開けるのには、まず努力が必要なんです。
色々な鍵がついているから、それをまず開けなくてはいけません。
その時々によって、鍵は開けやすかったり、開けにくかったり。
もしかしたら勝手に開いてしまう鍵もあるかもしれません。
そうかと思うと、すごく時間がかかる鍵もあると思います。
大丈夫ですか?
あきらめてませんか?
壊すなんてとんでもない!
それが必要とされている時は、床にぶつけたって壊れませんよ。
必要とされなくなったら、勝手に壊れてしまいますけどね。そうなったら、あなたにとって、価値がなくなったということで。
さて、鍵を全部開けたら、あとは蓋を開けるだけです。
良いものが入っているのか、それとも悪いものが入っているのか。
それは、すべてあなた次第です。
不安ですか? 期待しますか?
開けてみますか? やめますか?
さあ、どうしますか?
「朔井さん?」
「………ん?」
自分を呼ぶ声に顔を上げると、不満そうな顔がそこにあった。今一番見たくない顔の向こうに太陽が見えて思わずくらり、とする。朝食を抜いたのが原因かもしれない、と浩斗はぼんやりと思った。
「あのですね………」
言い募ろうとした言葉を、「はぁ」とため息で切って、綾人は浩斗の隣に座る。その様子に浩斗は視線だけ投げかけたが、特に拒否はしなかった。
綾人が言おうとしていることは、わかる。
自分でも、不思議だと、おかしいと思っているところなのだ。
理性で考える限り、最も間違ったことをした自覚はある。今からでも遅くないから、平謝りをして、昨日のことはすべてなかったことにした方がよいとも思う。
「聞きました」
ぽつり、と言った言葉に反応するしかなく、浩斗は気だるそうに口を開く。
「………誰に」
「決まってるでしょう。姉です。泣いてましたよ」
「そっか」
言葉で聞くと、改めて後悔が押し寄せる。どうして、という疑問が自分でも解けない。
「怒鳴って謝ってきてくださいって言うつもりだったのに。朔井さんの方がダメージ受けててどうするんですか」
苦笑したような声。本当に怒鳴ったかどうかわからないが、「謝ってこい」というのは彼の本音だろう。自分でもそうした方がいい、と思う。思う、けど。
「………ダメージなんて受けるわけないだろ。俺がダメージ与えたんだから」
彼女の心にダメージを与えて、自分が食らってたら洒落にもならない。
「あのですね。9歳下の、彼女の弟にですよ、そんな弱気な声で、ポツリと呟くのに、どこがダメージ受けてないんですか」
ああ、なんでこの人の心配までしてるんだろう、と綾人は呟く。
「…………」
「ほら、何も言えない。ダメージ受けすぎですよ」
「受けてないんだ」
「朔井さん。………ま、いいです。気が変わりました」
強い口調で言った浩斗に綾人はなおも言おうとして、何かに諦めたように口調を変えた。バックからペットボトルを取り出し、キャップを開けて、一口飲む。
「怒鳴って引っ張って、無理やりでも頭下げさせて、仲直りしてもらおう、って思ってたけど、そんな調子じゃ無理ですね」
「…………悪い、と思ってる。後悔しているのも、確かだけど」
口からでたのは正直な気持ち。悪いと思ってることは嘘ではない。後悔も、もちろん。
「好きな子でもできたんですか?」
いきなり核心をつく言葉。彼女からも言われた言葉。
『誰か、好きな人ができたの?』
そう言われて初めて気がつく。自分が別れを切り出した理由は、それなのかもしれない、と。
でも心当たりは思いつかなかった。だから、彼女には言ったのだ。
『そうじゃないけど、ごめん』
それが、その時の本心。間違ってなかった、と思う。だけれども。
「……………」
「………………」
「………わからない」
今の本音は変わってしまった。
「わかんないって……思春期の女の子じゃないんですから」
「真面目にわからないんだよ」
一晩寝て考えた。どうして彼女に別れを持ちかけたのか、漠然とこのままではいけない、と思ったけれど、どうしてそれが別れだったのか。
自分は、誰か好きな人が別にいるのだろうか。
「別に姉との付き合いが不満だったわけじゃないんですよね」
浩斗は頷く。
「姉が恋人だということが嫌だったわけじゃない」
もう一度、頷く。
「姉はもちろん浮気なんかしてないし、朔井さんのことが好きです」
「オレも彼女が好きだよ」
「じゃあ、姉以上に好きな子ができた」
「……………」
はぁ、とお互いにため息をつく。
結論はそこにしかいかない。
どんなにしぶってみても、どんなに否定しても、たどり着くところは同じだ。
認めてしまえば、パズルの最後の一片のようにしっくりとおさまる。それどころか、今までわからなかったことが、明確に見えてくる。
「やっぱ、そうなのかもしれない」
「何がです?」
「好きな子が、いるのかも」
彼女に対する後悔も、彼女に対する悪いと思う気持ちも、すべてそのせいかもしれない。
視界が広がったような気がして、改めて周りの景色を見てみる。隣に座る少年が、どういう立場なのかも、ようやくはっきりと理解する。申し訳なく思い詫びようと綾人の顔を見たが、その顔がなぜか凶悪になっていた。
「そうですか。じゃあ、歯を食いしばってください」
「……は?」
突然のことに呆けると、左顎に衝撃が走った。痛い、と思うよりもまず、驚きを受ける。
そんなに大きな音はしていないはずだが、まわりの人たちがこちらを見ていた。彼らも突然の出来事に少しびっくりしているらしい。
左の手のひらを殴られた場所に当てると、少し熱かった。そのうち、痛みがでて、腫れてくるかもしれない。それよりも、年下の少年に殴られた衝撃が大きくて、怒ることも殴り返すこともできなかった。代わりに、正直な一言を漏らす。
「痛い………」
「姉からの伝言です。目が覚めた? 今度はきちんと頑張りなさい、だそうです」
そう言うと綾人はペットボトルをバッグに戻し、立ちあがった。目的は今ので達したらしい。これから、殴った報告を彼女にしに行くのかもしれない。いや、多分そうだ。
「……すごく目が覚めた、と言っておいてくれ」
浩斗は、笑って伝言を頼む。確かに、目が覚めた。これ以上ないくらいに。
「仕方ありませんね。すがすがしい目覚めをいただきました、と伝えといてあげます」
「サンキュ」
では、と言って歩き出した綾人に、足りない言葉があるのに気づいた浩斗はその後ろ姿に叫んだ。
「あと、ありがとうとごめん、も。お前にも、ごめん。好きなんだろ」
誰が、とは言わなくてもわかったはず。こんな敵に塩を送る真似をして、いいのだろうかとふと思った。
しかし、振りかえった綾人の表情にその思いも霧散する。9つも下の少年だとは思えない余裕の笑顔で。
「大丈夫です。僕の方が優秀ですし」
「………ハイ、そうですか」
背を向けた綾人に浩斗はもう一度笑った。手強いライバルだ、と思って。
鍵を開けて、蓋を開けて。
中からあふれ出す宝物。
もう元には戻せませんよ。
なかったことにはできませんから。
あとは開けてしまった自分を呪うか。
開けた勇気を称えるか。
それはすべて貴方次第。
良いことにするのも、悪いことにするのも。
後悔するのも、チャンスに変えるのも。
これからの、貴方次第です。
『さあ、どうしますか?』
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