The memory in the lost past

13歳 入隊(2)


 その姿は、線が細く若い印象を受けた。
 入ってきた男は、整列したラギンたちの前に立つと柔和な表情を浮かべる。名をワス・ファイ・グリッドといった。耳と指に光る十字架は赤、この隊の隊長、すなわち<戦の者>副長であることを示している。
 どちらかと言えば剣を持つよりも、書物やペンを持つ方が似合うようにも思われた。マントにつけた石がなければ、<癒しの者>や<裁きの者>と間違えそうなくらいだ。ただ、その纏う空気や瞳に宿している色はこの部屋にいる男たちと同じそれで、彼が<戦の者>として数多くの修羅場をくぐってきたことは間違いなかった。
 ワスは全員の顔を見回すと、ゆっくりと口を開く。
「本日は知っての通り<戦の者>と<意志の者>の入隊選抜日です。本来ならこの隊には関係ないことでしたが、近年の受験者の増加により警備につくことになりました」
 ピュウ、と誰かが口笛を吹く。
 十数年前まではすべて同じ日に行われていた入学選抜日も、現在ではほとんど別の日になっている。ただ試験の共通性から<戦の者>と<意志の者>だけは今も同じ日に行われていた。<戦の者>も<意志の者>も街の警邏を預かる仕事を担う部分があるからだ。また、<意志の者>の受験者が極端に少ないことも理由のひとつにあげられる。
「この隊は、第二訓練場が持ち場になります」
 そう言うと、ワスは視線を最前列に向けた。
「担当は<意志の者>候補になります。候補者は23名。アーシュ、レイド、コシル、ギハージェ、ロム。模擬戦闘の試験官もお願いします」
「はっ」
 そこに立っていた5人がそろって敬礼をした。アーシュを始めとして年嵩の男ばかりだ。
「<戦の者>に向いていそうな人がいれば報告お願いします。アーシュ、よろしいですか?」
「アーシュ・ファイ・トルフ、了解しました」
 返答をするアーシュに頷くと、ワスは視線をさらに動かす。
「ミルハ。<意志の者>候補者に混じりながら警護をお願いします」
「はい」
 同じくミルハが敬礼をする。それにワスは続けた。
「<意志の者>からも2人警護がでるそうです。そちらとの合流後、指示にしたがってください。よろしいですか?」
「ミルハ・ファイ・ハンソン、了解しました」
 最後にワスは全体を見回した。引き締まった顔をしている部下に、にっこりと笑う。
「残りの者は普通に警備をお願いします。申し訳ないですが、私自身は<戦の者>副長として、<戦の者>選抜試験の監督をしなくてはいけません。ラズルド、警備の責任者をお願いしてもよろしいですか?」
「はい。ラズルド・ファイ・クルシェ、了解しました」
 頭を下げたのは、ミルハの隣に立つ青年だった。背が高く、目つきが鋭いのが印象的である。
「では、今日も一日頑張っていきましょう」
「はっ!」
 柔らかな声に返答をして、男たちは各々の持ち場へと散っていく。アーシュたちは名を呼ばれた5人で頭を寄せ合っていた。たまに苦笑しながらもその表情は真剣だ。ラズルドは数人の男たちに指示を与えながら歩いている。指示を受けた人間がまた他の人間を呼び、数人のグループとなって部屋から急いで出て行く姿も見えた。ミルハはといえば、着替えるためだろう、もうこの部屋にはいない。
 ラギンも初警備に胸を躍らせた。ようやく普通の<戦の者>として扱われるのだ。他の者にとっては、面白くもない警備かもしれないが、ラギンにとっては素晴らしいことのように思われる。浮き足立ちそうになるのを必死に耐えながら、他の多くの者と同じように部屋から出て行こうとした。しかし、それはワスに止められる。
「ラギン。別任務があります。こちらに」
「………はい」
 釈然としないものがラギンに返事を数秒遅らさせた。その心の動きを察したのか周りから手が伸び、激励するようにラギンを叩いていく。この少年が「普通」に扱われたいことは彼らが1番良く知っているからだ。手荒な慰めにラギンは苦笑を浮かべると、重い足取りながらワスの元へと歩いていく。
 途中、アーシュの横を通りがかるとポンと頭に手を置かれた。たった一瞬のことだが、それが慰めているようにも、子ども扱いされているようにも感じられて、より一層複雑な思いになる。
 視線の先には青年が立っていた。その笑顔がすべてを見透かしているように見えて、ラギンは思わずその顔に文句を言いたくなる。けれども、そんなことはできない。代わりに進む足がさらに遅くなった。


「お前のせいだったのかよ!」
 机を思い切り叩いた音が響く。先程よりも少し狭い部屋で、ラギンはこの部屋の主に向かって怒鳴っていた。密談を交わすことの多いことから防音設備は整っているため廊下に聞こえることはないと思うが、それでも相手は上司である。ワスは後ろから口を出した。
「ラギン、一応それでも<戦の者>です。口を慎みなさい」
「……はい。すみませんでした」
 不承不承ながら頷いて、ラギンは机から数歩さがった。椅子に座っていた男がその様子にからかいの笑いを浮かべる。
「なんだなんだ。<戦の者>配下にとっては、<戦の者>よりも副長の方が偉いらしいぞ。そろそろ交代の時期かもしれんな」
「ふざけるなよ、トゥワード」
 <戦の者>トゥワードは、その声に肩をすくめた。
 ラギンたちよりも装飾が多い制服に身体を詰め、どこか窮屈そうな雰囲気を漂わせている。皮肉めいた笑みを口に浮かべ、室内だというのに剣を腰に佩わせていた。その剣もラギンたちのように装飾の多い物ではなく、実用的な物だ。イヤーカフと指輪の十字架はこの国に6つしかない金色で、6者の1人であることを示している。
 幼い頃から付き合いがある気安さからか、ラギンがトゥワードに話す言葉は上司に対するそれではない。さすがに公の場においてはそれなりの言葉を使うが、こういった場面では敬語を使うことは稀だ。
 今も、廊下を歩きながらラギンの勤務をトゥワードが中止させたと聞き、詰め寄っているところである。あまりにも落ち込んでいたためにワスが独断で行ったことだったが、こうなるのならやめておいた方が良かったかもしれない。
 トゥワードの恨みがましい視線をさりげなく気づかないふりをしながらワスはそう思う。
「仕方ないだろう。昨日いきなりラダムの爺さんが人が足りないって言ってきたんだから」
 ワスに視線を送るのを止め、椅子の背にもたれながらトゥワードはそう言った。その言葉にラギンの瞳が細くなる。
「別に候補者の警備で構わないじゃないか」
「いや、それはなぁ。ほら<戦の者>候補だってお前のせいでああだし? 一応、お前のことを考えてだな」
 途端に歯切れが悪くなるトゥワードにラギンは畳み掛けた。
「俺のこと考えるなら警備に戻せ。この腐れ中年」
「ラギン」
 さすがに言葉が乱暴になりすぎたため、もう一度ワスが口を開いた。言い過ぎたことに気づいたのかラギンはワスに視線だけで謝罪をする。言った相手には謝罪する気はないらしい。
 その様子を面白そうに眺め、トゥワードは身を乗り出した。机に肘をついて指を組み、意地の悪い笑みを浮かべる。
「でもまあ、本勤務は本勤務だ。そんなに言うならお前に仕事をやるよ」
「………?」
 その様子に不審なものを感じたのかラギンは眉を寄せた。言葉は挟まずに続きを促す。一方、ラギンよりもトゥワードの行動を事細かに知っているワスはため息をついた。この表情が、なにか悪戯めいたことを考えたときのものであることを知っているからだ。
 厳かな口調でトゥワードは言う。
「本日1日<戦の者>護衛だ。どうだ、初任務にしてはとびきりだろう?」
「ふざけるな!」
 即座に怒鳴り返したラギンはそのままトゥワードに掴みかかっていった。足を机にかけ、そのまま乗りあがっている。トゥワードも相手をするためか、椅子に座ったままながらも身構えた。しかし、顔は笑っている。
 歳若い子どもらしく日々信じられないスピードで強くなっているラギンといえども、まだ<戦の者>には敵わないだろう。それでも、もしかしたら一発くらい殴ることができるかもしれない。
(殴られた方が後が楽になることも知ってらっしゃるのに……)
 けれど大人気ない上司はきっと全力で防ぐだろう。もう少し、ラギンに対して甘くなっても良いと思うのだが、トゥワードは少年に対して手加減をしない。問えばきっとラギンのためだと言うだろう。けれども、ワスはトゥワードの意地も入っていると思っている。結局は、ラギンに負けたくないだけなのだ。
 いつ終わるかわからない目の前で繰り広げられる騒動に、ワスは深い深いため息をついた。



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