No. 27 虎塚古墳と十五郎穴横穴群

とらつかこふんとじゅうごろうあなよこあなぐん

一言メモ 我が国有数の装飾古墳と墓群
市 町 村 ひたちなか市
東  経 140.34.21.7
北  緯

36.22.13.5


 詳しい地図↓

 

最終更新日:2003.8.24.

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虎塚古墳と碑


手前が前方部、奥が後円部


4月の石棺公開



ひたちなか市埋蔵文化財調査センター


十五郎穴横穴群


十五郎穴の向かいに見えるひたちなかI.C.

【ここの概要(歴史、自然など)】

 ひたちなかの近辺は多くの古墳が点在するが、その中でも最大級の前方後円墳がこの虎塚古墳。1973年に内部が白地に鮮やかな朱色で絵を描かれている石棺が発見され、1974年1月に国の史跡指定を受けた。全長が焼く57m。一番高いところで5.5mの、西暦600年代前半に造られた。飛鳥では蘇我氏が勢力を振るっていた頃ですな。歩いてみると実感するが、しっかりした前方後円の形をしている。
 十五郎穴は、その次の時代、奈良時代の、言ってみれば集団墓地。1975年から80年にかけての調査で約120基の横穴墳が見つけられたが、実際の規模は300基を越えるだろうと言われている。そのうち間近で実体を見学できる約30基の部分がある。名前の由来は、ここに十郎と五郎という人物が住んでいたという伝説から。
 これらは近くの埋蔵文化財調査センターで管理されていて、そこに行けば発掘された埋蔵資料の実物や、石棺の実物大模型をみることができる。入場は無料。なお、石棺の実物は、年に2度、春と秋に公開されている。こちらは150円。4月7日はひたちなか市教育の日のため無料公開。

【行ってみた感想】 2001.4

 というわけで、今回、念願の石棺公開に行くことができた。2001年の公開期間は4月5日から8日と4月12日から15日。石棺への通路は狭いため、一度に3人か、せいぜい4人しか一度にみることができない。石棺のある空間は厳重に密閉されていて、分厚いガラス越しに見ることになる。実際に見てみると、拍子抜けするほどに小さく感じる。説明してくれた研究員の方の話によると、その中は気温は年間を通じて約15度、湿度が90%以上あるのだそうな。なお、写真撮影は不可。たぶん、フラッシュが画材に悪い影響をするからだと思うが、フラッシュをたかない撮影は許してもらいたい、と、個人的に思う。
 その後でも前でも、センターの石棺の模型を見ることをおすすめする。こちらはでかい。

【看板説明文】

● 史跡 虎塚古墳
 勝田市中根字指渋に位置する本古墳は、前方部を西に面した前方後円墳である。後円部直径三二・五メートル、高さ五・五メートル、前方部幅三八・五メートル、高さ五メートルを測り、前方部の発達した後期形式の古墳である。昭和四八年の調査により、後円部南側に長さ四メートル余の横穴式石室が発見された。奥室から一体の遺骸と黒漆塗り大刀・刀子(とうす)(小がたな)・鉄鏃(てつぞく)(鉄で作られた矢じり)などが出土し、七世紀中ごろに勢力のあった勝田付近の豪族の埋葬例があきらかになった。
 石室内には東日本でも珍しい彩色壁画が発見された。奥壁と側壁は白色粘土で下塗りした上に、酸化鉄で三角文・環状文・円文・渦巻文などの幾何学文と、武器・武具・馬具・装身具などの絵画を描いていた。天井石・床石も赤く彩色してあった。除魔の願いをこめて赤い顔料で描いた図文は、豪族の身を悪霊から護るために必要なものと信じられていた。
 茨城・福島・宮城県下で発見された彩色壁画の中でも多様さと特異性において他に類例のない貴重なものである。
 また、本古墳は石室内発掘調査に先立って石室内の科学調査(温・湿度、空気組成、微生物等)をわが国で最初に実施した古墳であり、観覧室建設にあたっては、これらの重要な記録をもとに設計・施工がなされている。
 昭和四九年一月、国の史跡指定を受ける。

茨城県指定史跡 十五郎穴横穴群
  指定年月日 昭和十五年三月十一日
  所 在 地 勝田市中根館出三四九〇
  所 有 者 西野 茂男
 十五郎穴は奈良時代(今から約千二百年前)に造られたお墓です。
 十五郎穴のように台地の崖の所に横から穴を掘り、造っているものを横穴墓といい、群集していることが多くあります。
 横穴墓は、玄室・羨道・玄門・前庭部などから造られており高塚式古墳の横穴式石室と類似した構造になっています。横穴墓からは須恵器、直刀、鉄製品など数多くの副葬品が出土しています。
 十五郎穴横穴墓群は、館出、指渋などの崖の凝灰岩にいくつかに分かれて密集していますが、このうち館出に群集している三十四基が茨城県の史跡に指定されています。
 虎塚古墳のある台地(指渋)の南側の崖からは、約百二十基が確認されていますので、十五郎穴横穴墓群は、数百基の横穴墓が存在している考えられ、我国を代表する貴重な史跡です。
 十五郎穴の名称、由来はこの地に十郎 五郎 なる人物が住んでいたという伝承から生まれたということです。
  昭和六十年三月/茨城県教育委員会/勝田市教育委員会

【備考】

 関連サイト: ひたちなか市      
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