「はあ……」

 ため息をひとつ。

 先週の日曜日。
 お昼過ぎから、私はアイツの部屋にいた。
 そしたら、アイツの携帯に電話がかかってきた。ピロピロ、と少し昔のJ−POP。2人でやっていた対戦ゲームの途中だった。
 あいつは、片手で携帯電話を開くと、そこに表示された着信相手の名前を見て驚いたようだった。ちらりとこちらを盗み見るのがわかる。
 私は気付かないフリをして、コントローラーをカチャカチャといじくった。
 そういうことだけ上手くなるのは、あまり誉められたことじゃないと思う。
「ちょっと、タンマ」
 そう言うと、アイツは携帯をもったまま台所へ向かった。つまり、私には聞かせられない電話、ということだ。
(新しい彼女かな)
 軽く、そう思った。なんとなく、だけど、結構正解のような気がする。
 しばらくして、アイツが台所から戻ってきて、こう言った。
「悪い、急用ができた。出かけるから、お前も帰れ」
 ゲームの電源を切られてそう言われたら、従わないわけにはいかない。
 だいたい、部屋の主はあっちなのだから、こちらに嫌だ、という権利はないのだ。
 でも、素直すぎるのも気味悪がられるので、少し我侭を言ってみる。
「え〜!! これからいいところだったのに〜!」
「悪いな。また、今度」
「……もう」
 もともと居残る気もなかったので、身の回りを片付けて、部屋を出た。
 いつもなら、ドアまで来る見送りも、今日は一言「悪いな」と部屋の奥から聞こえてきただけだ。
 唐突に。
(もう、私いらないかも)
 と思った。

 私がアイツに会いたくなったら、アイツの部屋へ遊びに行く。
 アイツが私に会いたくなったら、初めて会った公園で私を待つ。
 アイツが私に会いたくなかったら、アイツは居留守を使えばいいし。
 私がアイツに会いたくなかったら、公園を通らなければいい。

 ただ、それだけの関係だった。
 私は携帯をもってないし、アイツの携帯番号も知らない。連絡をつけようと思ったら、会うしかない、そんな脆い関係。
 私はアイツに会いたくなかった。捨てられるのが怖かったから。
 だから、公園を通らないように、それどころか、公園を遠回りして帰った。会わないように。会えないように。
 そうすれば捨てられずにすむ。
 少なくても、ここ数日、アイツに会ってないし、捨てられなかった。
 私の作戦は正しかったのだ。
 だけど、一つだけ誤算があるとすれば。
 ため息が増えたことだった。

 今日は金曜日。
 明日とあさっては、家から出ないでおけば、会うことはないだろう。
 少し浮上した気分になって、私は歩いていた。ついでに、ため息を落とす。もう、慣れっこだ。
 アイツは、今日はゼミがあってこの時間は公園にいないはず。
 でも、念のため、と思って公園は通らず近くの路上を通る。
 突然だった。
「柚麻!」
 声がした。
 アイツの声だ。
 逃げなきゃ。
 頭にはそれしか浮かばない。
 だけど、声の主がどこにいるのかわからない。
 頭が一瞬パニックになっていたのだと思う。処理能力が極端に落ち、その場に立ち尽くすしか私にはできなかった。
「………柚麻?」
 次に聞こえてきた声は、すぐ近くからで。
「浩斗?」
 見上げた私の目には、アイツが映っていた。
 逃げなきゃ逃げなきゃ。捨てられちゃうよ。逃げなきゃ逃げなきゃ。捨てられちゃうよ。
 頭の中がぐるぐる回る。
「……急いでるから、ね?」
 この言葉が出てきただけで、奇跡だと思う。
「急いでるんなら、公園を通るんだろ?」
 その奇跡の言葉をあっさりと否定されて、また私は少しのパニックになる。
「………もしかして、もう嫌なのか? オレといるの」
「違うよ!」
 否定の言葉はすぐに出た。ずっと思ってたから。
 逃げたかった。捨てられないために。あいつの前から、逃げたかったのに。
「そか。んじゃ、行こうぜ」
「え?」
「お前の勝ちのままじゃ、むかつくんだよ。今日こそオレが勝つから、覚悟しとけよ」
 あっさりと退路を絶たれた。
 けれど、私はまだ「いらない」って言われなくてすんで。
 それがたとえゲームのためでも、暇つぶしの道具でも、なんでも嬉しかった。

「オジサンには、無理無理。私に勝つなんて、一生無理よ」
 電話の相手は私の想像通りだったけど。
 私は捨てられなくて。
 ………ため息は、少し減った。


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