No. 85 小川芋銭の碑と牛久沼

おがわうせんのひとうしくぬま

一言メモ 墨客の愛した伝説の河童
市 町 村 牛久市
東  経 140.07.54.7
北  緯

35.57.8.7


 詳しい地図↓

 
   

最終更新日:2002.5.26.

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河童の碑


牛久沼


スダシイ


カッパ松


雲魚亭


改善一歩の道標


あやめ園


得月院

【ここの概要(歴史、自然など)】

 小川芋銭は画聖と称される。東京に生まれ、この地に帰郷の後は昭和の初めに亡くなるまで郷土の伝説を題材とした画を数多く残した。カッパは芋銭が好んだ題材の一つ。
 カッパの碑は、晩年芋銭が住んだ雲魚亭のそばにあり、ともに牛久沼を見晴らす高台の上にある。碑のそばには大きなスダシイがあり、雲魚亭のそばにはカッパを縛ったことのあるというカッパ松がある。ただし、雲魚亭の庭、カッパ松の近辺は地盤が弱って崩れかけており、立ち入り禁止になっていた。
 この近辺は茨城森林浴の道百選に選ばれており、芋銭のねむる得月院もある。

【行ってみた感想】 2001.12

 小川芋銭の碑の近くは道が入り組んでいて、いちばん近くの駐車場に停めるには、大きな車で行くと大変かも。少し歩くのをいとわないなら、三ヶ月橋近くの駐車場や得月院駐車場に停めてもよい。
 ここに行くのは4年半ぶりだったが、上に書いたとおり、雲魚亭の庭が、地盤のゆるみに伴い、沼側に傾いてきていて、立ち入り禁止になっていた。歴史あるところでもあるので、何とかならないものですかねぇ。
 雲魚亭は昭和12年の築だが、こぢんまりとしていて、手入れも行き届いており、しっかりとしている。

【看板説明文】

● 小川芋銭碑(河童の碑)
 画聖小川芋銭は、明治元年牛久藩邸(現・東京赤坂溜池)で生まれ、同四年この地に移住、少年期上京し、桜田小で勉学の後、彰技堂において画を学んだ。同二十六年帰農以後は、郷土の伝説に登場する「河童」をはじめ「水の精」や「山の精」など幻想的な世界を数多く描き、独自の画境を開いた。一方芋銭は画の他に、書や俳句にも通じ、絵を描く芭蕉とも称されており、昭和十三年七十一歳で他界するまで各地を訪れ、不朽の名作を残している。
(菩提寺得月院にねむる)
 この碑は、芋銭没後の昭和二十六年、小川家をはじめ、敬慕する人々によって建立されたもの。正面には、芋銭晩年の作である「河童図」と「誰識古人画龍心」の文字が刻まれている。
お願い
一、拓本を取ることを禁止します。
一、環境の保護について
○附近の自然保護の協力(樹木の枝を折ったり、碑に上ったり、らくがきをしないこと。)
牛久町教育委員会・観光協会
茨城県(観光物産課)

● 雲魚亭ご利用案内
開館時間
 5 /1〜   10/31 午前9時〜午後5時
 11/1〜翌年4/30 午前9時〜午後4時
入館日
 1)屋外見学は火・水・木・金曜日とする。
 2)入館日は土・日・祝日とする。ただし、団体20名以上の場合は平日の入館を認める。
休館日
 休館は毎週月曜日とする。ただし、国民の祝日が月曜日にあたるときは開館とし、その翌日を休館とする。
 毎年1月1日から1月4日まで、及び12月28日から12月31日までの日
〔土日、祝日は自由に館内見学が出来ます。〕
問い合わせ先
 牛久市教育委員会・生涯学習課

● 小川芋銭記念館 雲魚亭
 芋銭最晩年の昭和十二年九月十九日、芋銭婦人と芋銭長男により新築された画室兼居室。
 当時芋銭は、長女の婚家弓削(ゆげ)宅に滞在していたが、同月末よりここに移り「雲魚亭」と命名した。以後、老齢にむち打ち、傑作「小六月」や「涼気流」などを含む六十余点に及ぶ古稀記念新作展の制作、また「河童百図」の準備などにあたった。だが、翌昭和十三年一月三十一日入浴中に脳溢血で倒れ、その後は伏臥静養、のち小康を得たが、同年十二月十六日夜半睡眠中に再び溢血、翌十七日午後一時頃ついに帰らぬ人となった。
 今回、小川芋銭生誕百二十年記念祭にあたり、芋銭三男故小川知可良の遺志により、小川芋銭記念館として当市に寄贈されたものである。
 昭和六十三年二月十一日 牛久市

● 「改善一歩(かいぜんいっぽ)」の刻字について
 この道標は、大正11年(一九二二年)に、城中青年会(矯風会)の手によって、旧牛久村の主要なみちすじに立てられたものの一つである。
 当時、青年達が、道標を立てる計画をしていたところ、それを知った小川芋銭先生が、永久に耐えられる石柱にしなさいとこれを寄付してくれたものである。
 青年会では早速好意を受け、芋銭先生の名を石柱に刻もうとしたが、先生は、名前の代わりに「改善一歩」と刻みなさい。と言われた。
 この改善一歩とは、自分の歩む道を善い方へ改めて進みなさい。と言う意味で、現在7本が地区内に残っている。

● グリーンハーモニー牛久 市民の木 No.41
スダジイ(ブナ科)
樹高・15m 樹幹周り・400cm 樹齢・推定400年
 関東地方以西の暖地に自生する常緑の高木です。樹皮は裂けていて小枝が太いのが特徴で、この附近の雑木林にはたくさん生育しており、シイという名で親しまれています。
 この辺りは、かつて牛久藩の陣屋(1619年〜1871年)の一部であり、近代日本画壇の巨匠小川芋銭(1868年〜1938年)も、四季を通じて詩情豊かな沼畔に望むこの地をこよなく愛しました。/牛久市

● カッパ松
 そのむかし、村の若者が沼に住むカッパに水の中に引き込まれ、死んでしまうことがたびたびありました。
 そこで、村でいちばん屈強な若者が、カッパ退治をすることになったのです。
 ある日、その若者は、とうとうそのいたずらカッパを見つけました。沼のほとりで昼寝をしているではありませんか。若者はカッパを陸(おか)へ引きずり上げ、松の木にくくりつけて殺そうとしました。ところが、カッパがあまりに泣いて詫びるので、気の優しい若者は、二度と悪事をしないことを約束させ、カッパを放してあげました。
 それ以来、沼で溺れる人はなくなりました。また、カッパをくくりつけた松は、「カッパ松」と呼ばれるようになったと言うことです。

● いばらき森林浴の道100選No.85 牛久沼
<あんない>
 牛久市にある牛久沼周辺を散策するコース。広大な牛久沼は、マコモ、ヨシ、ガマ等の群落が濃い緑を競い、独特の景観を見せる。周辺には正源寺、八坂神社、愛宕神社、牛久城跡、東林寺城跡などがある。
 ここで自然を十分に満喫したら、さらに沼の周辺をみながら散策するのも楽しい。
 三日月橋付近にはあやめ園も整備されている。
<交通>常磐線牛久駅下車
<行程及び所要時間>
牛久駅(1km/20分)正源寺(0.8km/15分)八坂神社(0.6km/15分)愛宕神社(0.4km/10分)牛久城跡(0.7km/15分)河童の碑(0.1km/2分)牛久沼(2km/45分)東林寺城跡 東林寺(0.8km/15分)牛久駅

● 小川芋銭の墓と榧(かや)と五輪塔(ごりんとう)
・牛久が生んだ近代日本画壇の巨匠であり、「河童」で知られる小川芋銭の墓は、当得月院(とくげついん)本堂裏にある。
・境内本堂脇の榧は、市指定文化財(天然記念物)で推定樹齢約四五〇年から五〇〇の大木で、芋銭作品「樹下石人談(じゅかせきじんだん)」のモチーフとなった。
・市指定文化財(工芸品)の五輪塔は、本堂裏墓地の中心部に建っており、文禄三年(一五九四年)に得月院を開基した牛久城主由良国繁の母「妙印尼(みょういんに)」の墓碑で、「文禄三年」と刻まれている。
 平成二年三月一日 牛久市教育委員会

【備考】

 関連サイト:   利根川見聞録    
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