No. 64 鷲子山と鷲子神社

とりのこさんととりのこじんじゃ

一言メモ 神域のムード漂う山中の古社
市 町 村 常陸大宮市
東  経 140.14.19.0
北  緯

36.41.48.5


 詳しい地図↓

 

最終更新日:2004.3.15.

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鳥居周辺


山門


県境


鷲子山上神社


とちぎ名木百選 鷲子山の千年杉


フクロウの像


十景七奇の碑


本宮

【ここの概要(歴史、自然など)】

 鷲子山は、茨城県と栃木県の県境、国道123号から少し奥まったところにある。茨城県側にも栃木県側にも登山口はあり、神社のすぐそばまで車で行ける。私が行くときは大抵、時季はずれだったり夕方遅くだったりするので、閑散としているときが多いが、休憩所もしっかりあり、薄暗くなってからおばさんの集団がやってきたりするということは、かなり有名なのかも。
 実際、ここは百選がらみではかなり華々しい。茨城百選景観の部だけではなく、日本の自然百選栃木の景勝百選であり、神木の千年杉はとちぎの名木百選に選ばれている。探してみれば、他にも取り上げられているかもしれない。あ、とちぎのまつり百選にも選ばれてる!?ここに至るまでの狭い道、こぢんまりとした社務所周辺からは想像しにくい。
 神社の本宮は、質素でこじんまりとしたもの。茨城・栃木県境の看板がある鳥居をくぐり、見事な山門をくぐって階段を上っていくと山上神社がある。山上神社は栃木の有形文化財に指定されている。山門から山上神社への階段は96段で、往復すると2×96くろう(不苦労)であることから幸せと呼ぶとし、また梟ともかけて、境内のあちこちにフクロウの像がある。

【行ってみた感想】 2003.6

 2000年に行ったとき、もうすっかり夕暮れで、山上神社に行くというのは勇気がいったので、結局山門のところしか行かなかった。本宮に行ったとき、ランプがいきなり点灯し、ブザーが咆吼したのには驚いた。
 思い起こすと、95年に行ったときは昼間で、休憩所でうどんを食べながらそこのおばちゃんと世間話をしていたとき、賽銭泥棒が出て困ると言っていた。実際、そのときには山上神社に参ったときにこそこそと挙動不審の怪しいおっさんがいた。きっと、その防護策なのだろう。そういう輩のために、このようなところの風情がなくなっていくのは、全くもったいない。
 2003年6月の時には午後3時くらいに到着したのでゆっくりと写真が撮影できた。

【看板説明文】

● 日本の自然百選 鷲子山
 鷲子とりのこ山は八溝山系の中程にあり標高四七〇米、栃木茨城の県境にあります。北方系と南方系の植物分布の接点をなし多種多様な樹木山野草があり、また多くの鳥獣の棲みかともなっています。特に人手を加えたことのない原生林もあり、四季の変化眺望のよさも加わって日本の自然百選の山に選定されました。
 山頂には鷲子山上神社があり大同二年(八〇七)の創建で天日鷲命あめのひわしのみこと大己貴命おうなむちのみこと少彦名命すくなひこなのみことをお祀りしています。記録では将軍源頼朝が社殿修理料を献納、地方豪族も深く尊信し徳川幕府は朱印地(社領)二〇石、除地(免税地)百石を寄進しています。
 御本殿はもと本宮の地にありましたが天文二十一年(一五五二)現在の峰に移り天明八年(一七八八)大改築しました。このほか楼門安養閣・鐘楼・奥山稲荷・本宮などがあり、老杉古木にかこまれ、古来より霊峰と呼ばれ、またかつての修験道の霊場でもありました。建築は豪壮と繊細の中世と近世の様式が混存し各所に神仏混合の跡を残しています。
 祭礼は春四月十七日、秋は十一月十六・十七日で特に十六日の夜祭りは創建以来の古儀秘伝を存しています。
 山頂よりは眼下に北関東の平地、日光那須の連峰、晴れた日には遠く富士が見え、昔、黄門水戸光圀公は当社参拝のおり鷲子山十景七奇を選ばれました。碑は楼門前にあります。
 ここを訪れる皆様方にわが町の名所をご紹介しましたが、この山を永遠なものとするために、当山の防災と動植物の保護について格段のご協力をお願いします。/馬頭町

● 鷲子山上神社略記
  御祭神 天日鷲命あめのひわしのみこと
  相 殿 大己貴命おおなむちのみこと 少彦名命すくなひこなのみこと
 鷲子山は栃木茨城の両県にまたがる海抜五百米の深山で、老杉巨木が生い繁り、貴重な植物があり、数多い鳥獣の住む霊山であって、四季おりおりの景観が美しく眺望の広大なところであります。
 神社は大同二年(八〇七)土地の人宝珠上人により創建されたもので、産業の神天日鷲命を勧請して製紙と殖産の守護神として鎮め奉り、後に大己貴命(大黒様)と少彦名命(恵比寿様)を併せ祀りました。社殿はもと、現在本宮の地朝日嶽にありましたが、後に今の地に移りました。
 現在の御本殿は天文二十一年(一五五二)に建設され、その後、度々修覆を加えたものであります。
  例大祭 四月十七日・七月十六日
  御縁日 旧暦十月十六日・十七日 昔からの御祭礼日で古式による有名な夜祭りが行われます。
 創建以来あらたかなる御神威と民衆の厚い信仰により大いに栄え、鎌倉幕府は社殿修理料を献じ、徳川幕府は御朱印地二十石を寄進し除地免税地百石を附する等、多くの人々の尊信するところでありました。当今は亦多くの信者と共に、四季の風光を求めて遠方よりの参詣が絶えません。御参拝の各位は、日本に残されている数少ない深山の霊気を吸い、心願をこめて参詣されると共に、社殿建造物と自然の保護に御協力下さるよう願うものであります。
  平成十四年十一月吉日 鷲子山上神社社務所
  (※読みやすいように句読点を追加しています。)

● 御神木 千年杉
  樹令 約一、〇〇〇年
  周囲 約七m(二十三尺)
  直径 約二m二〇cm(七尺三寸)

● 栃木の景勝100選 鷲子山上神社
  栃木県民の日 昭和61年6月15日

● 栃木県指定 有形文化財(建造物)
  鷲子山上神社 本殿・随神門
   所有者 鷲子山上神社/平成2年1月26日指定
 本殿は、三間社流造り銅板葺きで、天文21年(1552)に再興されたのち、天明8年(1788)に建替えられたものである。本殿向拝の柱、頭貫の彫刻化された構成と装飾は、類例を見ない奇抜な手法である、また、身舎の彩色を施した多くの彫刻とその装飾の豊かさは、関東地方における社殿の彫刻装飾の流れを知るうえで重要である。
 随神門は、三間一戸入母屋造り銅板葺きで、文化12年(1815)の再建である。一階の正面両脇の間に随神像、背面両脇の間に仁王像を安置し、中央間には扉を設けていない。一部未完成の部分があるが、組物や軒に独自の手法が用いられるなど、社殿構成の一環として重要な建造物である。
  栃木県教育委員会・馬頭町教育委員会

【備考】

 関連サイト: 茨城県神社庁    常陸大宮市商工会  
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