「そんなこと言われたって、知らない」
 突然の浩斗からの話に、柚麻は拒否反応を示した。その表情はいつも見るものと違い、年相応のものだ。何が起きているか理解できないけど、とりあえず拒否をしている。
 両親から離婚を宣告されて、どうしたらよいのかわからない子どものような。
 不安だけが、そこにある。
「お前にどうしてほしい、てわけじゃないけど」
「じゃあ、どうしてそんなこと私に言ったの?」
 苦笑を浮かべている浩斗に、さらに柚麻はきつく返す。こんなのは、きっと精神が幼い人間の反応だ。やめなきゃいけないのに、止まらない。これ以上幼くなりたくないのに。
「言う必要なんてないのに。私なんか私なんか……」
 言葉が喉の奥で詰まる。
 しゃっくりが出そうになってあわてて飲み込んだ。
 震えそうになる声を、無理やり平静にする。ごまかせたと思うが、かわりに声が小さくなった。
「だって私、………関係ないのに」
「どう思ってるかしらないけど。お前だって会ってるんだから、関係ないわけじゃないだろ。なんでそこまで反応するんだよ」
 浩斗の苦笑はそのままだ。
 それが柚麻の癇に障った。馬鹿にされているようで、子どもだといわれているようで、それがまた事実だから、余計にイライラする。
「浩斗が彼女のこと大事にしないから!」
 どこかで考えていたけど、決して心の大部分を占めていたわけではない言葉を吐き出して、きっとにらみつけた。
 その言葉に浩斗はびっくりしたようだった。目を見開いて、柚麻のことを見る。
「…それこそ、お前には関係ないような」
「そんなことないもん!」
 強い口調につられるように、視線も強くなる。正面で浩斗の顔を見ても怖くなかった。
「どんな関係があるんだよ」
「どんな関係もあるっ!」
 正直、変なことを言っているような気がしていたが、言えば言うほどそれが本当のような気がした。自分に言い聞かせているだけかもしれない。
「……少しは落ち着けって」
「落ち着いてるもん。落ち着いてるもん。知らない。浩斗なんてもう知らない」
「落ち着いてないじゃないか」
「うるさいってば!」
 ヒートしていく。スカートをぎゅっとにぎりしめて、そしてその力がどんどん強くなっていく。
「……あのなぁ」
「浩斗なんて、ひどい人だから、もういいの!」
 力が入りすぎて、身体が震える。
 もう、浩斗の顔は見れなかった。
「なにがいいんだよ」
「いいったらいいの! だって……」
 柚麻の目の前がぼやけた。
「泣くなって!」
「泣いてなんかないから」
 震えた声。
「泣いてる」
「浩斗なんかいらないんだから、だって浩斗、私捨てるから」
「………お前なぁ」
 腕を引っ張られて、抱きしめられた。
 抵抗は、しなかった。
「どこで捨てるなんて思うんだよ。だいたいお前は物じゃないだろう?」
 ぽろぽろと流れる涙が浩斗の服を濡らしていく。
「だって、彼女だって別れたんだから、私もいらないと思って…」
「なんでだよ」
 あきれた声で浩斗は言う。だけど、それとは反対に、なだめるように落ち着かせるように髪を優しくなでていく。
「……だって」
 ギスギスした気持ちが落ち着いていくのを柚麻は感じた。体温を知る、ということはすごいことなのかもしれない。そういえば。
(そういえば、触るのってはじめてかもしれない)
 そう思って、しがみつく手に力をこめた。少しでも、近くにいたいから。それは真実。
「あのな、もう少し考えろって……。まあ、お前の歳じゃ仕方ないかもしれないけど」
「どういう意味よ」
「どういう意味ってそのまんまだけどな。なんだ、機嫌直ったのか?」
 いつもの口調に戻ったのに気づいたのか、浩斗が顔をの覗き込んでくる。目を合わせるのが恥ずかしくて、顔を背けた。
「子ども扱いしないで」
 矛盾してるのはわかってるが、ついつい出てしまった言葉。それに浩斗は笑った。
「……子どもだろ。まあ、俺も変態だからお互い様かもしれないけど」
「浩斗って変態さんだったの?」
 突然の告白に思わず身体を離しそうになったが、それは叶わなかった。
 背中に回された手がぎゅっと抱きしめてくるのがすごく恥ずかしい。離してよ、と言おうとして口を開こうと思ったら、先を越された。
「こんな子どもが好きなんて、よっぽどの変態だろう」
「………」
 頭がパニックに襲われた。何を聞いたのか、浩斗は何を言ったのか、思考回路をフル回転させて対処する。
(もしかして、それって彼女と別れた理由って私ってことで、それは喜んでいいのかな、なんてそんなことじゃなくて、どうしたらいいの、でもとりあえず焦っちゃだめなのはわかるわ。落ち着かなきゃ。うん、深呼吸)
 小さく、すぅはぁと呼吸する。
(で、何をしたらいいんだっけ。落ち着いて……。落ち着いてどうしよう。とりあえず、私のこと好きって言ってないんだから、気軽に返事をしちゃいけないわ。がんばるのよ、柚麻。とりあえずなんか言わなきゃ浩斗が変に思うから、言わないと。ああ、何言おう)
 くっく、と耳元で笑いが聞こえて、柚麻は思考をやめ、きっと睨む。
「何笑ってんのよ」
「……面白いから」
「ふざけるな」
 こんなところ逃げ出してやると力を入れようと思ったら、浩斗が口を開いた。瞳の光は真摯で、冗談とかそういうものではないのがわかる。
「じゃあ、真剣に言うけど」
 咄嗟に、逃げたいと思った。本当は、すごく逃げたかった。
 でも、なけなしのプライドと背中に回された手がそれを許さなかった。
 そして、心のどこかで待っていたかもしれない。いつか、言ってくれる日を待っていて、あきらめながらも、ため息をつきながらも、待っていて。
「お前のこと、好きだよ」
「浮気もの」
 口から出た言葉に、自分はどうしようもなく子どもだと思った。素直になれない、反抗的な子どもだと。
 だけど。
「で、お前は?」
 浮気もの、という言葉は無視するらしい。
 瞳に映っている浩斗の問いに、柚麻は答えた。
 たったひとつだけの真実を、彼女なりの言葉で。
「……知らない」


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