No. 89 峰寺山西光院

みねでらさんさいこういん

一言メモ 関東の清水寺といわれる舞台
市 町 村 八郷町
東  経 140.09.18.1
北  緯

36.14.29.9


 詳しい地図↓

 

最終更新日:2003.8.13.

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足下


パノラマ


景色


鐘突堂


東筑波ユートピア

【ここの概要(歴史、自然など)】

 関東の清水寺というふれこみは嘘ではない。規模ではすっかり負けているが、それをふまえても景観はすばらしいものがある。天気がよい時には、霞ヶ浦、鹿島灘から太平洋まで見晴らすことができるという。当然、筑波山も見ることができる。そういう意味で清水寺よりも景観はよいかもしれない。手すりが低いので、高所恐怖気味の人は、あんまり端に寄らないようにしたいものだ。
 平安時代の西暦807(大同2)年に開かれたそうで、最初は法相宗、鎌倉時代に真言宗となって、その後天台宗となった。今も天台宗。懸造りといって、岩棚の上に基礎となる木を積み上げて、その上に本堂が建っている。要は、清水寺と同じような構造。
 余談だが、常陸太田市に西光寺という寺があるが、そこではないので、間違えないように注意。

【行ってみた感想】 2001.7

  ここからの景観はとにかく良い。何度見ても良い。写真は縮小してしまっているので雰囲気はつかめないかもしれないが、パノラマが開けるとはこのことをいうのだろう。霞がかかっていて、ずっと遠くまでは見晴らせなかったが。
 本堂から更に奥に行ったところに鐘突堂があるのだが、今回、そちらは修理中ということで行けなかった。私が写真を撮りまくっている間に、3組くらいの観光グループがやってきた。地味に有名らしいなあ。

 さらにそばにある東筑波ユートピアに入ってみた。ちょうどこの夏の一番暑い時期だったので、猿も犬も猫もぐったりしていたけど、それなりに楽しめた。猿の芸もあるし。犬は、どうも一緒に散歩ができるシステムになっているらしい。

【看板説明文】

(常陸風土記と万葉ライン)峰寺山西光院(県指定建造物)
 峰寺として広く知られる西光院は、平安時代初期・大同二年(八〇七)有名な徳一大師の開山と伝えられ、初め法相宗であったが、鎌倉時代に一時真言宗となり、後天台宗に改宗した。
 本堂は本県では類例のない懸造かけづくりで県の文化財(建造物)に指定されており、廻廊からの眺めはすばらしく関東の清水寺の名に恥じない。この寺の約六米もある立木観音菩薩像は、桧材寄木造りの巨像である。なお、境内西方にある球状花崗岩(俗称小判石)は県指定天然記念物である。/八郷町

● 西光院本堂(建造物)
   指定年月日 昭和四十五年九月二十八日
  木造立木観音菩薩像(彫刻)
   指定年月日 昭和三十六年七月二十一日
   所 在 地 八郷町大字吉生
 峯寺山西光院は平安初期の大同年間、京都から来た徳一法師の開基と伝えられ、ともは法相宗であったが、中世真言宗となり現在は天台宗に属している。峯寺山の中腹にあり、晴天の日は霞ヶ関より遠く太平洋を望むこととができ、眺望絶佳の位置にある。
 自然石の観音像を本尊とするこの寺の本堂は関東の清水寺と呼ばれ、岩棚状の細長い敷地の奥の崖に懸け出して建てられた懸造りの建物で、岩肌に脚柱を建て舞台型を作った上に、桁行三間梁間三間寄棟造り瓦棒鉄板葺(もとこけら葺か)の本体を組んでいる。
 この本堂は崖の表面に作り出された巨大な石仏の上半身をおおうように作られた珍しいもので、現在の建物は江戸時代末期頃と推定されるが、石仏が火災にあっているところから、前身堂が焼失したのが判り、寺院の創立は相当古いとみられる。
 またこの寺には、立木仏とよばれる十一面観音立像が祀られている。これは徳一法師の創建と伝えられ、像内にある元文二年(一七三七)の修理墨書銘札によると、本来ここにあったものではなく、もと山麓吉生よしゅう村の立木山広照院長谷寺に伝来したものらしい。弁形べんけい刻出の天冠台上化仏から腰裳の下四分の一位まではハリギリ材の一木造、頂上仏をほぞ差し、両臂・両肘矧付はぎつけ、頭・体部とも内刳うちぐりを施し、背板をあてている。
 像は雨にかかったせいか、像表面が荒れ、当初のノミの痕を見ることは出来ないが、そのずんどうの体躯のとらえ方、後補とはいえ、台座をつくらず自然木の根を矧付けている点など、本来立木仏として造られたことを伝えている。製作年代は平安時代末、十二世紀頃のものであろう。/昭和五十七年三月/八郷町教育委員会

● 茨城県指定文化財建造物 願 住民安堵、交通安全、五生安心
   峰寺山西光院修理工事竣工記念
由来・平安初期の大同年期、京都から来た徳一法師の開基と伝えられ、もとは法相宗であったが、中世は真言宗となり、今は天台宗である。自然石の観音像を本尊とするこの堂宇は、関東の清水寺と称され、建坪五十七・六m2 総高二十二m 脚高十一mの懸造り 自舎方三間寄棟造りの珍しい建物である。現在の建物は江戸時代末期のものであり、昭和四十五年九月由緒あるものとして県の文化財の指定を受けた。この堂宇からの眺望はすばらしく晴天の日は霞ヶ関より鹿島灘や太平洋も望むことができ、筑波の紫峰を右にして四季の織りなす変化、樹間よりかいま見る八郷盆地の景観は京都をしのぐものがある。
経緯・現在の建物は安政六年(一七七七年)に焼失、寛政三年(一七九一年)に再建したものであるが堂宇の腐朽が甚だしく保在のため昭和四十六年八月修理委員会(委員長八郷町長関野信平・委員十名)を設け、県費・町費の補助金と寺側の一部負担をもって二ヶ年の継続事業とし昭和四十八年三月建立当時の威容を現わした。
起工 昭和四十六年八月三十日
経費 総工費二一一〇萬円
竣工 昭和四十八年三月三十日
請負 東洋開発工業株式会社 社長雨谷俊夫茨城町長岡
設計 設計士 清水政春
管理 文化財保存協会 理事長服部勝吉
  峰寺西光院本堂修理委員会 八郷町教育委員会

● 参拝時間
 四月〜十一月 (八時半〜五時迄)
 十二月〜三月 (九時〜四時半迄)/西光院

【備考】

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