No. 07 御岩神社と三本杉

おいわじんじゃとさんぼんすぎ

一言メモ 徳川光圀縁の社と神木
市 町 村 日立市
東  経 140.35.20.7
北  緯

36.37.58.3


 詳しい地図↓

 
   

最終更新日:2003.5.28.

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御岩神社


拝殿


鳥居


三本杉

【ここの概要(歴史、自然など)】

 御岩神社のある御岩山は、古くは賀び礼(かびれ。「び」は田へんに比と書く)山と呼び、新石器時代の頃から信仰の場とされていたらしい。1300年前の日本最古の地方紙である常陸国風土記では、既に「加び禮の宮」として信仰の場として紹介されている。なるほど、しっとりと落ち着いたいい神社と思う。歴史が古いことを感じてか、林間を歩いていると荘厳な気分になる。
 江戸時代には、山の狭間にある交通に不便なところだったろうに、水戸光圀を始め、歴代の水戸藩主の信仰が篤かったそうな。
 神木である三本杉は、樹齢が推定500年。大体、戦国時代が始まる頃に発芽したものだと言うことになる。神域の歴史が2000年にも及ぼうかということを考えると、それほど古いとは言えないだろう。ただし、名前が示すとおり、幹が途中から三本になっていて、日立市では最大のもの。
 余談だが、聴いたところに依ると、神社の更に奥に行ったところに、ロッククライミングの練習場があるとかないとか。 本当かな?

【行ってみた感想】 2001.3

 お気に入りは、左欄一番上の写真の構図。行く度に、同じ構図で写真を撮影している。(^^;
 社内は、派手さはないが、結構いろいろなものもある。江戸時代のこの神社の紹介図の写しの看板は、昔のことを思い起こさせていいですね。
 ところで、今回行ったとき、社内のあちらこちらに歌碑があったけど、3年くらい昔に行ったときからあったかな?なんか、記憶になかったんですけど。 あと、余談だが、鳥居のそばに立っている碑は「茨城四十五景」。 戦前のものですね。

【看板説明文】

● 御岩神社由緒
 当神社の創建は不明であるが、山頂祭祀遺跡等よりみると、新石器時代にさかのぼる奈良時代にはすでに神社として祭祀を営んでいたことが発掘品等により証明される。また、今より1,300年前に書かれた我が国最古の地方誌である「常陸国風土記」にも太古よりこの霊山に天の神が静まり「加び禮の宮」として多くの人々の篤い信仰を集めていたことも記されている。さらにこの宮不便のため延歴年間(約1,200年前)常陸太田市に里の宮を創建する(現常陸太田市里の宮薩都神社)
 数百年の老木うっそうと茂る広大な神域は神さびて森厳を極め、江戸時代に至っては水戸藩の出羽三山として水戸領は勿論、遠く江戸・上総・下総よりの信者も多く月に17,000人の参拝者があったという(水戸彰考館記録)神仏混こうによる祭祀で境内には二十一社寺院があり大きな聖地を形成していたという。
 特に歴代の水戸藩主の信仰篤く、歴代藩主参拝を常例とする領内では例のない御社であります。
 二代光圀公には奥社に於いて「大日本史」編纂に当り筆初めの儀を執行し、特にこの社を信仰したと伝えられております。
 明治維新によって神仏分離が実行され当神社は神社としての純粋な形を保つため大日堂観音堂、念仏堂鐘楼、大仁王門等すべてが取り払われましたが現在においても境内の遺跡・祭りの内容など他の神社と違った名残りを伝えています。
 現社殿は解体後の慶応三年水戸藩貴で造営した最後の社と記されています。
 とりわけ例年四月と十月に執行される祖霊供養祭(日向祭)は有名であり多くの参拝者で賑わいます。

● 御岩山の三本杉
 この三本杉は、御岩山中に祭られている多くの神々の御神木として、昔から大切に保護されてきました。
 根回り周囲、十・四メートル 目通り幹周り八・四メートル 樹高は約六十一・三メートルあり樹齢推定約五百年以上といわれております。
 この三本杉は、幹の途中から三本に分かれており、日立市内で最大の巨幹であります。
 昭和四十三年九月二十六日付で茨城県文化財保護条例により天然記念物(第四十四号)として指定されました。/日立市教育委員会

【備考】

 関連サイト: 茨城県林業技術センター  日立市観光ガイド    
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