意味で爽快感はあるが、真似しようとは思わない。本を読んでる限りに於いては面白いが、実際に付き合うのは大変だからやめておきたい。 (8/16)


『カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」』 佐野眞一


新潮文庫
 「カリスマ」になってしまった中内功(本当は功の力の部分は刀)の一代記。と言っても、断じて幇間的な内容ではなく、ダイエーの成長と戦後経済成長を重ね合わせて書き、ダイエーがなぜ成長したのか、なぜ没落したのかを中内個人の話と絡めて鋭く分析した本。とにかく、著者は中内に対して(ある種の哀れみも感じた上で)批判的であり、案の定、中内とダイエーとの連名で訴訟を起こされた(和解したとのことだが)。
 それにしても、著者の凄まじい情報収集の力には圧倒される。正力松太郎を書いた『巨怪伝』と違い、主人公も関係者も多くがまだ生存しており、直接のインタビューも交えられているところが生々しくて面白い。上巻の白眉は何といっても第二次大戦に於ける中内のフィリピン戦線での体験。これがほんまに凄まじい。この体験がなければ中内はあのダイエーの中内にはならなかったと著者は何度も書いている。激しく同感。下巻も最後まで圧倒された。文庫版は、単行本が出てからのダイエーの内紛まで書かれているのでお得。
 これを読むと、もう素直な気持ちでダイエーに買い物に行けない。  (7/20)


『M(エム)』 馳 星周


文春文庫
 表題作を含む4つの中篇集。一応は普通の登場人物が、或る出来事を切っ掛けにしてどんどん転落していく様が四者四様に描かれており、結局どれも救いようのない結末を迎えることになる。短く切った文体が、緊張感を醸し出す−これが凄い。尚、馳星周作品ではあるが、中華系の人々が登場しないのも新鮮と言えば新鮮。四作とも捨て難いが、敢えてどれか一つ挙げるとすれば「声」かな。(7/20)


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