The memory in the lost past

12歳 出逢い(2)


「なんだ、お前。追っかけてきちゃったのか」
 後ろから走ってきたサラマンダーに追いつかれ、ラギンは足を止めた。その拍子に勢いをとめられなかった火蜥蜴はラギンにぶつかる。普通なら触れた場所の肉が焼けてしまうのに、少年には何も起こらなかった。軽い火傷ですら見当たらない。
 これが、“炎の王に愛されし子”と呼ばれる理由の一つである。
 いつからこの体質なのかはわからない。少なくともラギンが憶えている範囲では、火の精霊によって怪我をしたことはなかった。それは最下位の精霊であるサラマンダーだけではなく、高位の精霊でも同じだ。ラギンにとって『炎』とは身を守ってくれるものに他ならない。
 しかし、人間は炎に触れれば火傷をする。サラマンダーの攻撃を受ければ、死ぬ可能性もある。それは、国内の優秀な召喚者の集まりである<意志の者>配下の中の、特に炎と相性が良い人間でも当たり前のことだ。
 それを無視するラギンは普通ではないと見なされた。
 父親である<主君>や国の要人たちのほとんどは、ラギンのその体質を国民に隠そうとした。
 普通でなければ、人々から恐怖の対象として見られる可能性がある。特に、<主君>の近辺警護を勤める<衛の者>は強硬に主張した。次期<主君>を恐怖の目にさらしてはいけない。国民たちには次期<主君>は優秀であると告げればいいだけだと。
 それに反対したのが<戦の者>と<意志の者>である。
 もともとラギンの身体能力と戦闘のセンスに惹かれていた<戦の者>は、ラギンを自らの配下に加え、その能力を開花させるべきだと断言した。ただそこにいるだけの能力者は恐れの対象になるが、自分たちを守ってくれる能力者に対しては、民衆は寛大だとも言葉を重ねる。
 6者の中でも一番の年長であり、国一番の召喚者とされる<意志の者>もそれに同調した。国民だけでなく国外への牽制になるであろう。優秀な戦人(いくさびと)が、国の次期トップであることを知らしめれば、それだけで一つの外交の持ち札になる。それをあえて見逃す必要があるのかと。
 その話し合いは幾度も行われ難航したが、最終的に<戦の者>たちの意見が通り、ラギンは12歳になると同時に<戦の者>配下として職名が与えられたのである。
 しかしながら、まだ年若いことと次期<主君>でもあることから、正式な任務には就いておらず、<戦の者>や<意志の者>による講義が1日のほとんどを占めていた。
 ラギンとしてはそれが面白くない。
 せっかく<戦の者>になれたのに、それまでとほとんど変わらない日々を過ごしている。もちろん、自分が次期<主君>であることに変わりはなく、習わなくてはいけないことが非常に多いこともわかっているが、それでもそれを素直に受け止められなかった。
 そしてその鬱憤を吐き出すために、こうしてたびたび講義をさぼって城から飛び出ているのである。普段なら、このまま街に繰り出して羽を伸ばすのだが、今日は先ほどのこともあって街とは反対の道を進んでいた。
「いい天気だなぁ」
「きゅう」
 ラギンの独り言にも、律儀に傍らの火蜥蜴は返事をする。
「俺、本当に<戦の者>なのかなぁ。やっぱりトゥワードの奴も、俺を次期<主君>としてしか見てないのかも」
「きゅうい?」
「お前だけだよ、優しい言葉かけてくれるの」
「きゅうう……」
 苦笑いをしながらサラマンダーに話しかける。
 ラギンが今燻ぶっているのは、自分のスタンスが築けないからだ。次期<主君>としてあるべきか、それとも<戦の者>配下として居てもいいのか、どこを目指せばいいのか、何をすればいいのか、漠然と目の前にあるだけでしっかりとした形にならない。
 それが苦痛だった。
 自分の気持ちに素直になれば簡単だったが、しかしそうはいかない立場を理解するだけの判断力も持ち合わせている。
「なんだかな……」
 一歳下の妹に話したら、お兄さまは難しく考えすぎなのよ、と一蹴された。そんなに心配ならトゥワードたちに話してみればと提案されるが、それは考えもせずに却下する。<戦の者>や<意志の者>に相談するのは沽券に関わってくるのだ。彼らに認められて<戦の者>に、一人前の人間となったのだから、弱いところは見せたくない。
「俺って子どもだよな」
「きゅう」
「肯定かい……」
 言葉は通じないないが、ラギンは笑う。城から出た途端、ゴロツキに襲われてこんな方面に来たのも、もしかしたらこのサラマンダーと交流を深めるためだったのだろうか。
 それもありかもと思いながら、ラギンはまた道を歩き始めた。
 日差しが暖かく身体を包めば、自然と足取りも軽くなる。木立に近づくにつれ、風が葉を揺らし優しい音をたてるのがわかった。
 その音を聞きながら、道をさらに進んでいく。このまま行っても、ただ森へたどり着くだけで、他には何もないことは知っている。今歩いているこの場所でも人の気配はまったくない。人と話したり、同じ年頃の少年たちと遊ぶのを何よりの気分転換としているラギンにとってはあまり良いとは言えない状況だ。しかし、何故か胸はざわめいていた。
 悪い気分ではない。何かが起こりそうなそんな予感だ。
「きゅ!」
 突然、足元にいたサラマンダーが声を上げる。
「なんだよ」
 緊張した姿に、さきほどの男たちがまた襲ってきたかと思ったが、そうではないらしい。あいかわらず人の気配はなく、ただ緩やかな自然がそこにある。
「おどかすなって」
 優しい声で諭そうとするが、サラマンダーの緊張はますます大きくなっていくだけだ。ラギンにはわからない何かがそこにあるというのだろうか。目を凝らして改めて見てみても、特に変わったものは見えない。
「大丈夫だって、サラマンダー」
「きゅきゅ!」
 ラギンに対して痺れを切らしたかのように、サラマンダーが体から揺らめかせていた炎を一瞬明るくする。すると、状況が一変した。
 今まで、道と木しかないと思われていた場所に唐突に結界が現れる。
 巧妙に隠されていたらしい。サラマンダーの炎によって結界の構成が一部剥がされ、ラギンの目から見てもわかるようになったのだろう。外から見ただけで全てわかるわけではないが、それでも結界はかなり高度なものであると思われた。
 吸い寄せられるように、ラギンは結界の壁に手を触れる。同時にサラマンダーの鳴き声と女の声がラギンの耳に届いた。
「きゅう!」
「あら、マスター」
 久しぶりに聞く声だったが、誰のものかはすぐにわかった。それは人間のものではありえない。
 驚愕の思いのまま、ラギンは視線を動かす。そこにいたのは、結界の壁から身体を乗り出している炎の乙女だった。



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