No. 49 願入寺と涸沼川

がんにゅうじとひぬまがわ

一言メモ 代表的民謡磯節と河口の街
市 町 村 大洗町
東  経 140.35.20.5
北  緯

36.19.49.2


 詳しい地図↓

願入寺
涸沼川

最終更新日:2003.4.20.

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本堂


渡辺竹楽房の像


やすらぎの鐘


岩船夕照

【ここの概要(歴史、自然など)】

 民謡の磯節というのは、今の手持ちの参考図書ではなにも書いていないので不明。そこには渡辺竹楽房という人の像があり、すごい人だったという趣旨の碑文があったのだが、肝心の磯節がどういったものか良くわからない。もしかしたら、聴いたことのある歌を作った人なのかもしれないが。
 願入寺は上の写真の通り。なんでも水戸光圀の寄進によってたてられたものだとか。しかし、むしろ建物よりは東日本最大という鐘の方が目を引く。この鐘はやすらぎと名付けられており、看板によると、名古屋から北海道までの東日本で最大、日本全国でも、熊本蓮華院、京都知恩院、奈良東大寺、京都方広寺についで5位という。一撞きにつき200円以上の喜捨で撞くことができる。私は撞かなかったけれど。(^^;
 裏手の墓地と林を抜けていくと、涸沼川に当たる。ここは、水戸八景の「岩船夕照(いわふねのゆうしょう)」であり、遙かな景色の中に日が沈んでいく様は幻想的ですらある。

【行ってみた感想】 2001.2

 岩船夕照では、めずらしく設定条件に合わせた景色を見た。といっても、ほかの百選と同じように、写真を撮るのに夢中で、ゆっくりと景色を見たわけではないが。
 鐘の方は、写真の通り、鉄骨のがらにぶら下がっている。はて?鐘つき堂は?という疑問が。もうひとつの疑問は歴史的なものだが、たしか戦時中は、日本全国の鐘が軍事徴用されたはず。どうやって免れたのだろう?

【看板説明文】

● 巌船の夕照
天保五年(一八三四年)徳川斉昭(烈公)が藩内各地の景勝地を調査し、八ヶ所を選び「水戸八景」と名づけた。
願入寺の後背で巖下はるかに那珂川および涸沼川の水が相会うをみて、深淵に臨んで幽静閑雅、夕陽の風光は誠に佳勝である。
  大洗商工観光課

● 天下の魁 水戸のこころ(天保のウォークラリー)
水戸八景
 水戸八景とは、水戸徳川家第九代藩主斉昭公が、天保四年(一八三三年)に領内を巡視し八つの景勝地を選定したものである。
 斉昭が、藩主を継いだ頃の世情は、決して無事安穏ではなかった。英明で覇気に富んでいた公であっても、心を煩わすことが多かったであろうから、八景の風景は公の憂いを散らすに役だったに相違ない。しかし、八景設定の大きな目的は、藩内の子弟に八景巡りをすすめて、自然観賞と健脚鍛錬を謀ることにあったのである。当時の流行語を用いれば、正に「文武両道の修練」に資せられたもので、公の深慮の程には全く、感嘆してしまう。
 水戸八景みとはっけい(徳川斉昭 作)
  雪時嘗せつじかつしょう仙湖せんこけい
  雨夜更うやさらあそ青柳あおやぎほとり
  山寺やまでら晩鐘幽壑ばんしょうゆうがくひび
  太田おおた落雁芳洲らくがんほうしゅうわた
  花香爛漫岩船かこうらんまんいわふねゆう
  月色玲瓏げっしょくれいろうたり広浦ひろうらあき
  はるかにのぞ村松晴嵐むらまつせいらんあと
  水門みなと帰帆高楼きはんこうろうえい  

【備考】

 関連サイト: 大洗商工観光課  茨城県林業技術センター  水戸・日立の八景  
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