No. 93 福岡堰と桜並木

ふくおかぜきとさくらなみき

一言メモ 近代的な堰が自然の中に調和
市 町 村 谷和原村
東  経 140.01.48.2
北  緯

36.02.22.8


 詳しい地図↓

 
   

最終更新日:2003.4.21.

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福岡堰


桜並木


花見客でにぎわう

【ここの概要(歴史、自然など)】

 江戸時代のはじめ、湿地帯だったここら一帯を新田開発する一環で、当時の関東郡代伊奈忠治により、1625年に造られた。岡堰(茨城百選のNo.100)、豊田堰とともに、小貝川三大堰の一つに数えられている。造られた当初は山田沼堰とも呼ばれていたが、1722年、福岡地内に解説することで、福岡堰となった。その後、明治19年木造に改築、大正12年に鉄筋コンクリートに改築、今の堰は1971(昭和46)年に竣工したもの。
 ここの見所は、なんといっても、堰から川下に1.6kmにもわたって延びる、堤防の桜並木である。桜が満開の時期には多くの花見客でにぎわう。

【行ってみた感想】 2001.4

 桜が満開の時期に行くことができた。やはりというか、駐車場が満杯で、車を停めるのに苦労した。前回来たときには、雨の中を桜並木の終端まで歩いたが、今回は500〜600mしか歩かなかった。桜満開の上快晴だったので、花見客が多かった。

【看板説明文】

● (研究学園都市と民族文化ライン)福岡堰(ふくおかぜき)
 福岡堰は谷和原村の最北端にあり元和年間関東郡代伊奈半十郎忠治の支配する鬼怒・小貝川の分流域にあたる谷原領三萬石が干拓され、その用水源として寛永二年(一、六二五)小貝川を萓洗堰で堰止め、一.六キロメートルを導水し、台通、川通の両元圦もといりから地区内へ潅漑用水したのが始まりで、山田沼堰ともいわれ、享保七年(一、七二二)福岡地内に改設して福岡堰となった。小貝川締切工事は毎年春の彼岸に竣工し、用水のすんだ秋の彼岸に切流した。
 のち、明治一九年木造堰枠に改築され十年毎に伏替していた。大正一二年に工費一五万円で鉄筋コンクリート造りに改築しその恩恵をうけていたが、小貝川の流量増大と本体の老朽化のため、昭和四十六年工費十億円余で竣工したのが現在の福岡堰である。/谷和原村

【備考】

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