The memory in the lost past

12歳 出逢い(4)


 結界の壁は心地よかった。
 火、水、風、土というそれぞれの属性が衝突することなくお互いの欠点を補っている。ラギンのように一つのものだけ秀でていてもこうはいかない。全てにおいて優れていなければできない結界だった。
 前を歩く炎の乙女を見る。
 彼女が召ばれているというこは、他の属性でも乙女が召ばれている可能性が高い。そうでなければバランスがとれないからだ。つまり、結界を創った者は桁外れの召還者と言える。
「着いたわよ」
 そう言われて手を離された。壁の中は思ったよりも短くラギンは名残惜しそうに後ろを振り返る。
「もう終わりなんだ」
「つまらない?」
「そういうわけじゃないけど、なんだかもったいなかったような気がして」
 前を向けば普通の風景が広がっていた。さきほどいた場所とほとんど変わらない。しかし、空を見上げればそこには薄い膜のようなものがかかっていてぼやけて見えた。結界の中である証拠だ。
「……あら、炎の坊や」
 辺りを見回していると、奥から歩いてくる3人の人影が見えた。遠目で見ても、ただの人ではないのがわかる。炎の乙女に目をやれば、片目を瞑って返された。初めて見るが、きっと水の乙女、風の乙女、土の乙女なのだろう。彼女たちがこの結界を編みこんだに違いない。
 こちらを見やって悠然と笑む様子は、高度な精霊であることを証明していた。しかし、それに臆することなくラギンは挨拶をする。
「初めまして、なのかな。水の乙女、風の乙女、土の乙女」
 乙女たちはさらに晴れやかに笑った。さすがねと炎の乙女に囁きながら、ラギンに挨拶をする。
「話だけは何回も聞いてるけれど、直接は初めてかもね」
「こんにちは。炎の坊や」
「想像よりも可愛いわ」
 最後の言葉はラギンを複雑な心境にさせる。顔をしかめて見せると、さらに笑いがあふれた。
「ちょっと炎の乙女が羨ましいかも」
「ほんとね。風にもこんな子がいればいいのに」
「風の……子? なんだか、どっか行きそうだわ」
 3人が口を開けばラギンに口を挟む余裕はない。炎の乙女も輪に混ざり、この前召びだした召還者とラギンを比べ、お喋りに話を咲かせている。
 ラギンも何気なしに話を聞いていたが、ふと視界の中に動くものを見つけた。乙女たちの奥だ。
 目を凝らすと、それは1人の少女だった。
 草原に座っているせいで、身長はよくわからない。ただ、黒髪が長くふんわりと柔らかそうなのはわかった。体つきはまだ子どもといっても過言ではない。ラギンともさほど歳は違わないように見える。
 まっすぐこちらを見ている様子に、ラギンは惹きつけられた。
 乙女たちをすり抜けて、走って彼女のもとへ進む。少女は驚いた顔をしていたが、それでも逃げることなくラギンを見つめていた。
 5メートル前で立ち止まると、ラギンも少女を見つめる。走ったせいなのか少女のせいなのかわからないが、心臓の高鳴りはうるさい。
「こんにちは」
 第一声は少し擦れていて、様にならなかった。少女も口を開こうとするが、なかなか言葉がでてこないようだ。瞳はみつめたままで、言いたいことはあるように見えるのに。
「俺は、ラギンっていうんだけど」
「……ええ、知ってます。乙女たちから聞いてますから」
 ようやく聞こえた声は小さかったが、ラギンの耳にははっきり届いた。そのことに、わけもなく気分が高揚する。
「君は?」
「……リューアイ、です。」
 すぐに答えられる問いにも、答えを出すまでに何故かほんの少しの逡巡がある。ラギンはそのことに気づくが、気に止めずに断りを入れた。
「ねえ、リューアイ。そっち行っていい?」
 先ほどまでとは違い、リューアイに明らかな迷いが生まれる。ともすれば泣きそうに見える表情に驚いてラギンの方が慌てて言いつないだ。
「あ、駄目だったらいいんだ。ここで話ができるだけで、俺は嬉しいし」
「そんなこと! …・・・ないです。私もお話したい」
 か細く聞こえた声に、ラギンは優しく口を開く。
「じゃあ、お邪魔します」
 ゆっくりとラギンは足を進めた。その差が1メートルとなったところで立ち止まると、そこに腰を下す。驚いたリューアイに「だめ?」と訊ねると、今度はあわてたように首を横にふられた。
「なんか、嬉しいな」
 ラギンは思い切り背伸びをしながら顔を上へ向ける。
「……何がですか?」
 リューアイは不思議そうな顔だ。ラギンと同じように空を見上げるが、そこには抜けるような青空は広がっておらず「嬉しく」なる要因がわからない。風も結界の中には吹いていないし、温度でさえ一定過ぎた。気分を動かすものはない。何に対してと思って首を傾げると、ラギンはひどく幸せそうな顔をする。
「こうして、リューアイと逢えたの」
「…………」
 リューアイの頬が一瞬で赤く染まった。
「リューアイは、嫌?」
 先程よりも勢い良く首をふられてラギンは思わず声をあげて笑う。
「そんなに首ふったら、頭おかしくなっちゃうよ?」
 その言葉にさらに顔を赤くしてリューアイは俯く。その下から、か細く声が聞こえてくる。
「大丈夫。……嫌じゃないです。ラギンと逢ったの。私も嬉しい」
 だけど、と続く。
「私、おじいさま以外の人と話したことないんです。だから、少し、怖くて」
「話したことないって……。もしかして、この結界のせい?」
 眉をよせてラギンは訊ねた。この結界がもしかしてリューアイを閉じ込めているのなら壊してやろうと思う。
「いいえ。これは私を守ってくれているんです。私、少しおかしいから」
「どこか! 変なところなんてないよ」
 自嘲するようなリューアイをラギンは即座に否定したが、少女は否定する。
「本当なのよ」
 気がつくと、四属性の乙女たちがラギンの後ろにいた。振り返るラギンに、炎の乙女がそのまま言葉を続ける。
「人の心が毒なの。強大な召喚が使える代償とでも言った方がいいかもしれないわね。結界を介さなければ他の人間と付き合えない。そういう身体なのよ」
「でも、俺、今こうやって逢ってるよ」
 リューアイの結界の中で、こうして逢っている。その事実は間違いない。どうして、と問いかける質問に、炎の乙女は嬉しそうに答えた。
「そう、私たちも賭けだったんだけどね。マスターならって思ったの。うまくいってよかったわ。姫に触れる人ができて」
「もしかして、触れる人いなかったの?」
 炎の乙女の言葉は残酷すぎて、俄かには信じられなかった。ラギンは即座に問いかけをするが、乙女たちの笑みは無常にもそれを肯定していた。
 そして、後ろから追い打ちのように少女の声が届く。
「おじいさまにも結界なしでは無理なんです。幼い頃は大丈夫だったんですけど、今はまったく。だから、とても久しぶりで、怖くて、嬉しくて……」
 ラギンがリューアイを見れば、その瞳が揺れた。紫だと思っていたその色が何色とも言えない光を放っている。
 目の前の少女が消えそうになる錯覚を覚えて、ラギンは慌てて口を開いた。
「ねえ、触ってもいい?」
「………はい」
 唐突な願いにも、リューアイは頷いて瞳を閉じる。死刑を宣告された聖人のように、ただ静かだった。
 けれども身体の震えがラギンに見えた。
 手を伸ばして髪をなでると、想像通りのやわらかな手触りが伝わる。緊張している身体をなだめるように何回も指を通す。妹をあやす時と同じように、優しさを丹念に指先にこめた。
 いつの間にか、すぐ傍にお互いの身体がある。
 ラギンは、右手を少女の手に重ねた。しばらく体温を感じあって、そしてどちらからともなく指を絡める。触れている部分に感じる熱は、胸の奥に飛び火して少年の身体を翻弄した。
 炎の熱に振り回されることがなかったラギンにとって、熱に浮かされるという体験は滅多にない経験だ。その衝動に耐え切れず、少女の手を持ち上げ、その甲にキスをした。
 そして、ラギンはリューアイを見つめる。
 まっすぐな視線を少女は受け止め、そして堪えきれなくなったように涙をこぼした。それを指先で拭えば、自分と全く変わらない人間だということが本能的にわかる。彼の中に庇護欲が生まれ、そしてそれ以上に何かが衝撃を放った。
 熱に囚われたかのように、熱く少年は言葉を紡ぐ。
「俺、強くなるからさ。頭もよくなって、剣だってトゥワードに負けないようにするから」
(講義も抜け出さない。剣も弓も毎日鍛えて、魔法だって自分のものにしてみせる)
「………」
「だから、リューアイを守らせて。俺に、君を守らせて」
 ラギンの真摯な眼差しを受けて、リューアイが口を開く。
「私も……」
「……」
「強くなります。普通の人と暮らしていけるように。ラギンと、暮らしていけるように」
 にっこりと笑うとさらに雫が落ちた。それをもう一度拭って、ラギンは頷く。
「うん」
「……だから、時々触ってくれますか?」
「もちろん」
 約束に2人は晴れやかな笑みを交わした。
 けれどリューアイの涙は止まることなくあふれる。それに気づいて、ラギンは少女を抱きしめた。その身体は思ったよりもずっと小さくて、腕に力を込めずにはいられない。
「ずっと、寂しかったの……」
 少女の声に、少年はその髪へ唇を落とすことで応えた。

 『どうして』と何度思ったのかわからない。けれどもきっと『運命』だったのだろう。
 あの時出逢わなければ、少年は自らの可能性を否定する人生を歩んでいたし、少女は人と生きることすら諦めていた。
 そしてこの出逢いは、トゥールフォートと呼ばれるこの国の命運を変えることにも繋がっていくのである。
 しかし、今はまだ2人とも12歳という子どもでしかなく、その未来は明るく輝いているように見えた。


― 12歳 出逢い 了 ―



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