文春文庫 |
4作から成る中篇集で、主人公はどれも微妙に異なるが、基本はD県警の管理部門の警察官。この管理部門が舞台というのが横山作品の味噌で、従来の単純な犯人捕物帖的な警察小説とは大きく異なるところ。捜査の専門家ではなく、どちらか言えば裏方の管理部門の人間が警察組織の中で組織の圧力を掛けたり掛けられたりしながら事件の中で藻掻いていく様が非常に切ない。4作とも警務部の二渡調査官がどれも登場するのも特徴(よって、ドラマ化されたときは、主人公がどれも二渡にされていた)。 それにしても警察組織ってのは暗くて恐ろしいけど、もっと一般的に言えば人事ってのは恐ろしいよね。第5回松本清張賞受賞。(7/16) |
光文社新書 |
切腹に関する考察というよりは、どちらかと言うと、江戸時代の名も無き武士がどのような事情で切腹させられたかという逸話の紹介が殆どになってしまっている。例えば、政策の結果が悪くて切腹させられた話や、藩のために事を荒立てないようにしたのに武士らしくない振る舞いとして切腹させられた話が紹介されているものの、要約すれば、江戸時代の切腹は藩主の気分次第で命ぜられていたということで結局は同じような話。副題に相応しく「日本人の責任の取り方」についてもう少し抽象的な論考をするとともに、「切腹」という題名なのだから、歴史的な考察の幅も広げて、奈良時代から昭和時代、更には三島由紀夫あたりまで論じてほしかったな、というところ。(7/13) |
講談社文庫 |
前作の『名探偵の掟』の続編という触れ込みだったので読んでみたのだが、前作を期待して読むとかなり裏切られることになる。確かに、「本格推理小説」というものが主題になった推理劇という点では同じだが、趣が随分と違う。大河原警部も今回は全くの登場人物の一人にしか過ぎないため、「掟」の面白さであったところの、読者を意識した天下一探偵&大河原警部のコンビの場面が無くて残念。「本格」というものに対しても、一応は訣別宣言のように読めるが、結局のところ著者が何を言いたいのかがよく分からなかったが、単に読み込み不足?(7/12) |
新潮文庫 |
最初は一体何の話かと思ったが、鷹司公爵家が出てきたぐらいから、推理小説っぽくなってきた。でもそのままでは終わらないところが、小野不由美らしさと言えばらしさなんでしょうな。「東亰」は「東京」に似て非なるもの、ということを忘れていると最後にえらい目に遭う。「もう夜は、決して暗いだけじゃございませんよ」は、この話の全てを表す究極の名台詞。 全く余談だが、「亰」の字もちゃんとネットで出て安堵。(7/4) |
角川ホラー文庫 |
これは秀作である。頁を捲っていくのが躊躇われる感覚に襲われたのも久しぶりのこと。作品は生命保険会社が舞台。著者自身が元生保のサラリーマンであり、その経験が存分に活かされているのだろうが、これを読むと保険会社に入ろうとする人がいなくなってしまうのではないだろうか、という余計な心配をしてみたりする。それぐらい凄まじいお話。 尚、本作は森田芳光監督、大竹しのぶ主演で映画化されたが、訳の分からぬ監督の拘りのせいかどうか知らないが、全くの駄作になっている。恐怖感が足りないし、そもそも最後の部分の対決での駆け引きが全然なってないですよ(あんまり書くとネタバレになりかねないので書きませんが)。そもそも、舞台を京都から金沢に移す必然性もよく分からないし。(7/3) |
光文社新書 |
岩波新書の『漢字と中国人』と重なる内容は有るが、こちらの方が語り口が軟らかく一般向けで読み易い。私が親台湾だから気になるだけかもしれないが、簡体字に対してかなり寛容というか好意的に感じた。 簡体字と言えば、私が以前、台湾人の友人に、「台湾は昔からの漢字を使っていますが、大陸のように簡略化するという考えは無いのですか?」と聞いたら、その人曰く「漢字は重要な文化です。面倒だからと言って変えるようなものではありません。」と言っていたのを想い出す。このことは、台湾では「簡体字」の反対語として「繁体字」ではなく「正体字」と言っていることからも窺い知れる。「繁」ではなく「正」。両岸の考え方の違いが、これだけでも非常によく分かる(本書とは直接関係ないが)(7/2)。 |
日文新書 |
日本の歴史上の様々な残虐な死刑を、古代から現代までとっても具体的かつ網羅的に書いてくれてある。著者は帝銀事件の平沢死刑囚の応援活動をしていた人で、その息子は平沢氏の養子になってた(ということが最後の方に書いてある)。というわけで、特に現代のところに来ると、死刑廃止論の為に書いてあるようにしか思えない。そもそも表紙にも「死刑制度告発の書」って書いてあった。とは言っても、日本人は農耕民族だからヨーロッパ人みたいな残虐な刑罰はしない、と思ってる人がいたら読んでみるといいです。 一口メモ。日本では、810年に薬子の変で藤原仲成が死刑になって以来、347年間死刑が事実上廃止されていた。確かに、平安時代の人々は、菅原道真にしても藤原伊周にしても、みんな流罪になってる。でその後、347年ぶり死刑にされたのは保元の乱で負けた源為義。(7/1) |
光文社新書 |
著者は日本で唯一とも言える「郵便学者」を自称している(その割には、日本の郵便は税金で運営されていると堂々と主張しているところを見ると、郵政事業には関心が無いということなのか)。著者によれば、切手は国家が発行するものであるから「その国の自然や文化遺産、政策やイデオロギー、社会状況などを発信する国家のメディアとしても機能している」(p.3)というのがそもそもの発想の原点。その上で、各国の各時代の切手に、日本がどのように取り上げられてきたかを考察し、その裏に潜む国家の思惑とか社会情勢とかを読み解いていくのが著者の手法であり、それはそれで非常に斬新だが、そもそも郵政が民営化されたらどうするんだろう。 それはともかく、内容はとっても面白い。例えば、1994年に米国で発行されかけた「原爆切手」を巡る騒動は記憶にある方も多いと思う。あの件は彼我の歴史認識の違いが切手に現れたものであるが、そもそも「切手」であったからこそ、あれ程の騒ぎになったとも言えるのである。例をもう一つ。1960年にハンガリーで「桃太郎」の切手が発行された。当時、東西冷戦の中にあって、なぜ東側のハンガリー郵政が西側国の日本をあしらった切手を発行したのか、という点を著者は考察していく。結局、当時の日本の安保闘争をハンガリーは反米運動と理解し、日本を友好国と見なした結果である、という著者の説の当否はさておき、本書ではそうした考察そのものを楽しめば良いと思う。 そうした堅めの話だけでなく、例えば、1989年にタンザニアで発行された青木功の切手の人名表記は「T.Nakajima」と書かれてしまった なんていう話が出てくる。更には、1995年にモルジブで発行された佐藤栄作の切手の人名表記には「Bisaku Sato」(佐藤B作)と書かれたという話も出てくる。こっちは、はっきり言ってかなり高度な間違い方である。 尚、本書は、口絵がカラーなこともあり、\800と新書にしてはやや高い。(6/30) |