No. 43 広浦から見た筑波山

ひろうらからみたつくばさん

一言メモ 湖面に浮かぶ秋月と名峰
市 町 村 茨城町
東  経 140.31.29.4
北  緯

36.16.54.7


 詳しい地図↓

 

最終更新日:2003.2.8.

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広浦から見た筑波山


広浦に浮かぶ秋月


広浦秋月の碑


キャンプ場


広浦の入り口

【ここの概要(歴史、自然など)】

 ここは涸沼の北岸、水戸八景の一つ「広浦秋月」。江戸末期に列公が詠み上げた名称である。広浦は比較的小さな集落であり、左の写真もそのはずれにあるキャンプ場・広場から撮影したものである。対岸に家などが見える以外は当時とあまり変わらない雰囲気をの楽しめると思うが、当時多く自生していた松が近年少なくなっているらしいので、当時の面影そのままというわけでもない。
  「秋月」、「ここから見た筑波山」ともに条件が少々厳しい。左の写真ではほとんどわからないが、うっすらと筑波山が写っている(目視ではもう少し分かりやすかったけど)が、空気が澄んでいるときでなければ見えない。秋月は、秋でなければならないし(^^;)。夜に行って満月の写真を撮影したこともあるが、見事に撃沈。月の出直後に、望遠で、バルブで開けっ放しにして、かつ、湖面に反射するように撮影しなければ綺麗な絵にならないだろう。もちろんこの条件も厳しい。
 釣り客が多く、また、キャンプ場もある。対岸にはいこいの村涸沼がある。

【行ってみた感想】 2000.10

 駐車場はそんなに広くないので注意。
 秋になると涼しくなる。釣りをしないので、ここでぼーっとしながら本を読んだりする。穏やかでいい。

【看板説明文】

● 天下の魁 水戸のこころ(天保のウォークラリー)
水戸八景
 水戸八景とは、水戸徳川家第九代藩主斉昭公が、天保四年(一八三三年)に領内を巡視し八つの景勝地を選定したものである。
 斉昭が、藩主を継いだ頃の世情は、決して無事安穏ではなかった。英明で覇気に富んでいた公であっても、心を煩わすことが多かったであろうから、八景の風景は公の憂いを散らすに役だったに相違ない。しかし、八景設定の大きな目的は、藩内の子弟に八景巡りをすすめて、自然観賞と健脚鍛錬を謀ることにあったのである。当時の流行語を用いれば、正に「文武両道の修練」に資せられたもので、公の深慮の程には全く、感嘆してしまう。
 水戸八景みとはっけい(徳川斉昭 作)
  雪時嘗せつじかつしょう仙湖せんこけい
  雨夜更うやさらあそ青柳あおやぎほとり
  山寺やまでら晩鐘幽壑ばんしょうゆうがくひび
  太田おおた落雁芳洲らくがんほうしゅうわた
  花香爛漫岩船かこうらんまんいわふねゆう
  月色玲瓏げっしょくれいろうたり広浦ひろうらあき
  はるかにのぞ村松晴嵐むらまつせいらんあと
  水門みなと帰帆高楼きはんこうろうえい

【備考】

 関連サイト: 茨城町  キャンプの道先案内「みも」  水戸・日立の八景  
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