侵略前線停滞中っ!

教室に猿が侵入


 朝登校したら、自分の席に猿が座っていた。
 ってちょっと待て。何故そこで猿。そして着ぐるみ。つーか、着ぐるみだったらもう少し気の利いたものがあるだろう。よりにもよって猿か。なんか軽くむかつく。
「あ、おはよう」
 サルに対してクラスメイトが挨拶している。「今日は猿っぽいね」とかついでに言ってんな。俺だと思ってるだろ、ずばり。
 それともなんだ、お前らの目には俺はそうやって映ってたのか。そんなことをしそうな人間だと。てか、誰だよ。そんな馬鹿みたいなことするのは。正体を暴いてやる。覚悟しろ。そして一日いじめてやる。何を言われてもいじめぬいてやる。
 ………て、本当に誰なんだろ。
「あれ、祥。着ぐるみ着てたんじゃないのか」
「今来たとこだよ。間違えんな」
 クラスメイトに声を返しながら、自分の席へあと一歩のところで俺は止まった。腕を組んでおもむろに脚を上げ、ドンと後ろから一撃。最近学んだ先制攻撃だ。
 バランスの悪い着ぐるみのせいか思いっきり机に頭をぶつけて、猿は頭を支えながらこっちを向いた。
 かわいい顔(笑顔)から無言の圧力がかかる。なんだよ、この異様な威圧感。やる気か?
 言っちゃ悪いが俺だって普通に戦えるぞ。最近実戦が多くてメキメキ腕をあげてるような気がするし。まったく、こんな馬鹿なことをやりそうで、こんな威圧感を出せる奴なんて俺の知り合いには……。
 いた。いたわ、そんな馬鹿なことする奴。
 てか、奴か。奴なのか。……仕方ない。いじめぬく予定だったが、それは今度にとっておこう。それよりもまずなんとかしないと、この状況を。
 とりあえず俺が傍にいれば、この着ぐるみが俺じゃないこともわかるし。要はそれだ。それだけ誤解されなければいい。
「何、人の席座ってんだよ。晴樹」
「ん? ここは祥の席か? どうりでさっきから祥と間違えられるわけだ」
 くぐもった声は想像通りの人物。わかってなかったのかよ、おい。確かに晴樹の席は俺の裏だけれども。てか、どれだけ人に間違われたんだ、一体。
 悪いと思ったのか慌てて晴樹が場所を動こうとするが俺が止める。そのまま自分の机の上に座ると、鞄を机にかけた。
「で、何してんだよ。一体」
「いや、昨日こんな手紙が下駄箱に届いてな」
 と晴樹は器用に着ぐるみの手でどこからか手紙を取り出した。渡されたものを開くと、そこには新聞の切り抜き文字で書かれた簡潔な文章が踊っている。
「はルきサるべシ? なんだこれ」
「どう思う?」
「30点。だいたい今時新聞切り抜きって古風すぎ」
「? 最近読んでいた日本の脅迫状大全には常識と書いてあったんだが、違うのか?」
「違う。てか、何読んでんだよ」
「常識だろう」
「誰が教えたんだ、誰が」
 重いため息が自然にでてくる。
 最近、皇子さまは常識の勉強と称して読書に励んでいるのは知っていた。しかしながら、もともと常識がない皇子さまが常識がわかる本を選べるはずもない。案の定ジャンルは多岐に渡り、冠婚葬祭マナーとか司法試験問題集とかはまだしも(これだけでもおかしいとも言うが)、全国方言マスター練習帳とか世界珍獣のしつけの仕方とか何に使うかさっぱりわからないものが大半を占めてたりする。
「まあ、脅迫状そのものの点数はどうでもいいんだが、問題はその内容だ」
「はるきさるべし、って奴ね」
 そうだ、と猿の着ぐるみから重い声が漏れてくる。
「日本語に関しては不自由はしていないと思っていたんだが、いまいち意味がわからない。前半はオレの名前だろうが、後半がな」
「いや、そのまんまだと思うけど」
 皇子さまらしからぬ自信のない声で言われた言葉に、俺はいたって普通に返答した。いやだって、これはそうだろう。晴樹は見事に勘違いしたみたいだが。
「オレもそのままだと思って猿になってきたんだが。相手からのアプローチがないのだ。ということは間違っているということだろう。差出人は何をさせたかったのか」
 うわー。マジだよ、この人。真面目に猿だと思っちゃってるよ。いくらなんでも、普通は考えないというか、考えても着ぐるみは着てこないが、残念ながらこいつはおかしい。出した奴ももう少し考えて出せ。つーか漢字を使え、漢字を。
「間違ってるのは晴樹」
「何?」
「このさるってのはな、動物の猿じゃなくてどっか行けっていう意味の去るってこと」
「……ふむ」
「だから、この脅迫状の意味は晴樹にどっかいってほしいってことだと思う」
「なるほど」
「……いや、なるほどじゃなくて。そこはリアクション違うだろ」
 ポム、と肩に手を置くと、かわいく猿(でも中身は晴樹)は首を傾げた。
「どうしてだ?」
「あーのーなー」
 本来ならここで、「恥ずかしい」なんてポッと頬を赤くしながら「馬鹿だよね、エヘ」なんて言ってみても日本人ならおかしくないだろう。まあ、人間としてはおかしいかもしれないけど。
 それがよくわかっていない皇子さまに、俺ははああ、とため息をつきながら日本人の文化である「恥」について説明をする。くどくどと言ってやっても、本当に聞いているのか怪しい。猿のせいで表情がわからないし。
「だからこういうの着てると恥ずかしいの。わかる?」
「だが、この前ニュースを見ていたら着ぐるみを着た人間が頑張っていたぞ。まわりにも、真面目な顔をした男たちが網や縄を構えていたし。よくあることなのではないのか?」
「それは動物園の訓練風景。よくあることだったらニュースでやるかよ。まあ何にせよ、脱げ」
「しかしこれではこの脅迫状の」
「だからそれは違うんだって……」
「うわあああん。僕は結局だめなんだぁぁ!!」
 俺と晴樹との言い合いは教室の入り口近くから聞こえてきた大声によって中止させられた。ついでに止められたのは俺たちだけじゃなくてクラス中が静まり返っている。
 視線が集まる先は、叫んだ男。
 見かけない顔だと思ったわけは、制服に着けられている校章の色が説明をしてくれた。
 3年だ、こいつ。
 1年であるこの教室と3年の教室は校舎が違うこともあり交流は少ない。というかない。クラブ活動をやっている人間は違うかもしれないが、俺も晴樹もそんなもんには入っていなかった。まあ、クラブ活動なんてしている暇なんかないし。
「なんで、なんでなんだよう」
 先輩が叫んでいる対象は、おそらく晴樹。ということは、もしかしてこの人が差出人なのか。
 容姿はどちらかというとそういうことをやりそうにないけれど。スポーツ刈りを茶色に染めていて、ほんの少しだらしなく制服を着ている。顔立ちもまあまあ。惜しむべくはその身長。160あるのかないのかというくらいだ。つまり、小さい。
「いつもかっこよくてすかしてて、ついでに宇宙人のくせに! なんでそんな格好をしてても誰も馬鹿にしないんだよう! いつも僕は猿って言われて……言われて……」
 静まり返った教室に先輩の声が響く。
 そっか、さっきから何かに似てるって思ってたけど猿か。そう言われると叫んでいる声もキーキーと喚いている猿のように見えるから不思議だ。
 なんか、ちっこくてかわいい。
 ほんわかした空気は教室中に伝染し、なんだかどうでもよくなってくる。先輩は何事か騒いでるけど、まあいいや、晴樹に着ぐるみをまず脱がせようなんて思ったその時。
「猿ー! どこにいったかと思ったぞ」
「探したんだからな。学校で迷子になってるかと思って」
 廊下から声が届き、パタパタと歩いている音が聞こえた。その声にさっきまで騒いでいた先輩が蒼白な顔になり、その場から逃げようと走りかける。
 しかしそれは叶わず、後ろから伸びた手に捕らえられた。ついでに羽交い絞め。うわ、苦しそう。
「お前って本当に猿だな。すぐどっか行くんだから」
「今日の1限は英語の小テストだぞ。いいのか?」
「は、はなせ!」
 先輩がじたばたともがいているが、身長差と体格差のせいかまったく効果はないらしい。羽交い絞めにしている2人はそのことを十二分にからかった後、ようやくぽかんとしている教室に目を向けた。そして、その中にいる俺たちに気づく。
「よう、祥」
「皇子。また、珍しい格好だね」
 なんとなく事情が飲み込めた。なんてことはない、晴樹はこいつらのいじめのとばっちりを受けただけか。いつも猿とからかわれ、それでも本人たちには報復ができずに、宇宙人の中では一番弱そうに見える晴樹に攻撃の刃を向けた。さるべし、とか言って。
 ………わけわかんねー。
 猿なら猿で、ちゃんと漢字で切り抜いて来い。頼むから。まあ、それはそれでさっぱりわけのわからない脅迫状になっていたと思うけど。
「晴樹。珍しく先に行ったと思ったのに、何そんな馬鹿な格好してんだよ」
「祥も友だちとしてちゃんと忠告してあげないと。日本人が優しくないみたいだろ」
 口々に好き勝手なことを言う。片方は宇宙人、片方は日本人だ。日本人の方は、いわゆる俺の近所のおにいちゃんというやつで、昔からよく知っている。性格は、知れば知るほどやばい奴だ。本当なら縁を切りたいんだが、なぜか切れない。腐れ縁というものなのかもしれない。すごく嫌だ。
 もう一方の宇宙人は、亜季ちゃんと同じく晴樹の部下だ。けれど年上だからなのか、ただの本人の気質なのかきちんと皇子さまに対して敬語を使っている場面に遭遇しない。それどころか、皇子と呼んでいるところさえ見たことがない。不敬罪っていうヤツじゃないのか、そういうの。
 2人の共通点は、その人をからかう性格と観察力のよさ、そして思考力の高さだ。いつもどうしてそういう考えになるのかわからない突拍子もないことを言っているが、最終的にはそれが本当になる。まだまだ発展途上の若者からすると、すごく嫌だ。
 何の因果かそんな2人が俺たちみたいに仲良くなってるから、こうやってに偶然会ったりすると問答無用で構ってくる。暇なときはまあいいけれど、時間がない時や機嫌の悪いときはとてもイラつく。ついでに、奴らが原因でこっちに被害が及ぼされた時はその倍ほどイラつく。
 たとえば、今みたいに。
「……祥」
 耳元近くでぼそりとささやかれた言葉に「なんだよ」と答えた。しかし、言いたいことは理解する。
 晴樹は別に猿の先輩が憎いわけではないだろう。知らない人間には結構寛容(1番が絡んだ場合は別として)だ。
 ただ自分の行動の原因が間接的であれ自分の部下だった場合、それを笑って許せる皇子さまはこの学校にはいない。話を聞くと「俺の邪魔をするな、骨の髄まで忠誠しろ」と言って部下にしたみたいだし(でも、敬意を払われてないんだよな)。
 俺も俺で、行き場のない苛立ちをぶつける人間を見つけることができた。直接の被害ではないが、まあいい。いつものことを考えればあと100回喧嘩をふっかけてもおかしくないのだから。
 つまりもうやるしかないのだ。あとでどうなろうと、しったことではない。
 猿の頭が飛んだのが合図だった。
 そのまま1時間目は自習になり、俺たちはその間職員室でこっぴどく怒られることになるのだがそれはまた別の話である。



        目次