No. 37 稲田石切山脈と西念寺

いなだいしきりさんみゃくとさいねんじ

一言メモ 山肌を覆う稲田御影石
市 町 村 笠間市
東  経 140.12.26.2
北  緯

36.22.30.9


 詳しい地図↓

稲田石切山脈
西念寺

最終更新日:2003.12.6.

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参道



本堂


御葉つき銀杏



太子堂


稲田石切山脈の夕焼け

【ここの概要(歴史、自然など)】

 稲田を産地とする御影石は、ここ稲田石切山脈がその原点。歴史は割と浅く、明治からなのだそうな。石材採掘を行っていた鍋島という人は、1897(明治30)年には今の稲田駅前を買収して稲田駅を石材搬出のために作ったのだとか。剛毅ですなあ。ここのみかげを使った建物というのが有名な箇所が多い。下のリンクを参照してもらいたい。
 西念寺は浄土真宗別格本山なのだそうな。「別格」ってどういう意味なんでしょう?
 親鸞は越後へ流罪になっていたのだが、それが解かれ、招かれてこの近辺に住居を構え、そこを中心に布教をしていた(1214〜1232年)。根本教典の「教行信証」を記したのもここ。その後京都に戻ったのだが、奥さんはそのままここに残り布教を続けたのだとか。
 境内にはお葉付き銀杏をつけるイチョウの珍種がある。2000年11月15日に県の文化財に指定された。ほやほや。

【行ってみた感想】 2001.6

 写真撮影の観点から言うと、夕方には本堂が逆光になってしまうので撮影は困難。
 それはともあれ、浄土真宗の歴史ある建造物ということらしいl。百選にもあちこちに巨木があり、イチョウもいくつかあるが、是非とも今度は銀杏をつける時期に来てみたいものだ。
 石切山脈は遠目には見たことはあるのだが、なんか、近くまで行くと見失ってしまう。???

【看板説明文】

● 西念寺/宗派 浄土真宗別格総本山
 この寺は、浄土真宗発祥の聖地として知られている。鎌倉時代の初め、越後配流を解かれた親鸞聖人が、この地の領主で弟子となった稲田九郎頼重に迎えられて、ここに草庵を結んだ。貞永元年(一二三二年)六十歳の時、京都へ旅立つまで約二十年間にわたりこの草庵を根拠として下野国(栃木県)高田から常陸の国鹿島方面まで教化の...(写真状態悪)

● 世界的珍種 御葉つき銀杏
 往古より云ひ傅えに親鸞聖人御草庵の庭前に銀杏の実を葉に包みて蒔き給ひしところ葉先に実る不思議ありと東京大学農学部向坂教授参詣あり偶々実物を見て植物学上世界的な珍種天然記念物御葉つき銀杏であることが発見された
 銀杏は化石の植物と云はれ百萬年以前のものである。老木に出来る現象でもないのであるがそれが聖人が蒔き給ひしものであって見れば参拝の念佛者にとって特になつかしいものである。参拝者は一粒の実を参拝の記念に蒔いて深き佛縁を喜んでいる。明治四年大火の際類焼したるは惜しむべきも今は樹枝繁茂して往年の樹勢に復帰せるは嬉し。越後の七不思議と云え祖蹟の神原の井 銀杏樹の不思議を目のあたり拝見出来ることは信者にとり驚異であり大きな歓喜であらう。

● 太子堂
 天正年間、笠間城主時広の建立なり。天正十年三月二十七日時広は磯部にて水谷幡竜と戦いて敗走し、西念寺に入り聖徳太子の尊前にて自害を計る。時に当山十五世の了与これを止め、単騎長槍を執って幡竜の陣に向い美事に和議を結べり。
 時広厚く感謝し恰も太子の仏敵守屋を誅せらるゝが如しとて、堂宇を建て制礼を揚げ十五石の仏供田を寄進す。
 なお、太子の尊像は、宗祖の御自作と伝えられ、草庵にては御本尊の右に太子、左に法然上人を安置して崇敬されしと言う。

【備考】

 関連サイト: 笠間市観光協会      
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