The memory in the lost past

12歳 出逢い(3)


「……やあ、炎の乙女」
 少し時間がかかったが、ラギンは自分を取り戻して声を返した。そして口元に笑みを浮かべる。こんな普通の場所に炎の乙女がいることには驚いたが、いったん受け入れてしまえばラギンにとって彼女たちは畏怖の対象ではない。ラギン自身何度も召喚をしているし、最近では召(よ)んでいないはずなのに現れることも増えている。
「どうしたの? こんなところで」
 炎の乙女が首を傾げると、その動きに合わせるように赤い粉が身体から舞い散った。それは足元のサラマンダーに触れると色鮮やかな炎になる。しかし、土の上に落ちたものは雪のように淡く消えていくだけだ。火の粉のようだが、この世界のものではない。
 その光景は、彼女の真紅の髪と瞳を持ち合わせている容貌と相まって、ただの人であれば底知れぬ恐怖を受けるであろう。それが危険なものである、と本能的に悟るのだ。
「いや、ちょっとね。それよりも炎の乙女こそなんでこんな場所にいるの?」
「召喚されたからよ」
 答えながら炎の乙女はサラマンダーを抱え上げた。背中を撫でてやると、気持ち良いのか火蜥蜴は目を閉じる。
「いや、そういう基本的なことじゃなくてさ」
「じゃあ、どういうこと? ……お疲れさま、サラマンダー」
「あ! ちょっと!」
 パチンと炎の乙女が指を鳴らすと、炎がサラマンダーの周りで膨れ上がった。そのまま火蜥蜴を飲み込むと、最後は円を描くように激しく燃えて消える。サラマンダーもいない。
 炎の乙女が精霊界との道を作り、そこから還らせたのである。
「俺のサラマンダー」
 ラギンが呟くと、炎の乙女がくすりと笑う。
「マスターが召喚したんじゃないんでしょ?」
「そうだけどさ。最近召べてなかったから、もう少し一緒にいたかったなぁと」
 視線は炎の乙女の腕から外れない。どうやらよほど未練があるらしい。
「召喚すればいい話じゃない」
「サラマンダー召喚したって、最近来るのは乙女とか騎士なんだよ。ちゃんとサラマンダーって言ってるのに」
「それはマスターが悪いのよ。あんなに広い道作っちゃうんだもの」
 召喚魔法は、精霊界とこの世界を魔力の道でつなぐことで起こる。例えば、魔力が小さい人間ならばその道は細く持続時間は短い。だから、サラマンダーなどの下等精霊しか召ぶことができず、勝手に精霊界に戻ってしまうのだ。
 しかし、ラギンの場合その逆だ。サラマンダーを召ぶだけなのに、力の調節が上手くいかず大きすぎる道を作ってしまい、上位の精霊がやってくる。結果、必要以上の魔法が使われて被害を出してしまうのだ。簡単に言えば、煙草を火炎放射器でつけようとして失敗するのと同じである。
「俺のせいかよ」
「そうよ。マスターのせいよ。嫌ならもっと修行してコントロールできるようにならないとね」
「それは悪かったですね。はいはい、もういいです。この前もこうやって馬鹿にされた気がするし」
「乙女に口で勝とうなんて思っちゃいけないわ」
 拗ね始めたラギンに、炎の乙女が優しく諭した。笑い声がかすかに響いて、少年は参りましたと頭を下げる。
「わかってるよ。……それよりも、炎の乙女。これって?」
 表情を改めて、ラギンは結界を指さした。すると、炎の乙女の顔が曇る。めったに見ることのない表情に、改めてよく見れば、舞い散る火の粉も色が鈍っていた。
 炎の乙女はため息をついて口を開く。
「ただの結界といっても、マスターは納得しなさそうね」
「しないよ。なんで、こんなところに結界があるか教えてもらいたいんだけど」
 即座に否定し、ラギンはさらに訊ねた。
「見なかったことに出来ない?」
 それに対して、炎の乙女は首をちょこんと傾げながら答える。あのねえ、とラギンは結界の方を見やった。
「できない。だって、こんなにすごい結界なんだよ」
「……仕方ないわね。悪いけど、私1人じゃ判断できないわ。少し待ってて」
 その様子に考えることがあったらしい。炎の乙女は、そう早口で告げると壁の中へと消えた。
 1人取り残されたラギンは、辺りを窺うともう一度軽く壁に触れる。さっきは炎の乙女がすぐに現れたためにきちんと結界を感じていなかった。しかし、自分にもわからない結界など初めて見たのだ。好奇心が疼いても仕方ない。
 壁はすんなりとラギンを受け入れた。さまざまな属性の網が手に絡み付いてきて、離れていく。どろりとした感触なのだが、何故か心地良い。じんわりと暖かささえ感じる。さらに手を押し入れれば、それがもっと顕著に感じられた。
 結界はその人の人格に似ると言われている。結界を編みこむときに、心を繕えないからだ。それは魔力や知識で補えるものではなく、ありのままがどうしてもでてしまう。
 だからきっとこの結界を張ったのは優しい人だ。
 会いたいとラギンは強く願った。
 会わなくてはいけない。彼女に会って、そして話をしたい。
(あ、彼女だ)
 自分が思ったことに真実を見つけて、ラギンは微笑んだ。心で感じたことだが、間違っているとは思えなかった。
「マスター?」
 しばらく心がどこかに揺蕩(たゆた)っていたらしい。突然声をかけられて、慌ててラギンは手を離した。「何?」と顔をむければ、炎の乙女が呆れた顔をしてこちらを見ている。
「アヤシイ顔をしてたわよ。……それよりも、マスター。この中に入りたい?」
「もちろん!」
 意気込んで頷く。
「一応、許可はとったわ。私たちもマスターなら大丈夫だと思ってる」
「本当?」
 顔を輝かしたラギンへ、しかし釘をさすように乙女は冷たく言い放つ。
「でも駄目かもしれない。他の人より可能性が高いだけで絶対っていうわけではないから」
 その言葉にラギンは怪訝な顔をした。結界に入るだけだったら、その人の許可が下りれば駄目も何もないはずだ。それとも、別の問題があるのだろうか。
「ねえ、何の話?」
 問いかけに炎の乙女は困った顔をする。どう説明したらいいのか難しいらしい。
「簡単に言えば相性の問題よ。会ってみるとは言ってくれたけれど、平気とは限らないし」
「ふうん」
「だから、もしかして駄目だったら強引にかもしれないけど、結界から出しちゃうから。覚悟はしておいてね」
「うん、わかった」
 素直に頷くと、ようやく乙女に笑顔が戻った。おどけた様子で耳元にこっそりと呟いてくる。
「でもきっと、私は100パーセントうまくいくと思ってるわ」
「ありがと」
 するりと身体を離していく炎の乙女にラギンも笑顔を向ける。やはり『炎』はいつでも彼の味方だ。
「それじゃあ、中に入るわよ。着いてきてね」
 掌(てのひら)を差し出されて、ラギンはそれを握る。乙女の赤く光る手は、ほんのりと温度を感じさせた。
 炎の乙女が結界に消える。それに続いて、ラギンもそこに足を踏み入れた。



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